キャリアに不安を抱えているデザイナーは多いのではないでしょうか。

「自分は、この会社でデザイナーとしてやっていけるのか?」
「独立を考えているが、自分ひとりでやっていけるのか?」

任天堂のインハウスデザイナーから独立し、広く活躍する前田高志さんも、かつては自分のキャリアに悩み、転職活動を重ねたそうです。今回は、そんな前田さんに“自身の働き方を見い出すまで”について聞きました。

前田高志(まえだ・たかし)

1977年兵庫県生まれ、大阪芸術大学デザイン学科卒業後、任天堂株式会社へ入社。約15年プロモーションに携わったのち独立。 2016年からNASU(ナス)という屋号でフリーランスとしてスタート。 同年4月から専門学校HALにて、2018年から大阪芸術大学にて非常勤講師に(現在はいずれも退任)。幻冬舎・箕輪厚介氏のオンラインサロン「箕輪編集室」でのデザインワークで注目を集めたのち、2018年に自身のコミュニティ「前田デザイン室」を設立。 2019年10月よりNASUの新事業としてコミュニティ事業を開始。 2020年1月よりレディオブック株式会社のクリエイティブディレクターに就任。


任天堂でのコンプレックス「自分のデザインのレベルは?」

──新卒で任天堂に入社し、インハウスデザイナーとして15年務めたそうですね。その間に2度、転職活動をしたとか。

入社当時から3年くらいで辞めようと考えていたのですが、仕事が楽しかったのと、学ぶべきこともたくさんあったので続けました。20代後半には安定したデザインができるようになってきたんですが、あいかわらず仕事はシビアで、みんなのレベルも高くて「いつまでたっても追いつけない」と自信がなくなって……。

そんな時、「今の自分は外の会社で、どのくらいのレベルなんだろう?」「ちゃんと成長してるのかな?」と不安になったんです。「このままでいいのかな」という虚無感に追われるように、29歳で転職活動をしました。


──クリエイティブディレクターの水野学さん率いるgood design companyですね。

水野さんに面接していただいたことは大きかったです。自分のデザインを見てもらえるだけでもすごいのに、お会いして一言目に「すごくいいと思ってます」と言っていただけた。しかも「もしクライアントにこんなにデザインがうまい人がいたら嫌だな」とか、帰り際にも「家族を説得してください」と言ってもらえて。

結局、面接は落ちてしまったけど、そう言っていただけただけでもすっきりして、任天堂でまた頑張る気持ちになれましたね。

──ふたたびの転職活動は2年後ですね。

当時(2008~2010年)は、広告クリエイティブのデザインが注目されるようになって、アートディレクターが華々しく活躍している時代でした。雑誌で近い年齢のデザイナーが評価されているのが羨ましかったんです。名前が世に出るという点もですが、それ以上に外から評価をもらえている点においてです。自分は成長できているのかと不安になっていたんだと思います。

今となっては、任天堂におけるデザインの仕事がものすごく貴重な体験だとわかります。でも当時は若かったので、ないものねだりをしてしまっていました。そんな中、アウトプットを追求し続ける点で魅力を感じたGRAPHの求人に応募しました。

──そこで、独立に繋がる発見があったようですね。

僕が傲慢だったんです。面接で「収入はこれぐらいで、家から通えて……」とたくさん条件を出してしまった。そんな理想の環境を誰かが用意してくれているわけがないですよね? 結果は、当然、不採用。そこで、「自分の居心地のいい環境は自分で作るしかないな」と気づきました。

独立して気づいた「転職がしたかったわけじゃない」

──2015年に退社してから、フリーランスとして現在のポジションにたどり着くまでについて教えてください。

ありがたいことに1年半くらいで、食いっぱぐれることはないだろうという状況までは作れました。そして、次のフェーズとして「単価を上げる」ために、依頼が殺到することを目指しました。

──「単価を上げる」ということは、独立したクリエイターにとって、大きな壁だと思います。前田さんは、どんなことを実践されましたか?

単価を上げるためには、選べるくらいの仕事量を持つことが大事だと思います選べるくらいの仕事量を持つためには、まず活動範囲を広げ、次に僕の認知を広げようと思いました。名付けて、“躊躇しないキャンペーン”をはじめたんです。このキャンペーンが、明確な変化に繋がりました。具体的には、とにかくやれることをやってみる、というスタイルでSNSでの発信を増やしたり、オンラインサロンへ積極的に参加しました。

──当時、オンラインサロンの存在はまだここまで普及していなかったと思います。具体的には、どんなところへ参加したんですか?

キングコング西野亮廣さんのオンラインサロンですね。そこで、『革命のファンファーレ』(西野亮廣さん著書)の仮の表紙をデザインしたらブログで使ってくれて、それがうれしかったんですよね。ああ、こんな風にものづくりで繋がれて楽しいなと。その流れで、新しくできた箕輪編集室(編集者・箕輪厚介のサロン)へ。そこで、デザインを一番やる人になろうと積極的に参加しました。

もともとは石橋を叩いて渡る性格なんですけど「“躊躇しないキャンペーン”中だからしょうがないよね」と、思いついたことはとにかくどんどんやってみました。そこで広く知ってもらえるようになったこともあり、独立3年目には、自分のオンラインサロンを作りました。

──“躊躇しないキャンペーン”が、広く知ってもらうきっかけになったのですね。一方で、任天堂の社員だったことがデザイナーとしての前田さんの独自性にもなっているのでは?

はい。辞めてから気づいたんですよね。というのも僕は、デザイン会社で基礎を積んでいなかったことがコンプレックスだったんですよ。でも、オンラインサロンをはじめて、色んなバックグラウンドの人と話すうちに、「企業のインハウスデザイナーとして勤めた経験が自分の強みになる」と思えました。

──ほかにも独立したから気づいたことは、ありましたか?

自分のスタイルを発見できました。任天堂時代はコツコツひとりでデザインを極めていこうとしていたんですが、金曜まで必死に働いて「週末は自分の作品をつくるぞ!」と意気込んでいたのに、土曜日になると午前中はだらだらして、夜までゲームして「今日もなにもやらなかった……」という週末の繰り返し。

でもオンラインサロンのコミュニティに参加するようになってからは、常に人の反応が返ってくるので、やる気が出るんです。「これどうですか?」「いいですね!」とコミュニケーションがラリーになる瞬間が楽しい。一人ではできないことも、みんなとならできることに気づきました。

「まずは行動して見て、自分のスタイルを見つけよう」

──客観的にフィードバックをもらえることが、前田さんのやる気に繋がるんですね。

まさにそうですね。転職活動をしていた時も、実際に転職したかったというより、自分のデザインを客観的に見てほしかったんでしょうね。任天堂時代も同じ部署のメンバーとコミュニケーションを取りながら、楽しく仕事をしていましたが、今はコミュニケーションを取るメンバーの数が増えたので、ラリーの輪が大きくなったなと感じています。それが気持ちいいんです。

でもそれは人それぞれで、誰とも話さずコツコツ腕を磨くのが気持ちいい人もいます。まずは行動してみて、自分の可能性を広めたり、自分に合うスタイルを見つけることが、道を拓く近道だと思います。

インタビュー・テキスト:河野桃子/企画・編集:向井美帆(CREATIVE VILLAGE編集部)

前田さんの最新著書「勝てるデザイン」にも書かれている、デザインを極めるための3つの秘密について聞いたインタビューは、こちら。

「勝てるデザイン」著者・前田高志さんインタビュー後編