――「映画はみんなでつくるもの」。その意味を真につかんだときから、監督・前田哲の作品は力を放ち始めた。一丸となって臨んだスタッフが俳優陣を輝かせ生まれた、優しさで満たされたかぐわしい映画「花まんま」。だれかを大切に想う気持ちが力になる。たとえもう会えなくても、その人を想う気持ちに守られる。いま満開に咲き誇り、ふれたすべての人を幸せにする。――
一度はあきらめた映画化だった
最初に朱川湊人さんの短編集『花まんま』を映画化したいと思ったのは2008年頃で、ものすごい熱意で挑んだのですが叶いませんでした。朱川さんの小説はずっと読ませていただいていて、実は朱川さんのデビュー作『都市伝説セピア』もぜひ映画にしたいと思っていたぐらいで、そちらもうまくいきませんでした。当時の僕はヒット作もなく、受賞歴もない、無名監督のひとりに過ぎませんでしたから。以来『花まんま』の映画化についてはあきらめてしまっていたのですが、あるとき出版元である文藝春秋の菊池光一郎さんが、17年前の僕の熱意を覚えていてくださっていて、「まだ映画化への意欲ありますか?」と声をかけてくださったんです。菊池さんは、映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」(18)と「そして、バトンは渡された」(21)でもお世話になった方で、本作「花まんま」には工員さんのひとりで出演もされています。それで映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」をとてもほめてくださった東映の須藤泰司プロデューサーにお話ししたら、映画化の企画を通すためのプロットをつくってみましょうかという話になりました。
原作は兄妹の子供時代の物語で、大人になってからの兄妹については、「妹のフミ子は明日、学者肌の男と結婚する」といったことがラストに数行書かれているだけなんです。映画にするなら、大人になってからの兄妹、原作に登場する兄妹のその後の話を描き、王道ですが最後は妹の結婚式で迎えるということ。もうひとつは、若くして亡くなった繁田喜代美という女性の記憶を持って生まれてきたフミ子は、喜代美を失い悲しみに暮れる繁田家のことをずっと心配し関係性を続けていたんじゃないかと。僕が須藤プロデューサーにお話ししたのはこの2点だけで、あとは須藤プロデューサーにお任せし、自由にプロットを書いていただきました。それからふたりで話し合いながらものすごく細かいロングプロットをつくり、2019年に正式に映画化が決まりました。
ツツジ公園の場面は映画のエポックだと思います
須藤プロデューサーはテレビドラマ「相棒」や映画「探偵はBARにいる」シリーズ(11ほか)などで脚本も手がけられていて豊富な経験値がある方なので、新たに脚本家を迎えるより、脚本もそのまま須藤プロデューサーにお願いしたいと思いました。脚本家・北敬太さんは須藤プロデューサーの筆名です。ライターの北さんはシナリオのセオリーをきっちりご存知の方で、見事な構成を考えてくださった。それに対して僕は感覚的に足りないと思ったことや意見を出したりしながら、約3年かけて脚本を仕上げていきました。須藤プロデューサーと僕は、脚本家のニール・サイモンやハーバート・ロス、ビリー・ワイルダーといった監督の世界観が好きで、そういった共通項をベースに、あと「天国から来たチャンピオン」(79)という名作へのシンパシーがすごくありまして、映画冒頭の夢のシーンはそのオマージュです。それと「男はつらいよ」ですね。映画がよく寅さんの夢のシーンから始まりますよね。寅さんにはすごくリスペクトがあって、脚本で行き詰まると、「こういうとき、山田監督ならどうする?」と考えたりもしましたね。同じ兄と妹の話だけど、渥美清さんの寅さん、倍賞千恵子さんのさくら、監督の山田洋次さんの世界観で想像を巡らせ、じゃあ、こちらはどうしようかと、アイデアの手がかりにさせていただいたこともありました。
