CGクリエイターとして才能を開花させていた米塚圭。
だがみずからその道を断ち、人を活かし、プロジェクトを円滑に進めるためのステージやシステムづくりに奮闘している。
「CGクリエイターはディレクターってところで道が定まってしまうんですが、この仕事は人との出会いも多いし、知識量を増やすことで、将来の選択肢も広がる。非常に自分の可能性を広げやすい仕事だと思います」
ものづくりの現場では多くの人間が働いている。それだけに、人を束ね動かす力が必要とされる。参加者全員に各自の役割の認識をはかり、ヒエラルキーを確立し、プロジェクトの進行状況をだれもがわかるよう公開する。そして重要なことは、一人ひとりの「ほしい」を知ること、心をつかむこと。
「考えてみれば、人の心を動かすことができないなら、CGをやる意味なんてないんです。CGを志したときから、それを突き詰めてきたように思います」
どうすれば気持ちよく仕事をしてもらえるか、どうすればプロジェクトの成功のみならず、かかわった人間にプラスとなるのか、そしてCG業界の発展のために何ができるか・・・・・・。だれか、何かのために力を尽くしたいと願うとき、人は大きく成長をする。日本のクリエイターを、映像業界を愛するものとして、米塚はみずからの使命を見い出し始めた。

 

■ アニメオタクだった兄に自然と鍛えられていた

プロダクションコーディネーター(制作進行)とは、プロデューサーから予算をもらい人員体制を決め、制作現場で起こるざまざまな問題を調整しながら、プロジェクトを円滑に進め、予算内でスケジュール通りに作品を完成に導くという仕事です。手がけているCGは、ゲーム、映画、パチンコ、Webなど多岐にわたります。常に3本程度プロジェクトが同時進行しているので、抱えているスタッフは100人を超えます。ソフトじゃない、人間が相手の仕事だから、勉強しなきゃいけないことは、かつてCGクリエイターとしてやっていた頃より圧倒的に多いです。僕がうまく立ち回れないと制作自体が止まってしまうこともあるので、重要なポジションに立っているという認識はありますし、大変ですが、とてもやりがいのある仕事だと思っています。
僕は姉と兄がいるんですが、アニメオタクだった兄の影響もあって、子供の頃からアニメをよく見ていました。影響を受けた作品は、「天空の城ラピュタ」(86)。もしかしたら僕、セリフ全部言えるかもしれないです(笑)。それぐらい見ました。あと「新世紀エヴァンゲリオン」(95ほか)も、中学2年生の僕の心にはブスブス刺さったんですが、兄貴がのめり込んで見ていたので、ああはならんぞ、なんて思いながら見ていました。いとこもアニメが好きで、「AKIRA」(88)も同世代はだれも見てなかったけれど、僕は早い段階で見ていたし、小さな頃から自然といい作品に触れさせてもらい、レイアウトなんかも知らないあいだに勉強させてもらっていたような気がします。
高校時代は、夜は友だちの家に集まって、ゲームでひたすら遊んでいました。僕は運がよかったなと思うのは、小さい頃に、クオリティの高い日本を代表するようなアニメに触れ、さらに、プレイステーションやセガサターンが登場しゲーム業界が盛り上がっていた時代をリアルタイムで経験できたことです。すごく世代的には恵まれていたと思います。

 

