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映画『日本のいちばん長い日』 監督・脚本  原田眞人さん

映画評論家としてキャリアをスタートし、1979年『さらば映画の友よ』で監督デビュー。『クライマーズ・ハイ』のような社会派ドラマから『わが母の記』のような文芸作品を題材としたものまで、幅広く手掛ける原田さんの最新作は『日本のいちばん長い日』。1945年8月15日の知られざる真実を描いた本作の公開に際し、ご自身のことやクリエイターへのアドバイスなど、お話を伺いました。

 

■ 渡米して感じた、映画の脚本が持つ“多様性”

IMG_9152映画監督を意識して作品を観るきっかけになったのは、ドン・シーゲル監督の『突撃隊』という戦争映画でした。監督の仕事について分かり始めたのは19~20歳くらいで、その頃には将来、自分が監督になりたいと思っていました。小学生の頃から親に連れられ京都に行って、東映や大映の娯楽時代劇の撮影を見学する機会もあったことは大きいですね。撮影現場は心地よいものだと子ども心に感じました。

1972年、ロンドンで半年間の語学留学をした頃は、一番多くの映画に触れた時期でした。その頃にピーター・ボグダノヴィッチ監督の『ラスト・ショー』の映画評を、キネマ旬報に寄せたのが、原稿料をもらった最初の記事です。
翌1973年に、南カルフォルニア大学の映画芸術学部に入るため、ロサンゼルスに渡ったのですが、ジャーナリストビザでの渡米だったので、学生ビザを取得しなくてはいけなくて。一つの大学に入ってトランスファーされるには平均的に成績が良くないとダメなのですが、それに気づいた時にはもう遅くて(笑)仕送りで大学に入ることもできたのですが、トランスファーできないと分かった時に諦めて、映画ジャーナリストとしての活動を始めました。

ロサンゼルスに渡ってから映画の脚本を読むようになったことで、強く日米の違いを実感しましたね。日本の脚本がパターンにはまりがちなのに対して、アメリカには、非常に多彩な脚本のスタイルがあります。
その後、メジャーリーグ観戦でも同じことを感じたのですが、日本ではピッチャーもバッターも、コーチが型にはめようとする傾向がありますが、アメリカでは本当に個性の強い選手が多くて。千差万別なのが面白かったですね。野球と同じように脚本にもいろいろなスタイルがあって、その多様性こそが特徴だと思いました。多様性は民族の違いにも根ざしていて、その幅の広さが自分に合っていましたし、当時の環境から受けた影響はとても大きかったです。

 

■ 自己を投影して描く「家族の風景」

IMG_9178監督デビューとなった1979年の『さらば映画の友よ』以来、作品数も増えてきましたが、撮るにあたって自分が惹かれる題材には共通する部分もあると思っています。
それは「家族関係」や「家族の食卓」などの風景です。

例えば『クライマーズ・ハイ』は新聞社という疑似家族のような関係の中で、家族を失った男が、どう家族を再生させるかという物語です。『わが母の記』では初めて濃密に本物の家族を描きましたが、そこには自らが育ってきた「大家族の食卓」の風景が投影されています。

大家族の食卓を挟んだ会話の応酬で、その中に敵、味方もあるような…そのような光景を描くのは、日本映画はあまり得意ではありません。
日本映画は、限定された撮り方の中で、黒澤明監督ありきで歴史を重ねてきましたが、小津安二郎監督が描く家族像には、とても惹かれるものがありました。そこに感じられるのも自己の投影で、それはイングマール・ベルイマン監督にも共通するところです。

ベルイマン監督は小津監督の作品が好きだったようで、その素晴らしさに何度も言及しています。ベルイマン監督は90歳近くまで生きて、小津監督は60歳で亡くなってしまいましたが、両者とも映画作りのプロセスでは、最後まで進化し続けているんですよね。両者とも、人間関係の濃密さを自分の生き様に照らし合わせて描く素晴らしさがあります。なので、僕自身もベルイマン監督のように90代まで生きて、しっかりと親子関係を見据えた物語を作れたら、と思い描いています。

 

■ 機能や日常の様子なども調べて、徹底的に追求して描いた軍事課

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

今回、1945年8月15日の知られざる真実を描いた『日本のいちばん長い日』の撮影を前に、役者陣にはシドニー・ルメット監督の『丘』という作品を薦めました。日本映画で軍人を描くとなると、オーバーな芝居になることが多いように感じていたので、それとは対照的に抑揚のついた、身のこなしと演技の質の高さが共存するような、イギリス風の芝居をイメージして欲しいと思ったからです。