ツツジ公園の場面は映画のエポックだと思います。子供時代に妹のフミ子が兄の俊樹に頼み事をし、大人になった俊樹とフミ子が決裂する。兄妹の大きな分岐点として登場するのがツツジ公園です。兄妹の父親は事故で亡くなっているのですが、俊樹には父親の思い出がたくさんある。でも小さかったフミ子には父親の思い出がない。なので兄に父親がどれだけお前のことを愛していたかと言われてもわからへんわけです。フミ子が父親の愛情を感じられるのは、記憶を受け継いだ喜代美の父親・繁田のお父さんを通してだったという。そこは原作と違う、とても秀逸な要素のひとつだと思っています。
亮平さんと有村さんの兄妹だからこその映画
キャスティングもプロデューサーたちと相談し、兄の俊樹は鈴木亮平さんにお願いしたいと思いました。キャラクターに合っているのはもちろんですが、すごく個性的な役や難しい役は演じていらっしゃいますけど、亮平さんの普通の「兄やん」っていうのを僕は見たことがなかった。大阪のそのへんどこにでもいるような兄やんを演じるのって難しいんです。普通の人、日常の自然な芝居が、一番難しいと僕は思っているんですけど、亮平さんならできるし、ぴったしやなって思ったんです。
兄が亮平さんとなると、妹はだれがいいか。兄と妹が主人公ですし組み合わせはとても重要です。初共演という新鮮さもあって、なおかつ関西弁が話せる同士ということと、美しいだけじゃなく芯が強い、妹として自然なたたずまいと存在感がある方ということで、おのずと有村架純さんの名前があがってきました。亮平さん(兵庫県西宮市出身)と有村さん(兵庫県伊丹市出身)は実際に隣町のお生まれだそうで、亮平さんと有村さんの兄妹だからこそこの映画は成立したと思うし、いまとなってはおふたり以外の組み合わせは考えられません。オール阪神・巨人さんは須藤プロデューサーのアイデアです。「どう?」って聞かれて、「もうピッタリじゃないですか!」ってことで当て書きしていただいて本当にハマリ役でした。お父さん役の酒向芳さんをはじめ、キムラ緑子さん、六角精児さんの繁田一家も本当の家族のようなたたずまいで素晴らしかったです。娘の喜代美を亡くした酒向さんの憔悴しきった姿には本当に胸を打たれました。ただでさえ細い方なのに10キロぐらい痩せて役づくりしてくださって。彼も特殊な役や恐い役が多いんですが、もともとあったかい方です。映画「花まんま」は本当に俳優さんの力によるものだと思っています。
亮平さんは何テイクやってもやっぱりいい
僕の強い思いでキャスティングさせてもらったのは、ファーストサマーウイカさんと鈴鹿央士くん。ウイカさんは本当に駒子そのものでした。当時はまだドラマや映画に出られる前でしたが、拝見してていいなと思ってお願いしました。普段の格好もキャラも駒子そのもので、「駒子や!」と会った瞬間叫びました。
フミ子の婚約者の太郎さんは、有村さんは同世代の方とはよく共演しているってこともあって、ちょっと年下という設定にしたんです。太郎はカラスの研究者でカラスともしゃべれるというのは、ライターの北さんのアイデアです。すごく心配気に、「こういうの大丈夫かな」って相談してくださりましたが、「メチャメチャおもろいじゃないですか! 素晴らしい」って。ただ、そこを浮いた感じにならないようにどう着地させるかは考えました。そのためにも央士くんが必要だったんです。カラスとしゃべって違和感ない人、ちょっと天然だけど、優しい雰囲気をたたえている人って考えたら、央士くんしかいないって思いました。
東大阪市が舞台のお話しなので、セットは東映京都撮影所、ロケも関西と近畿、出演者もオール関西の方でとこだわりました。撮影は毎回日々楽しいものですが、裏返すと日々大変。でも、今回僕は環境的にとてもやりやすかったんです。京都での撮影は京都撮影所が全面的にバックアップしてくださるし、ロケ場所も90分圏内でほぼ全部できました。僕は京都撮影所から30秒の旅館に泊まっていたので、もう映画にどっぷりつかって、ずっと映画のことに集中だけできる、そういう意味では至福の時間でした。そういった環境でやらせていただけたことは本当に嬉しかったですし、東映京都撮影所にとっては純粋な東映作品で、現代劇の映画を撮るのが「社葬」(89)以来らしくて、みなさん力が入っていました。見事な結束力で、スタッフも全員関西弁で雰囲気もよかったですし、俳優さんにとっても演じやすい環境だったと思います。
