――「あのゲーム『8番出口』が映画になる!」「主演・二宮和也、監督・川村元気」 ——— 実写化が発表されるやいなや世をざわつかせ、公開が待たれるさなかに飛び込んできた、カンヌ国際映画祭ミッドナイト・スクリーニング部門正式招待。カンヌ公式上映では8分間のスタンディングオベーションが巻き起こり、会場を埋め尽くした2300人を熱狂させた。「確かにカンヌを目指してはいましたが、それが出口ではなく入口。日本の実写映画が海外で多くの人に観てもらうためには、カンヌ映画祭というドアが必要だと考えていました」。そう語る監督・川村元気の言葉通り、映画「8番出口」はすでに100以上の国と地域での公開が決定している。「とにかく、新しいつくり方を発明し、日本映画の新たな可能性を広げることを目標に挑みました。監督2作目にして、これ以上考えられないぐらい最大限に考え抜いたという気はしています」。自身のつくるものを疑い続け、無数に積み重ねた挑戦、あくなき映画への想い。まさに川村元気は無限無窮(むきゅう)の映画愛でできている。――
監督として世界で戦うには生半可なものではダメだ
2023年11月にゲーム「8番出口」と出会い、まずそのグラフィックに惹(ひ)かれました。ものすごく白くて整理整頓されたクリーンな空間がループする……東京の地下鉄の通路を彷彿(ほうふつ)とさせるその無機質な地下通路のデザインが魅力的で。一方、地下道で迷子になって出られなくなるという体験は世界中どこにでもある感覚です。デザインは日本的なのに、体験としてはユニバーサルというのがすごくいいと感じました。僕は1枚の写真や絵画から物語を考えることが好きなので、「8番出口」というゲームの素晴らしいグラフィックから映画的な世界や物語をつくりあげることができるかもしれないと思いました。

僕の初長編監督作品「百花」(22)は母と息子の記憶を巡る物語なのですが、祖母の認知症という自身のプライベートな体験から書き始めた小説が原作で、それこそ映画「8番出口」の原型となるループ映像表現や、これまで僕が手がけてきたアニメーション的な表現を実写に持ち込んだ、自身のアイデンティティがかなり入った映画でした。「百花」がまったくダメだったら、監督としてはそれっきりにしようと思っていたのですが、スペインのサン・セバスティアン国際映画祭で最優秀監督賞をいただいた。そうすると必然的にヨーロッパの配給会社や評論家から、次回作について聞かれるわけです。ちょうどそんなときに、僕が企画した映画「怪物」(23)がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に選出され、是枝裕和監督と脚本の坂元裕二さんと一緒に映画祭に参加することになりました。

カンヌ映画祭って本当に恐ろしい場所で、いたるところに世界の名だたる監督が普通にいるし、若い監督たちは自分の生まれ育ちやジェンダーみたいなものも含めて、自身の全アイデンティティをかけて勝負しにきている。そんな姿を目の当たりにして、監督として世界で戦うにはやっぱり生半可なものじゃダメだなと痛感しました。それで、これまでプロデューサーとして手がけてきたアニメーションや映画「告白」(10)のようなジャンルムービー的な表現に、小説家として6本の小説を書いて物語をつくりだしてきたこと、あとは自分が親しんできた日本のゲームという、僕の得意技をすべてマージした作品ならば、なんとかカンヌ、そして世界でも勝負できるかもしれないと考え、題材を探していたときに出会ったのが、ゲーム「8番出口」でした。
一番やりたかったことのひとつは「ゲームと映画の境目が曖昧な映画体験」
映画「8番出口」で一緒に脚本を手がけた平瀬謙太朗くんと僕を出会わせてくれたのは、佐藤雅彦さん(東京藝術大学名誉教授)でした。佐藤さんは、「ピタゴラスイッチ」(NHK Eテレ)や「だんご3兄弟」など数々のヒット作を手がけた、僕が大尊敬しているクリエイターです。佐藤雅彦さんがずっとおっしゃっているのは、「つくり方をつくる」ということです。つまり、オリジナリティのあるものをつくるためにはつくり方を新しくなければいけないという教え。佐藤雅彦さんと平瀬くんと共同監督した短編映画「Duality(邦題:どちらを)」(18)は第71回カンヌ国際映画祭短編コンペティション部門にノミネートされました。次に平瀬くんとつくったのが「百花」、「8番出口」は3作目となるトライで、ある意味「もっともつくり方をつくった」という感じです。

