アニメプロデューサーの陸星程は、中国人でありながら日本を拠点に世界に向けジャパンアニメーションの制作に挑んでいる。
中国人の陸だからわかる日本アニメの真の力。
「日本のアニメーターたちと一緒にいい作品をつくり、制作環境を整え、そして日本、中国、韓国……国籍に関係なくいいアニメーターを育てていきたい」
いいアニメがいいアニメファン、アニメ制作者を育て、アニメの未来をつくる。
世界市場を見据えてきた日本アニメ界の長年の夢を、日本アニメに夢をもらった中国の少年が現実にする。

 

日本アニメは無限の可能性

アニメーションスタジオの東京・絵梦(えもん)は2015年10月に設立されました。僕は立ち上げから参加し、執行役員兼プロデューサーを務めています。絵梦の本社は上海です。中国では主にアニメをパソコンやスマートフォンで見るんですが、絵梦はネットアニメ制作の第一人者として知られています。その絵梦の世界に向けての活動拠点として、東京・絵梦はつくられました。中国で日本の素晴らしいアニメを見て育ってきた僕らは本当に心の底から思っています。日本アニメの第一市場は“世界”です。僕らはジャパンアニメーションをブランド化し、アジア、そして世界に売ることに無限の可能性を感じています。
もうひとつ、僕らが日本にこだわる大きな理由は、確立されたアニメ制作システムと、何よりアニメーターの優秀さです。気質的な問題かもしれませんが、日本のアニメーターの腰を据えた職人的な仕事は中国人には難しいと感じています。
日本で人気が出た作品は必ず中国でも人気が出る、日本での成功は世界で成功する必須条件です。僕らの夢は、東京・絵梦発で日本のマンガや小説を原作にアニメを制作し、中国、そして世界に発信することです。そのために信頼を得られるよう、いまは実績づくりに努めています。
僕は1985年に中国の蘇州で生まれました。中国の1990年から2000年の10年間は不思議な時期で、毎日テレビで日本のアニメが放送されていたんです。だから僕らの世代は日本のアニメをたくさん見ていますし、それらから多大な影響を受けています。いまの中国の子供はテレビで日本のアニメを見ることはほぼできません。いいアニメを見て育つことができた僕は、本当にいい時代に生まれて幸せだと思っています。

一人之下 the outcast
「一人之下 the outcast」©TENCENT
(TOKYO MXにて、毎週土曜日21時から放送中)

大学生の張楚嵐(チョウ・ソラン)と超能力を持つ〝異人〟たちとのバトルアクションアニメ。張の数奇な運命が次第に謎解かれていく。原作は中国のHAOLINERS(ハオライナーズ)、上海・絵梦が企画し、制作を日本のアニメーターチームが手がける。

 

いいものはいい!

ディズニーアニメなども放送されていましたが、僕は日本アニメが一番でした。子供の頃好きだったのは「へーい!ブンブー」と「聖闘士星矢」。日本では1週間1話ですが、中国は1日1話放送、しかも大手テレビ局で放送された作品が、そのあと各地方局で順番に放送されるんです。一度見たものも別の局で放送が始まるとまた見る。また違う局で始まるとそれも見る(笑)。当時放送されていた日本アニメは全部見ていました。
日本のマンガも大好きでした。台湾から入ってきた海賊版でしたが、それしか日本のマンガを読む手段はなかったんです。もちろん当時はそんなことは知らずに純粋に楽しんでいました。中学になると自分でもマンガを描くようになり、やがてJ−POPやトレンディードラマにもハマり、ますます日本のコンテンツや文化に興味を持つようになりました。
高校はデザインや服飾の勉強ができる学校に進んだんですが、国語の先生が日本に否定的で「日本のコンテンツは毒だ」と言うような人でした。そこで改めて真剣に考え、自分がどれだけ日本のコンテンツに影響を受けてきたのかを痛感しました。特にマンガの「ONE PIECE」と「NARUTO -ナルト-」は、僕にとってかけがえのない作品です。「NARUTO -ナルト-」の主人公と共に僕も成長してきましたし、何度もアニメやマンガの仕事を諦めそうになったけれど、いつも「ONE PIECE」に励まされてきました。だから僕は国語の時間に作文を書きました。「日本のコンテンツをちゃんと知ろうともしないで、歴史や政治的な問題で全否定してしまうなんて間違っている。いいものはいい! 僕は『ONE PIECE』に夢を持つ大切さを教えてもらった。先生も読んだほうがいいです!」と(笑)。その頃から、いつか日本に行って、中国にいて与えられたものじゃない、自分で直接日本のコンテンツに触れてみたいと思うようになりました。

 

アニメで見る夢

高校3年生のときに難関を突破し、日本に留学できるチャンスを得ました。日本に来たのは10月10日。その日に『週刊少年ジャンプ』を買いました。感激でした。「これが『ジャンプ』か!」って(笑)。1年間日本語学校に通い、翌年アニメの勉強をするために日本工学院専門学校 クリエイターズカレッジ マンガ・アニメーション科に入学しました。
日本工学院ではたくさんのことを学びました。僕は背景コースを選択したんですが、技術以上に想像力が大事だということや、日本のコアなアニメファンの考え方や趣向も知ることができました。卒業後は2007年から1年間学生課で教育アシスタントを勤め、日本の組織構造や社会人としてのマナーを学びました。いまそれがすごく活きています。その後、制作進行の経験も積み、勤めていた会社が中国の無錫(むしゃく)にアニメ会社をつくるということになり、2009年に帰国しました。
当時中国はまさにアニメバブルでした。不動産屋などアニメに対する愛情のカケラもない人たちが参入してきて、質の悪いアニメが量産されていました。彼らの頭の中はどうすれば国の支援がもらえるかといったことばかり。あまりに情けなく悲しかった。その頃から、中国で良質なアニメを制作できる環境をつくりたいと強く思うようになりました。それで無錫で出会った本当にアニメが好きで技術も意欲もある仲間数人と上海に行きました。無錫での日々は辛かったけれど、絶対にいいアニメをつくるんだという闘志を持つことができましたし、あの地獄を思えば、作品のためにならどんなキツイことも耐えられます。
上海でアニメ監督の李豪凌(リー・ハオリン)さんと知り合い、2014年後半から僕が李さんの立ち上げた絵梦に加わり本格的に活動を始めました。いろいろな企画を立ち上げ、制作は韓国で行いました。韓国は日本のアニメを制作しているので、人材と環境が整っていたんです。もちろん僕たちは最初から日本に行きたかった。でも日本のアニメ業界は中国の僕たちとやることに抵抗がある。それでまず韓国と一緒にいい作品をつくり、その実績をもって日本に行こうと考えました。そして2015年に、念願の東京・絵梦設立が叶ったわけです。
いろいろありましたが、僕はいまちゃんとアニメの仕事ができています。もちろんこれからも続けていきます。社名の絵梦というのは、「絵でつくる夢」という意味です。いいアニメをつくって、僕が日本のアニメにもらった楽しさや幸福感を、中国、そして全世界の人たちに体験してほしい。時間はかかるでしょうが、人生をかけてやるしかない。アニメに人生をかけるのはもう何度目(?)ですが(笑)。ここ日本から、「はじめの一歩」です。

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