さらに、松坂桃李さん演じる若手軍人たちが所属している軍事課の描き方には留意しました。僕の中では、『クライマーズ・ハイ』でいう新聞社の編集部が持つ活気で軍事課を描きたかったので、機能や日常の様子なども調べて、空間も含めて徹底的に追求して描きました。そうしないと、本土決戦の主張も上滑りになってしまうし、若手の彼らが普段、どういうところに立って、どんなことを話しているのか、阿南陸軍大臣との関係はどうだったのかを追求することで、阿南陸軍大臣の苦悩も描くことができると思ったので、軍人の全体的な行動と描写には神経を使いましたね。

 

■ どこまで闘えるかを見極める

これから映像制作などに携わる方に伝えたいのは、“どこまで闘えるか、その見極めが大切”ということです。闘わなければいけないことは絶対ですが、どこで引くべきか、どこまで突き進むべきか、それは経験則でしかないので、我慢しないでぶつかって、積み重ねていくしかないと思います。もちろん、失敗することもあるかと思いますが、若い頃にそういう経験をして「七転び八起き」で、一回プラスして起き上がれば良いと思います。

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

僕自身も、まさにそのような“闘い”を積み重ねています。例えば、映画のポスター。映画の撮影時は、監督は現場を動かすトップの立場ですが、完成した途端に、配給会社の宣伝部などに権限は移り、宣伝方針が決まりましたと、事後承諾に変わります。そのため、意に沿わぬポスターを作られてしまって、それを逆転することができなかった時もありました。

この『日本のいちばん長い日』も、最初に出てきたポスターの案に納得がいかず、このポスターの前で話してと頼まれても、やらないと言いました。すると配給を担当する松竹のトップが間に入ってくれて、こちらの希望が通ったんです。なので、ポスター監修というよりは闘いです(笑)

敵も随分作ったし、いまだに邪魔する人もいますが(笑)守ってくれる人もいて、何とかここまで来られたと思っています。今でも松竹のナンバー1、2と良い関係を作れているのは、きちんとぶつかってきたことがベースになって信頼関係ができているから。そこは一気には作れないから。そういう意味で、あがけるときにはあがいた方が良いので、閉じ込めて我慢しない方が良い、というのは伝えたいですね。

ただ、もう一つ伝えておきたいのは、人に好かれる人間と好かれない人間というのはあるので。人に好かれていない人間が、あがいていろいろ言うと永久に葬られるから(笑)まず、人に好かれるような人間になるように努力すべきとか…。そこは自分を見極めることが大切で、自分がどのくらい嫌な人間に思われているのかを確認しながら、その中で戦略を練っていかないといけないですね。

また、映画の場合は古典から学ぶべきことが多々あります。日本映画では、小津作品、黒澤作品に加えて、余裕があれば溝口健二作品とか、市川崑作品に広げて観て、それらの中から自分にとってのメンターを見つけていって欲しいですね。時代が変わっても色あせない、面白い作品はたくさんあるし、そういうものを発見した時の喜びがクリエイターの明日を創るエネルギーになるのだと思います。


■作品情報

『日本のいちばん長い日』
8月8日(土)、全国ロードショー

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

(C)2015「日本のいちばん長い日」製作委員会

役所広司 本木雅弘 松坂桃李 堤真一 山﨑努
監督・脚本:原田眞人
原作:半藤一利「日本のいちばん長い日 決定版」(文春文庫刊)
配給:アスミック・エース、松竹

■オフィシャルサイト

http://nihon-ichi.jp/index.html

原田眞人(はらだ・まさと)

1949年、静岡県出身。79年『さらば映画の友よインディアンサマー』で監督デビュー。95年『KAMIKAZE TAXI』は海外でも高い評価を受け、その後『金融腐蝕列島[呪縛]』(99)、『突入せよ!「あさま山荘」事件』(02)、『クライマーズ・ハイ』(08)など話題作を立て続けに送り出す。11年に監督した『わが母の記』で第35回モントリオール世界映画祭審査員特別グランプリを受賞。社会派作品のみならず『伝染歌』(07)、『魍魎の匣』(07)、『RETURN(ハードバージョン)』(13)などエンタテインメント性の高い作品も手掛けている。近作に『駆込み女と駆出し男』(15)がある。 

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