新たにチャレンジしたことは無数にあるのですが、なかでも一番やりたかったことが、「ゲームと映画の境目が曖昧な映画体験」でした。もうひとり、僕がとても尊敬している宮本茂さん(任天堂 代表取締役フェロー)と、対話集『理系。』で対談させてもらったときに、「プレイしている人が楽しいゲームをつくりたいというのはもちろんだけど、遊んでいる人の後ろで見ている人も楽しめるものをつくりたい」と話されていて、宮本さんが手がけた「スーパーマリオ」や「ドンキーコング」はまさにそういうゲームだし、とても面白い発想だなと思いました。それっていまでいう、ゲーム実況動画そのもの。それをはるか以前から、宮本さんは予言していたわけです。

僕が今回「8番出口」でやってみたかったのが宮本さんの言っていたそれで、迷う男の二宮和也くんと同じ目線でプレイヤーとして楽しむという見方と、プレイヤーである二宮くんが気づいていない異変を察知して、「引き返したほうがいいんじゃないの?」「あそこに異変があるぞ!」などと後ろでハラハラしながら楽しむという見方、このふたつの映画体験ができれば、とてもユニークな作品になる。ゲームというものを映画的に解釈するというのは、映画の新しいつくり方だったと思います。
二宮くんの決定的なアイデアにものすごく助けられた
キャスティングに関しては、主役の迷う男役にすぐに浮かんだのが二宮和也くんでした。二宮くんの素晴らしさのひとつは、フィジカルから出てくるアイデアです。僕らはアイデアを、ナラティブ(物語)や映像として考えるのですが、彼は身体で考えている。例えば一番顕著だったのは、衣装合わせとメイクの打ち合わせをしたときに、僕らは、二宮くん演じる迷う男は、最初は元気なんだけど、ループする地下通路に迷い込んでしまっているうちに、だんだんげっそりして、顔色も青白くなっていくと想定していたんです。でもその夜に二宮くんからLINEが来て、「逆だと思うんですよ」って。「この人は、最初は生きているか死んでいるかわかんない、日常に疲れ切って生気も存在感もないような人間で、むしろあの空間で選択とサバイバルを繰り返すうちに、人間性を取り戻していくわけだから、だんだん血色がよくなっていく感じってどうでしょうか?」って。「すごいな、二宮くん。絶対そっちだわ」って思いました。それって普通の俳優の域を超えてるっていうか。脚本の段階から撮影の現場でも、二宮くんのそういう決定的なアイデアにものすごく助けられました。

歩く男役は、「どうしよう・・・・・・」と考えていたときに、キャスティングプロデューサーの田端利江さんに、「この方はどうでしょう?」と提案されたのが河内大和さんで、もう一発で決まりました。田端さんとは、是枝裕和監督や新海誠監督の作品、僕の初監督作の「百花」など、何作もご一緒させていただいているのですが、天才的な感覚で俳優を見つけてくる人なんです。まず、河内さんがゲームに登場するおじさんに似てるというところに感動して(笑)、かつ彼は、多くのシェイクスピア作品やNODA・MAPなどにも出演している舞台俳優で、歩くことをトレーニングしてきた人、歩くということをずっと考えてきた人だから、その点でもすごく合うと思いました。あとゲームのCGのおじさんの動きを人間がやったときに感じる気持ち悪さというか、居心地の悪さみたいなものを表現してほしくて、そういった意味でもぴったりでした。

目がよかったんです
少年役は子役を300人以上オーディションして、浅沼成(あさぬま・なる)くんを選びました。最後に、なんでもできる子と成くんの2人が残ったんです。なんでもできる子は、泣けるし、笑えるし、叫べるし、止まれって言ったらピタッと止まれるし、とにかく上手になんでもできる子、天才だと思いました。でも成くんは、止まれって言っても止まらないし、泣けないし、叫べないし、笑ってくれない。「うぁ、全然やってくれない」って(笑)。でも、目がとてもよかったんです。

「8番番出口」の直前に、是枝裕和監督と「怪物」という映画をつくっていました。是枝監督の子役の見つけ方と演出って本当に素晴らしいですよね。是枝監督はどうやって子役を選んでいるのか知りたくて、ずっと「怪物」の子役オーディション見ていたんです。そしたら「怪物」も似たようなシチュエーションになって、結果、是枝監督は芝居のできない子を選んだ。オーディションのあいだ是枝監督が何かをずっと見ていて、「何、見てんだろう?」って思っていたら、子役の目を見ていた。なるほどなぁと、得心しました。例えば、僕は猫が好きなんですけど、猫って芝居しませんよね。笑ってもくれないし、怒った顔もしない、どこに行くのか、どう動くかもわかんないけど、なんか見ちゃう。そして、目が強い。成くんはそういう子だった。それで、今回の少年は猫のような存在がよいのだ、と思ったら、粘り強く向き合えるし、やれるかもしれないなと思いました。