撮影は2024年春、兄妹の子供時代から撮って、フミ子の結婚披露宴は最後のほうに撮影しました。亮平さんのスピーチは、亮平さんのアイデアとライターの北さん、そして僕の意見を出し合ったなかで生まれたものです。亮平さんが撮影で経験したことや想いが、俊樹のスピーチにも活かされています。スピーチの場面は、列席者の方々それぞれのリアクションも撮らないといけないので、亮平さんには何度か演じていただきました。亮平さんは基本的にテイクワンがいいので、スピーチの撮影も最初が一番よくて力強かった。でも亮平さんは何度やってもやっぱりいいんです。熱量も含めて落ちない。素晴らしい俳優さんです。
小学4年生の頃には映画業界に入ると決めていた
僕は大阪生まれで、子供の頃は大相撲大阪場所とタカラヅカによく両親と行ってました。当時の僕のアイドルは、タカラヅカのトップスター・鳳蘭さんで、小学4年生の頃には映画業界に入ると決めていました。僕らの時代は夜9時から、水曜ロードショー、ゴールデン洋画劇場、日曜洋画劇場とか週の約半分以上がテレビで映画が観られたので、その影響で映画好きになりました。愛読書は雑誌『スクリーン』と『ロードショー』で、僕のスターは、スティーブ・マックイーン、ポール・ニューマン、もっと渋いところで言うと、バート・ランカスター、リチャード・ウィドマークが大好きでした。あるとき友達が持っていた『LIFE GOES TO THE MOVIES』という本を見たら、スターだけじゃなく裏方の写真も載っていて、当時は監督とプロデューサーの違いもわかりませんでしたが、「こっち側の人になりたい」って思っていました。 小学校の卒業文集には、インカムつけてカチンコを持っている不思議な絵と一緒に、「映画のプロデューサーになりたい」と書いていました。
映画館に通うようになったのは高校時代です。僕が通っていた高校が大阪の桃谷で、近かったミナミによく映画を観に行っていました。学校に行くより映画館に行って、ほとんど洋画を観ていましたね。僕は日本映画デビューが遅いんです。高校卒業してから映画の専門学校に入るために19歳で上京し、早々に東映東京撮影所でアルバイトを始めたのですが、小津安二郎監督や成瀬巳喜男監督、黒澤明監督ら日本映画を一気に観始めたのはその頃からでした。東映東京撮影所でセットのバラシのアルバイトをやって、それから美術見習いとしていろんな作品に参加させてもらい、1、2年経ってやっと助監督になれた。当時はまだフィルムからビデオに変わる過渡期で、池広一夫さんとか、井上昭さん、井上芳夫さん、山本迪夫(みちお)さんら映画監督の方々が、2時間のテレビドラマをたくさん撮られていたんです。僕は恩地日出夫監督の現場で、伊丹十三監督の助監督と知り合い、それで、初めて映画「私をスキーに連れてって」(87)に助監督として入ることができたんです。
伊丹監督は「面白いね」って、僕のアイデアを気に入ってくださった
助監督としていろんな監督の作品に参加しましたが、もっとも影響を受けた監督のひとりが伊丹監督です。僕がついたのは映画「マルサの女2」(88)。助監督の一番下のペーペーでしたけど、本当に楽しかったです。助監督の一番下って美術の担当なのですが、俳優さんが身につける時計、靴、帽子にメガネ、宗教法人のお話だったので数珠とか、それらすべてを美術部さんに準備してもらうわけです。それまで求められていたのは、「当たり前」なんです。ちょっと面白いことを考えると、「もういいんだよ、普通ので」って言われてきた。でも伊丹監督は「面白いね」って、僕のアイデアを気に入ってくださった。これが僕にはものすごく大きかったんです。そもそも伊丹監督ご自身が徹底的にこだわる方ですから。お金を運ぶのも、よくあるのは黒いバックですが、目立つように紅白のシマシマの紙袋なんです。運び屋の女に手を貸す駅の手荷物預かり所の主任は、映画の中で2回しか登場しないから、観客の記憶に残るようにと顔に大きなアザをつけたりする。ひと目で「あ、あの人だ!」ってわからせるために。「デフォルメして見せるのがエンタメ」「映画って自由でいいんだ」ということを教えていただきました。
