ゲームというエンタテインメントを通じて世の中を変える“Game Changer”として、国内にとどまらず世界に感動体験を提供し続ける『セガゲームス』。時代を象徴する新しい遊びを提供し、様々なアミューズメント機器を通じて多くのムーブメントを創出する『セガ・インタラクティブ』。セガグループは、家庭用ゲームからオンラインゲーム、ゲームアプリやアーケードゲームにいたるまで、これまで数多くの画期的なエンタテインメントコンテンツを世に送り出しています。

なかでも、実在する繁華街をモデルにした架空の街を舞台に、男たちの生き様を描くアクションアドベンチャーゲーム『龍が如く』シリーズは、リアルな世界観に加え迫力のある人間ドラマが共感を呼び、累計出荷本数が650万本を突破した人気タイトルです。

そこで今回は、『龍が如く』シリーズを生み出し、10年にわたってプロデュースされ続けているゲームクリエイターの名越 稔洋さんに、ヒットするゲームを生み出すためのヒントや、クリエイターに求められることなど、お話を伺いました。

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■ 時代の流れとともに、ゲームのあり方や概念も変わっていく

ゲームは、ユーザーが求めることをベースに作り上げていくものであって、それはドラマや映画のキャスティングにおいても同じことが言えると思います。いわばサ—ビス業なので、ユーザーに求められていないプライドは余計なものになってしまう。そこは割きって取り組むようにしています。

長年に渡ってリリースされているシリーズ作品は、負のスパイラルに陥りやすい傾向があります。それは、作り手側だけが満足して、ユーザーに喜ばれているかの結果をあまり重要視しないことです。

ですから、受け入れられている部分は、よりボリュームを増し、逆に受け入れられなかった部分については、その理由を徹底的に分析して改善の余地がないと判断すれば、抗うことなくバッサリと切り捨てます。

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『龍が如く0 誓いの場所』では、竹内 力さんや鶴見辰吾さんといった実在する俳優さんに出演していただきましたが、過去には、「何故ゲームにおいてリアルな演出が必要なのか」という批判的な意見もみられました。

とはいえ、例えば無名監督が撮った誰も知らない役者さんしか出演していないような映画を、時間とお金をかけてわざわざ観に行く人は、そうそう居ないと思うんですよ。ですから、いずれはゲームも同じく映画のように有名な役者さんが登場するようになるだろうと思っていました。

昔は、ゲームや映画に声を吹き込む場合、声優さんがほとんどだったので、俳優さんについてはゲームという媒体において親和性が低いと言われ続けていたんです。でも最近は、ゲームCMひとつをとってみても、俳優さんやタレントが多く起用されていますよね。
平たく言えば、日本のゲーム市場というのは、歴史がまだまだ浅いんです。だから、どこかのゲーム会社が新しい基準のようなものを作ったら、「それも有りかも」という風潮に自然と移り変わっていく。

『龍が如く』は、初作の段階からビジュアルも含めた形で俳優さんに出演してもらいたかったんですが、10年前は今のようにハードの性能がまだ追いついていなくて、声だけでしか出演してもらうことができませんでした。「いつか絶対に顔を出したい」と当初から考えていたので、3DCGの表現が豊かになった昨今では、実在する俳優さんに似せたキャラクターを登場させることが可能になったんです。

また、リアル感を演出するためには、キャラクターだけでなく背景も重要になってきます。「人物も街も、すべてが本物の方がいい」という理想を叶えるために、街に実際ある店舗とのタイアップを依頼しましたが、最初の頃はほとんどの企業が門前払いでしたね(笑)。
当初は難航していましたが、『龍が如く』の知名度があがっていくにつれ、タイアップ先もどんどん増え、今となっては150社の企業とタイアップできるようになりました。時代の流れとともに、ゲームのあり方や概念も変わっていった気がします。

■ ヒットするためには、次回作までの間を空けない

イメージ通常であれば、大掛かりなバジェットのゲームタイトルは、2〜3年に一本出せればいい方ですが、これだけモノや情報で溢れかえっている世の中だと、一度ついた火が消えるのは早い。ユーザーの記憶が残っているうちに手を打ちたいと思って、初作からわずか一年後に、次作をリリースしました。