■ 365日24時間、必死でCGと向き合った日々

母親がテレビや映画が好きだったこともあり、僕も映画が好きだったし、なんとなく映像業界に対するあこがれを持っていました。そんな中、映画「インデペンデンス・デイ」(96)や「スターシップ・トゥルーパーズ」(97)や、ゲームでもファイナルファンタジー7を境にCGのクオリティがどんどん上がっていくのを目の当たりにし、CGの可能性をすごく感じていたんです。
高校3年生のときにShade1を手に入れて実際に自分で触ってみたら、素人の僕でもコップぐらいならつくれるわけです。ますますCGに対する興味がわき、それで日本工学院専門学校の体験入学に参加しました。そこでMayaを触らせてもらって、瞬間的に、「これ、俺やれるな」って思ったんです。日本工学院では、授業はあまり真面目に出てなかったんですが、夜のラボの開放時間だけは必ず最後までいて、ひたすら自主制作に励んでいました。そのうち、CGをつくることより、ソフト自体の構造に興味が出てきて、おそらくMayaの知識に関しては、当時いた生徒の中で一番詳しかったと思います。
卒業後は、日本工学院の先輩に誘われて、CG制作会社アトリエ・ビトルに就職しました。徹夜で仕事して、家に帰ったら作品を見てレイアウトを研究して。先輩に教わるにしても、まず自分に知識がなければ話にならないわけですから、毎日必死でした。その後タツノコプロダクションに転職したんですが、CGクリエイターになって3年半、がむしゃらにやってきたけれど、ちょっと疲れたなって思って。それで思い切って仕事を辞めて、1年間ニュージーランドに行ったんです。僕はできるほうだったらしく、すぐ稼げるようになったし、周りからもずいぶんチヤホヤされ、逆にそれがプレッシャーになって、「どんなに時間がなくても変なものは絶対出せない」と、ちょっとノイローゼー気味になった時期もあったんです。ニュージーランドで世界中からきているいろいろな国の人と友だちになって、とんでもなく愉快な毎日を過ごし、すべてリセットできたような気がします。いまでも機会があれば海外で働きたいと考えていますし、思い切って行って本当によかったと思っています。

 

■ 相手が結果を出せる仕組みを考える――「仕事は思いやりだ」

帰国してからもCGクリエイターとして活動していたんですが、映画「ベクシル -2077日本鎖国-」(07)の現場が終わる頃、CG制作の経験がある管理職を探しているということで、現在所属しているアニマを紹介され、プロダクションコーディネーターに転身しました。映像制作というのは、根本的に集団作業なので、ひとりが突出していてもダメなんです。だからいかに気持ちよく、みんなで同じゴールを目指して走ってもらえるようにするかが、僕の仕事です。これまでいろいろ試行錯誤して、いま僕が常に気をつけていることは、「怒らない」、そのためにも「人に期待をしない」ということです。人がいつも100パーセントの力を発揮してくれると思うな、そうでなく、相手が100パーセントの結果を出せるよう、僕が組み方を考えるんです。そのためには、いかに細かい単位でワークフローを考えられるかが大事なんです。
僕の立場では、スキルがないから辞めてくれっていうのが一番イヤなんです。なぜならスキルは伸びるから。相手に過度に期待しないで、この人に何ができるのかを見極めて、確実にやれる仕事だけを任せる。それで0.1でも結果が出たら、たとえ0.1でもプラスなんです。それが相手のスキルアップにつながる。つまり、僕がその人にふさわしい仕事を与えることさえできれば、スキルは伸びるんです。僕がダメだと思うのは無知。知識を得る努力をしないことです。でもスキルが足りないというのは、僕には問題じゃない。「仕事は思いやりだ」――僕の座右の銘のひとつなんですが、「この人は何がほしいのか」「どうしてほしいのか」を、相手の立場に立って見つけ出し、それに対して答えを返せるようにならないと、人を動かす仕事はできないと思います。
映像制作は集団作業である以上、制作者としてやっていくために一番大切なことは、謙虚な気持ちで周りの人と協調しながらやるという意識です。それこそが業界が求めているスキルであって、それがある人は強いと思います。あとはまず目標を持つことです。「何やりたい?」って聞いたときに、「これなら得意だからできます」って人より、「監督になりたい!」って言っちゃうような人のほうが気持ちいいんですよね。やれるやれないなんて関係ないんです。「やりたいんだ!」って目標があること。この世界はそこからですから。

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フルCGアニメーション
Cat Shit One -The Animated Series-」(10)

アニマオリジナル3DCG作品。ハリウッドで活躍するVFXのプロフェッショナルで構成された団体VES(Visual Effects Society)の開催する第9回VESアワード・ショートアニメーション部門で、日本のアニメーション作品として唯一ノミネートを果たした。

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