地上げ屋のドンで宗教法人の代表を演じる三國連太郎さんの衣装合わせでメガネひとつ決めるのに、メガネ屋が来たのかってぐらいにメガネを並べるんです。衣装合わせだって、1回では終わらない。3回、4回当たり前ですから。そうしてキャラクターをゼロからつくっていくんです。三國さんが最初の衣装合わせにひげボウボウ髪ボサボサで、地上げ屋役だからいかにも荒くれ者って感じで来たんです。それが次の衣装合わせのときには、ヒゲを全部そってオールバックで来た。あ、そう来ましたかっていう(笑)。そこは俳優さんと監督のせめぎ合いでもあって、伊丹監督のイメージを超えるものを三國さんはまた持ってくるわけですよね。伊丹監督が全部決めているようで、もちろん最終的に決めるんですが、他人(ひと)の発想をどんどん取り入れる。伊丹監督ご自身がものすごい才人で、だれよりも発想豊かなのに、プロフェッショナルのカメラマンであり、照明であり、美術スタッフのアイデアもどんどん吸収して活かす。素晴らしいなと思いました。
俳優さんみずから発したものが一番強いんです
僕がオムニバス映画「ポッキー坂恋物語 かわいいひと」(98)で監督デビューしたとき、総監督の相米慎二さんに「お前ひとりの頭で考えたことなんて知れている。スタッフ100人いたら100個の頭を使えるんだぞ」って言われたんです。伊丹監督と同じ発想ですよね。それは僕の中で大きな要素になっています。もちろんイメージは大事で、監督として持ってないといけないのですが、俳優さんみずから発したものが一番強いんです。「ここでこういう表情で」と僕が考えて決めたものより、現場で俳優さん自身から出てきた表情、「え、ここでその表情するの!?」というほうが面白いわけです。僕が驚くってことは観客も驚くわけですから。「花まんま」の撮影の山本英夫さんとは何作もご一緒していますが、「カメラをここでこう動かして」って僕は考えているのに、全然違うところにカメラが行ってたりして、「山本さん、なんで!?」ってことがあるんですけど、結果それがよかったりするんです。なので、こだわってもいいんですが、固執しないことって大切だなって思っています。
映画「sWinG maN スイングマン」(00)では、目線1ミリを指示していました。あんまりよくないと、なんとなくわかってはいてもできないんです。監督が指針出さなきゃいけないとか、自分が決めなきゃいけないっていうカセがあったので。それに自分が旗持って走らなきゃいけないって気負いもありました。ターニングポイントは、映画「ブタがいた教室」(08)です。6年生のクラスで卒業までの1年間、最後は食べる約束で子ブタを飼い始めるという、実話をもとにした映画です。台本はちゃんと用意していたんですが、自分で感じたことを自分の言葉で言いなさいと子供たちには白紙の台本を渡していました。自分たちが育てた子ブタを最後どうしたいか、子供たちの考えや思いを活かしてあげたかったし、活かすことで映画が生きるんじゃないかという思いでした。
映画しかやれなかった不器用さが幸いした
僕のようなキャリアの監督は、いまとなってはほとんどいない。特別天然記念物に指定してもらいたいくらいですし、しかも絶滅危惧種です(笑)。メジャー作品で3本ぐらい大コケしている僕が、ずっと映画を撮り続けてこれたのも奇跡だと言われています。2012年頃から何年か映画を撮れない時期があって、そんなときに映画に引き戻してくれたのが、松竹の石塚慶生プロデューサーでした。僕はデビューしたときもけっこう声はかけていただいていて、いい作品は撮っていても、ヒット作がなかった。僕としては必死でやってきましたし、映画に真摯に向き合ってきたつもりではいました。でもやはりヒットさせないと、監督としては厳しいんです。なぜそんな僕に、石塚プロデューサーは声をかけてくれたのか。演出力はそれなりにあって、俳優さんとの関係性もちゃんと築けるのに、結果が出せない。あなたこのまま終わっていいんですか?ってことだったのかもしれません。それで石塚プロデューサーに、30本企画出してくれって言われて出した企画は全部ダメで、やっと出せたのが「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」でした。「バナナ」は本当に大きな転機でした。