ゲーム制作においては、一見すると大変なように思われがちですが、仕事量を体積に置き換えて時間軸のベクトルが短くなるように組み直していけば、作業時間を短縮できるはずなんです。ですから、作品がヒットするためには、次回作までの間を空けないこと。いくらタイトなスケジュールでも、「一年で出すのもサービスなんだな」と、2作目をリリースした時に痛感しましたね。

また、一年単位でゲームを制作する強みやメリットは他にもあって、その時のトレンドをゲームの中に入れ易いんです。いま流行っていることでも、急いで契約をすれば何とか間に合う。旬な要素を取り入れることによって、よりリアル感を増長させることができます。

モノづくりにおいて、タイミングを計ることはとても重要で、そう考えると一年というペースを守りたくなっちゃうんですよ。「これが最後だから」と毎年言っては、10年間スタッフを騙し続けて新作に至ります。流石にスタッフも4〜5年目あたりから薄々気づき始めているんでしょうけど(笑)。
でも彼らはクリエイターなので、自分が携わったタイトルが売れて、ユーザーから反響がある喜びを疲労感と天秤にかけた時に、喜びを伴う達成感の方が圧倒的に勝ると思うんですよね。

現在は『龍が如く』チームで一緒に仕事をしていたスタッフが、家庭用ゲーム機とは真逆であるスマートフォンのアプリゲーム制作にも参加しています。アプリゲームが今後も伸びていく事は明白で、そこをおさえていく上でも、力や勢いのある組織づくりが大切になっていきます。
ともに長年ひとつのゲームをつくってきた絆があるので、そのスタッフが「別の組織に移動しろ」と僕から言われた時点で、なぜ自分が言われたのかという理由はちゃんと分っていると思うんです。

周りの人間から見ても、「まさか、彼を手放すはずがない」というような優秀なスタッフを敢えて手放すことで、人材育成に対してもゲーム制作においても“本気だ”という事が、社員に伝わるように取り組んでいます。

『龍が如く』を通して、スタッフとの絆が深まるチームづくりが実現し、セガという会社に対しても様々な土台を築くことができた気がします。

■ ギリギリのところを攻めたい

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『龍が如く』の中で、人を急いで助けに行く途中、携帯電話が鳴るシーンがあります。行きつけの店のお姉ちゃんから、「今日は会える?」という営業メールやお誘いの連絡が入る訳ですが、実際の生活もそういうことの連続ですよね。

例えば大事な会議中に、プライベートなメールを受信して、「それどころじゃないよ!」と心の中で思う場面があるように、そんなささやかなやり取りこそが、リアルな日常を体感できる要素のひとつなんですよ。

これまでのゲームルールでは、大事なミッション中に横槍が入るなんてことはゲームプレイの妨げになるため、絶対にやらなかった手法です。でもゲームですから、どんな要素を放り込んでもいいと思っていて。物語の段階ではシナリオをしっかり作って、遊びの部分ではとことん遊ぶ。実際の生活においても、四六時中仕事をしている訳ではないし、時には羽目を外して遊ぶこともあるでしょう。

ですから、ゲームという概念からどこまで脱却できるか。脱却しても、なおかつユーザーについてきてもらえるか。そのギリギリのところを攻めたいですね。綺麗に納まるよりは、ちょっとはみ出るくらいの方がいいと思っています。

同じ脚本でも、別の映画監督が撮ったら全く違った作品に仕上がるように、プロデューサーのセンスによって基準も異なってくる。ユーザーに楽しんでもらえるためにも、ルールに縛られることなく、いろいろな要素を掘り下げていきたいですね。

■ やらないことによって、やるべきことがどんどん見えてくる

イメージ若いうちは、あらゆる知識を身につけるため、がむしゃらに仕事に取り組むのもいいかもしれません。ただ、ある程度の経験を重ねていくと、何かしらの限界というものを感じて、捨てるか捨てないかの選択に迫られるようになってくると思うんです。

仕事やアイデアの断捨離を定期的にできるクリエイターは、中身のあるしっかりとしたコンテンツを制作できるし、逆にそれができないクリエイターは苦しみ続け、その割には世に受け入れられない作品に仕上がってしまう恐れがあります。

