糸井重里氏が、なぜ広告業界の第一線から離れ、「ほぼ日」という新たな挑戦を始めたのか?10月20日(月)に開催された虎ノ門広告祭のセッション「広告の人ができること」。ここで、小西利行氏と共に語られた糸井氏のキャリアの決断の裏にある思考を解剖する。

なぜ広告を出たのか? ―「自分で決められない」仕事からの脱却

糸井氏が広告の仕事から離れた最も核心的な理由は、クリエイターとしての根源的な欲求、すなわち「自分で決めたい」という衝動と、広告業界の構造との間に生まれた決定的なズレだったという。その感情の根本には「自分で決裁できない」という、創造の最終決定権を他者に委ねる構造へのフラストレーションがあった。

キャリア初期:
クライアントのトップと直接対話し、提案がスムーズに受け入れられました。競合プレゼンもなく、自分のクリエイティブがダイレクトに評価される、理想的な環境。

キャリア中期以降:
代理店が間に入る仕事が増え、「どうすれば通るか」が仕事の中心に。通りやすいからとスーツを着たり、クライアントの部長やその息子の好みまで考慮したりすることも。糸井氏はこの状況を「チーズ取りに行ったネズミが、迷路の抜け方ばかり上手になる」と表現。

この状況が続くなかで、彼はキャリアの先行きに具体的な不安を抱いていた。しかし、その当時、対照的に面白いと感じたのは周りに口を出されつつも時間をかけて作り上げた『MOTHER』シリーズだったといい、広告の仕事にはない「決裁のいらない仕事」に没頭できる、純粋な創造の喜びがあったそう。そして、最終的な転機となったのが「インターネットとの出会い」。糸井氏はそこに、情報のフラットな世界と、何より「自分で全部決められて決裁ができる」理想の場所を見出した。これが、現在の「ほぼ日」の原点へと繋がっているという。

広告屋だったからできること ― 今に活きる3つの思考

広告業界を離れたからといって、そこで得た思考をすべて捨てたわけではない。むしろ、その経験があったからこそできることがあるという。糸井氏が今でも意識的に使っている「広告屋の思考」とは、具体的にどのようなものだろうか?対談から読み取れる3つの本質的な思考を紹介する。

① 対象を孤立させない「伝え方」
広告は、多くの人にメッセージを届ける仕事。そのため糸井氏は、特定のターゲットだけに響くような閉じたコミュニケーションを好まない。例えば、一家の主人に語りかけているようで、隣にいる奥さんや子供が「何の話?」と興味を持つような、広がりあるコミュニケーションを面白いと感じている。これは、届けたい相手を社会の中で孤立させない、広告屋ならではの視点と言える。

② 相手を有利にする「思いやり」
対談の冒頭で、小西氏に愛用のパソコンケースを譲る際に添えた「無理やり渡します」という付箋のエピソードが紹介された。これは単なる洒落た言葉ではなく、受け取った相手が「お返しをしなくては」などと余計な気を遣わずに済むよう、あえて自分を低い位置に置くコミュニケーション術。この「自分はアーティストじゃない」というスタンスにこそ、相手の状況を最大限に配慮するプロフェッショナルの姿勢が表れている。

③ 期待に応える「技術者魂」
若い頃、ファッションブランド「J.PRESS」の担当者から「糸井ちゃんにはトラッドは無理だ」と言われたことがあるという糸井氏。その言葉に対し、彼は「できますよ」と仕事を引き受け、見事にやり遂げた。この行動の裏には、自分の技術を売るプロとしての気概があった。自分のスタイルに固執せず、求められることに応える職人的なプライドを示している。

仕事の選びかた ―「目的」よりも「気配」を信じる

このようなクリエイティブに対する考えを持つ糸井氏だが、仕事を選ぶ基準は、一般的なビジネスの考え方とは少し違っているようだ。対談の中で「やりたいことはない」と断言し、そのプロジェクトに「生命感」があるかどうかを嗅ぎ分けることから始まることを提言。その判断基準は、3つの要素に集約されている。

やまけ(山気)があるか:
「うまくいくと、わっと行くぞ」というような、大きく化ける可能性の「気配」を感じる仕事のこと。多くの人が競争するレッドオーシャンではなく、誰もいない海で宝島を探すような、ブルーオーシャン型の仕事に宿るポテンシャルを信じているという。

そのチームを優勝させたいか:
仕事の内容以上に、「この人と一緒にやったら面白そう」「このチームを勝たせたい」という、人間関係やチームへの貢献意欲が大きな動機になる。糸井氏にとって仕事とは、個人の能力を証明する場である以上に、仲間と共に勝利を目指すゲーム。誰とやるかが、プロジェクトの生命感を左右する重要な要素だという。

プロセスそのものが面白いか:
「完成に近づくほど自由度は減っていく」と話す糸井氏。そのため、明確なゴール(目的)を定めることよりも、粘土で創造物を作るように、仲間と試行錯誤しながら形作っていく過程そのものを楽しむ。何を作るか決まっていなかったものが、だんだんと「やりたいこと」になっていく。そのプロセスにこそ、仕事の醍醐味があるという。

これら3つは、糸井氏が生命感のある仕事を見つけ出すための羅針盤と言える。

人と一緒に仕事をすること ―「巻き込む」のではなく「縁側」を作る

プロセスを重視し、人と組むことを楽しむ糸井氏だが、「人との関わり方」にも独特の哲学がある。多くのリーダーが「いかに人を巻き込むか」と悩む中、「僕は巻き込めてないと思う」と語る。糸井氏が理想とするのは、「縁側」に例えるような人間関係。縁側とは、家の内でも外でもない曖昧な空間。そこでは誰もが気軽に腰掛け、お互いが心地よい距離感を保つ。無理に中に引き込むのではなく、個々の自由な意思を尊重する関係性だということだ。こうした人間関係の根底にある考え方が「感謝」。「自分の心が寂しい日には感謝が足りない」そう語る糸井氏。物事の捉え方はすべて自分の主観に委ねられいて、その主観を「ありがとう」という視点に変えることで、自分の心のありようも、周りの世界も変えることができるという。

ホームランになりたい? ― 現象そのものになるという発想

このように、物事の本質を独自の言葉で捉える糸井氏の思考は、キャリアの目標を示す意外な一言にも集約されています。対談の最後に語られた「ホームランになりたい」という言葉。これは単なる比喩ではなく、糸井氏の思考の核心を突く、極めてロジカルな目標。この言葉の真意は、以下のように分解して理解することができる。

Step 1:
まず、「ホームラン」という言葉は、一つの「名前がついた状態・現象」であると定義する。

Step 2:
物や人だけでなく、現象にも名前がついている。名前がついている以上、それは「なりたい」と思ってもおかしくない対象である、というのが糸井氏のロジック。

Step 3:
私たちが大谷翔平選手のホームランを見て熱狂するのは、大谷という「個人」のすごさだけが理由だけではなく、ボールが描く美しい弾道やアーチといった「ホームラン」という現象そのものに感動している。

Step 4:
つまり、糸井氏が目指しているのは、ホームランを打つ「人」になることではない。人々を熱狂させ、感動させる「ホームランという現象そのもの」になりたい、ということ。

あらゆる物事を言葉で捉え、その本質を定義し直す。この発想は、言葉を扱うプロフェッショナルであるコピーライターとしての糸井氏の真骨頂と言えるだろう。

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