2001年以降、約800作品が国際映画祭で上映され、600以上の賞を受賞してきたイスラエル映画。文化的にも歴史的にも西洋、アラブそしてオリエントが複雑に絡み合い、現代においても国際社会の注目を集め続けるイスラエルだからこそ描けるシリアスなテーマを扱った映画は、何かと話題が尽きません。一方でイスラエル国内の映画業界については、あまり語られてきませんでした。
イスラエル国内の映画学校で若手の指導もしているエラン・コリリン監督に、イスラエル社会そしてイスラエル映画の未来について直撃しました。初監督作『迷子の警察音楽隊』で第20回東京国際映画祭サクラグランプリを受賞したことで知られるエラン・コリリン監督。最新作『山のかなたに』は、独創的なラインナップで熱烈な映画ファンからの支持を集め続けている国際映画祭「第17回東京フィルメックス」の特集上映プログラム“イスラエル映画の現在”で上映されました。

映画製作の現場が私にとってホームだという安心感

父親が映画業界で働いていたこともあって、幼い頃から自分も映画業界に進むと思っていました。脚本家として何本か作品を作った後、テレビ局で働かないかと声がかかりました。テレビ局ではドラマの脚本を手がけていましたが、いつか自分で監督をしたいと思っていました。ある日プロデューサーに打ち明けると、数週間後にはドラマの1エピソードの監督をさせてもらえました。とても不安でしたが作品は高く評価され、続けて何本かドラマやテレビ映画を監督しました。
映画を作っている時が一番しっくりくるんです。映画を撮っているときは自分が何をすべきで、何ができるのか確信を持っています。父親の影響もあると思うのですが、撮影現場が私にとってホームだという安心感があります。

私の映画は全てテーマが似ていますが、それは私自身を描いているからです。
最新作の『山のかなたに』では、人生の折り返し地点に到達している私と旧約聖書に登場するダビデ王の物語を照らし合わせて作ろうと思いました。この物語では権力と地位はあるが若さを失ったダビデ王が、すでに結婚しているバテシバに恋をします。彼はバテシバを自分の妻にするために、権力と地位を使って彼女の夫を戦場に送り出すのです。ダビデ王は取り戻した男らしさと罪悪感の間で苦しみます。
しかし脚本を書いていくうちにキャラクターそれぞれの人格が広がりを見せ、一人一人の人生を描きたくなりました。結果的にダビデ王は脚本を書き出すきっかけではありましたが、出来上がった脚本はダビデ王の物語からかなり遠くなりました。

祖国を愛しているからこそ、イスラエル社会に潜む孤独と暴力を描く

『山のかなたに』はイスラエル軍を退役し、第二の人生を歩み出そうとしているダヴィドとその家族を描いています。ダヴィドはイスラエル軍では権力を持っていましたが、制度から抜けたことで権力、人格、男らしさを失います。彼には暴力的な面と、それでも周りを愛したいという葛藤があります。
ダヴィドの娘イファットは、ある意味私の代弁者です。彼女は自分の意思と行動そして結果が分断されていて、思い通りにならない人生に疑問を抱き、私の代わりに観客に訴えかけます。

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それぞれのキャラクターを通して現代社会の孤独の結果には何が待ち構えているのか、孤独と暴力の関係性を描きたいと思いました。
イスラエル国民は常に紛争や政治的緊張感の中で生きています。数キロメートル先には自分とは全く違う文化や生活レベルで暮らしている人々がいて、彼らと私たちの距離はフェンスや暴力で保たれています。人工的な平和そして安全はイスラエル社会に限ったことではなく、全世界に共通していると思います。
インターネットやSNSの普及で人々は自分の中に閉じこもり、他者との繋がりが薄くなっています。言葉をあまり使わず、コミュニケーションも短く淡白です。人々は孤独になると、内に秘めた想いを人に伝えたい、他者を愛したい欲求にかられますが、その感情が暴力として現れます。例えばドイツ出身の哲学者ハンナ・アーレントは著書『全体主義の起源』で孤独と暴力の出現、そして独裁者の誕生を説いてます。
『山のかなたに』はイスラエル社会に批判的だと捉えられる事もありますが、イスラエルへの愛を持って作りました。映画を通して緊張感のあるイスラエル社会で生きていくとはどういうことか、自分自身そして社会に問いました。

音楽のリズムとテンポを感じる映画

古くからイスラエルは中東とヨーロッパ文化の交差点でした。イランやモロッコ、エジプトからイスラエルに移住してきたオリエンタル系ユダヤ人、ヨーロッパから来たユダヤ人、そしてもともとのユダヤ文化が結合したことで、現在のイスラエル文化が誕生しました。またイスラエル国家の設立にあたり政府はユダヤの多様な文化的要素を合わせ、新たな伝統音楽を作りました。そのためイスラエルには多様な音楽文化があり、街中に溢れています。
私は映画を作る前にはたくさんの音楽を聞きます。映画のストーリーも重要ですが、次に重要な要素はテンポだと思います。私は心地のよい音楽的テンポが感じれる映画を心がけています。1作目の『迷子の警察音楽隊』はアラブ音楽、2作目の『The Exchange』はバッハやモーツァルトなどクラシックを聴いていました。
今回の作品はイスラエル社会が抱える問題や言葉にならない感覚を描きたかったので、イスラエルの伝統音楽をたくさん聴きました。イスラエルの伝統音楽はどんなにポジティブなテーマを歌っていても悲劇を感じさせます。それは本作そして現在のイスラエル社会を的確に表していると思います。

完璧を求めなくなって気づいたこと

『山のかなたに』の製作スタッフやキャスト全員が、現在のイスラエル社会が抱えている問題と本作の社会的意義を理解していたので、私は初めて深く考え込まず気の向くままに撮影を進めることができました。

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私は若い頃いつも完璧を求めて真剣に考えすぎていました。今は物事をシンプルに受け入れることができるステージに到達したと思います。
私はこれまで撮影中は全てをコントロールしないと気が済みませんでしたが、完璧でないこと、そしてそれを受け入れることは成長の一つだと気づきました。シンガーソングライターで詩人のレオナルド・コーエンの曲『Anthem』で歌われる「There is a crack in everything.That’s how the lights get in」という歌詞が好きです。完璧であるよりもキズを持つことで、そこから光が差し込むと歌っています。

近年イスラエル国内で多くの映画が製作され、イスラエル映画が多様になっています。それは1999年に新たに制定された「映画法」によりイスラエル政府とテレビ業界から毎年多額の資金が映画製作に提供されるようになったからです。このシステムはとてもよく機能していています。「映画法」は映画製作への政府の介入を禁止しているので、政府に左右されずに自由に映画を作ることができます。一方で芸術的すぎてオーディエンスとのコミュニケーションを無視してしまう若い監督が増えていることが心配です。作品の多様性はいいことですが、偏っている作品は観客の劇場離れの原因になってしまいます。若い人たちには映画の芸術性にストイックにならず、観客とのコミュニケーションを意識して常に新しいことにチャレンジしてほしいと思います。