「プロデューサーやディレクターって、何をする仕事なんですか?」と尋ねられたら、僕は迷わず、「捨てる作業をすること」と断言します。抱えきれないほどのアイデアがある中で、プランナーやデザイナーやプログラマーからの要望を全部入れる余地はないし、予算も時間もない上に、何でもかんでも詰め込みきれないですしね。

そうであれば、本当に必要なものだけを目一杯詰め込む。そこで重要になってくるのが、捨てることです。何を採用するかも大切ですが、それ以前に何をしないのか。やらないことによって、やるべきことがどんどん見えてくる。それらを明確にせず、何でもありにやってしまうと、ただの悪ふざけになってしまいます。
ですから、何事においても取捨選択を繰り返し、最終的には自分のスタイルを作り上げること。そして精神論になってしまいますが、誰に何を言われようと、ぶれないことです。

■ 人とコミュニケーションすることで、人は成長していく

興味のないことや、自分にとって不得意であることは、本来であれば触れる機会がないですよね。でも、仕事を通して否応無しに携わることで、学べるチャンスは生まれてきます。

例えば、苦手な上司と働くことが億劫だとしても、嫌な人とうまく付き合うという学びを得ることができる。何事においても、何かしら学びのチャンスがその時々で必ず巡ってくる。人というものは、人を通して学ぶものです。

今は便利な世の中なので、もし仕事上で分からない単語に出くわしたら、インターネットを使って簡単に検索できますよね。でも、単語の解釈には何通りもあって、「この会社の、このチームは、こういった解釈なんだ」という正解の保証は、どこにもないんです。

だから、分からないことがあったら、躊躇することなく直接人に聞かないといけません。自分の勝手な解釈で、間違ったことを覚えてしまったら意味がありませんし、聞くことによって上司も、「ここが分からないのであれば、この辺から教えてあげなきゃ」という気づきができる。会話をすることがもっとも広角的で、互いに分かり合える一番の近道です。

会社に属しているクリエイターは、チームワークが肝心になってくるため、最終的には人とコミュニケーションすることで、成長していくと思います。今の若い方は、情報が手に入りやすくなってしまった分、人との関わりが希薄になっている気がします。SNSにしても、顔見知りや知り合い程度で繋がっている場合が多く、ちゃんとリアルに知り合えていなかったりしますよね。

昔は、不便だった分だけ直接コミュニケーションをとることで価値を見出していました。人やモノに心が動かされないという事は、自分自身のバリューが下がってしまっている証拠だと思います。

コミュニケーション能力が高いかどうかが、クリエイターとして成功する鍵を握っているといっても過言ではありません。ですから、人と対話する感覚をもっと大事にしながら仕事に打ち込んでもらいたいですね。


龍が如く0 誓いの場所

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【 商 品 概 要 】

商品名 : 龍が如く0 誓いの場所(好評発売中)

対応機種: PlayStation(R) 4/PlayStation(R)

価格 : 8,190円(税別)※ダウンロード版同額

著作権表記:(C)SEGA

公式サイト:http://ryu-ga-gotoku.com/zero/

ポータルサイト:http://ryu-ga-gotoku.com/

日本中が狂喜乱舞していた時代。 「龍」の伝説は、ここから始まった。

架空の巨大歓楽街を舞台に、愛・人情・裏切りなど様々な人間ドラマを描くことで、これまでゲームが決して踏み込むことの出来なかったリアルな現代日本を表現し、シリーズ累計出荷本数が650万本を超えるヒットを記録した『龍が如く』。

その最新作となる『龍が如く0 誓いの場所』が、PlayStation(R) 4とPlayStation(R) 3で登場。映像、ストーリー、バトル、やり込み要素など、全ての面においてシリーズ最高傑作のクオリティで贈る、極上のエンターテイメント作品。

1988年12月。空前の好景気に沸く歓楽街、東京・神室町では、大規模再開発計画の利権を手にするため、数多の組織が動き出していた。しかし、所有者不明のたった一坪の土地の存在が、開発計画を難航させていた。

通称「カラの一坪」。土地を巡る争奪戦は、やがて東西の巨大極道組織をも巻き込む一大抗争へと発展し、ある二人の若き男たちの運命を大きく揺り動かしてゆく―。
いま、一つの時代が終わりを告げ、二つの伝説が始まろうとしていた。

(2015年6月1日更新)