石塚プロデューサーに「バナナ」は、「いい企画だけど3年かかりますが、覚悟ありますか?」って言われて「大丈夫です」と。僕が恵まれていたのは、CMの世界に縁があったことです。食えないときに、ありがたくCMの仕事が巡ってきて、ギリギリやっていけました。僕は普通のバイトはあんまりしたことないんです。周りの優秀な助監督がみんな映画業界以外のバイトをして、そっちの世界に行ってしまう人が何人もいたんですよね。仕事できるのにみんな違う世界に行っちゃって。僕は普通のバイトが苦手で好きじゃなかったし、映画のことしかやらなくなったっていう、逆に不器用さが幸いした。そういう意味でもラッキーだったんです。
育てていただくのは観客のみなさん
映画って毎回、こういう形で着地できたのが奇跡だなと思っています。そのときにできることを精一杯やる、だけどあとから振り返れば、あのときもっとこうすればよかったということはあると思うんです。なので僕は映画を観直さない。完成したあとは二度と観ず、観客に届けたら終わりです。もう僕のものではないし、そこからは観客のみなさんにどう育てていただけるか、可愛がっていただけるか。監督には3回別れがあって、撮影終わりで現場でほとんどのスタッフとキャストと別れ、次に編集や仕上げ作業が完了し映画の完成とともにスタッフ全員と別れ、最後は観客に手渡す映画の公開日。フミ子をお嫁に出すようなものです。
生みの親より育ての親って言いますよね。生んだとしても、育てていただくのは観客のみなさんなので、いい出会い、実り多い行く末を祈るしかないです。手放したくないなんて気持ちはまったくなくて、早く嫁いでほしい(笑)。小津安二郎監督の映画「秋刀魚の味」(62)の笠智衆さんのごとき思いです。央士くんじゃないけど、白馬の王子様に連れ去られて、嫁いだ先でみなさんに可愛がられて、可愛がられるってことは興行成績が上がるって意味なんですけど。なので、少なくとも映画の舞台になっている東大阪のみなさんには全員に観ていただきたい(笑)。いつもそうですが、6歳から100歳まで観られるようにつくってますから。寂しいかと言えば寂しいですが、でもこれまでよりは華やいでます。「花まんま」だけに。
大阪の下町で暮らすふたりきりの兄妹・俊樹(鈴木亮平)とフミ子(有村架純)。死んだ父との約束を胸に、兄として妹のフミ子を守り続けてきた俊樹は、フミ子の結婚が決まり、肩の荷が下りるはずだった。しかし実はフミ子には幼い頃から別の女性の記憶があった。フミ子が生まれたときに、若くして事件に巻き込まれ亡くなった女性の記憶が移っていたのだ。それから22年 ——— 結婚式の前日、フミ子が隠し続けてきた事実が発覚する。

キャスト:鈴木亮平、有村架純、鈴鹿央士、ファーストサマーウイカ、安藤玉恵、オール阪神、オール巨人、板橋駿谷、田村塁希、小野美音、南琴奈、馬場園梓、六角精児、キムラ緑子、酒向芳
原作:朱川湊人『花まんま』(文春文庫) 第133回直木賞受賞
イメージソング:AI「my wish」(UNIVERSAL MUSIC / EMI Records)
脚本:北敬太、音楽:いけよしひろ、企画プロデュース:須藤泰司、プロデューサー:北岡睦己、キャスティングプロデューサー:福岡康裕、音楽プロデューサー:津島玄一、ラインプロデューサー:谷敷裕也、宣伝プロデューサー:桝林宏明、撮影:山本英夫、照明:東田勇児、録音・整音:西山徹、美術:小出憲、編集:高橋幸一、装飾:大橋豊、小道具:岩花学、スタイリスト:荒木里江、衣装:宿女正太、ヘアメイク:石部順子、特殊メイク:吉田茂正、特機:横山聖、VFX:田中貴志、音響効果:佐藤祥子、スクリプター:渡邉あゆみ、キャスティング:高橋雄三、スケジュール:宮村敏正、助監督:西片友樹、製作担当:井上一成、プロダクションマネージャー:森洋亮、製作管理:福島一貴、プロダクション統括:小嶋雄嗣
制作プロダクション:東映京都撮影所、企画協力:文藝春秋、配給:東映
ⓒ2025「花まんま」製作委員会
4月25日全国公開
インタビュー・テキスト:永瀬由佳