実際の撮影はめちゃくちゃ大変でした(笑)。でもなんというか、大人がコントロールできる子供ってつまんないんですよ。「8番出口」のあの無機質で機械的な空間に相反するものがいる。その違和感が大事だった。成くんはまったく動きが予想できない、自由気ままな猫と同じですから。成くんは歩き方も不規則だから、二宮くんもカメラマンの今村圭佑くんも、みんなちょっと不安定になるんですよね。それがまたすごくよかったんです。
深読みとポップ、ふたつの見方をいかに共存させるか
撮影についてはCGを極力使わず、できるかぎりワンカットで撮りました。撮影した映像をその場でつないで確認して、納得がいくまで何度でも撮り直す。主演の二宮くんも含めてみんなで確認して、場合によっては脚本を修正して、リテイクする。またつないで確認して、ということを延々続けました。まさにループ、ゲーム的なつくり方です。今回の制作チームは、そこに理解ある人たちの集まりだったと思います。その最たる人が、二宮くんでした。本当に感謝しています。

ラヴェルの「ボレロ」、M.C.エッシャーのだまし絵、ダンテの「新曲」……映画「8番出口」には、無限の深読み要素を忍び込ませています。カンヌ国際映画祭で上映されて一番うれしかったのは、海外メディアや映画関係者らが自分なりの解釈を意気揚々と話してくれたことです。そういった膨大な深読みを楽しむ人たちがいる一方で、フランスの学生たちが、「すげえビデオゲームやった感じだったわ!」「おじさん最高!」ってポップに観ていて、その両方が同じ映画館にいるってことが僕にとってはパラダイスでした。とても深いレイヤーと、ポップレイヤーが両方ある。僕はどっちしかないのがイヤなんです。とにかく頭を空っぽにして観てね、みたいなポップ一辺倒な映画はあまり好きじゃないし、かといって、ものすごく考えながら観るだけの映画も好きじゃない。「なんかわかんないけどループしてる!」「異変恐い!」とかって大騒ぎしながら観ている小学生と、ものすごく深読みする映画好きが共存している環境を、いかに映画館でつくれるかっていうことも、今回の大きな取り組みのひとつでした。
僕のものづくりは、「ずっと自分自身を疑い続ける手法」なんです
僕はもともとあまり自分のことを信じてもいないので、いろいろな人の意見を聞くし、信じている人の力を借りるという体制を映画「8番出口」でもつくりました。僕のものづくりは、「ずっと自分自身を疑い続ける手法」なんです。「まだ面白くない」「全然面白くない」「ああ、なんでこんなにつまんないものつくっちゃったんだろう」「ああ、変えてぇ」「どうやってやればいいんだ、これは?」って、ずっと自分のつくっているものに満足しないというつくり方。でも考えてみれば、自分のつくっているものが最高だと思ってる人は僕の周りにはほとんどいないです。逆にいうと、自分への期待値が高い人が挫折するわけで、基本的には僕はなんにも満足してないから挫折している暇がない。だけど、つくるってそういうことなのかなって思っています。自分のやってるものを疑って、どれだけギリまで直せるか。なので、即断即決の人なんて一番信用できないです(笑)。

制作者として生き残っていくために必要なものは、圧倒的な勉強量ではないでしょうか。大前提として、映画を観るのも、本を読むのも、量をこなせる人しか最終的に残れないと感じています。ポン・ジュノ監督にしても、マーティン・スコセッシ監督も、クエンティン・タランティーノ監督も、映画をつくりながら僕の何十倍も映画を観ています。トップにいる人たちがだれよりも猛勉強を続けているから、そんな人たちにどうやったら追いつけるんだろうって。

トップの人たちって、「だったらいっぱい映画を観ればいいじゃん。いっぱい本を読めばいいじゃん。いっぱい勉強すればいいじゃん」って言うんですよ。最近気づいたことなんですが、それができないんです、ほとんどの人が。「別にギターなんてさ、いっぱい練習すりゃ上手くなるんだからさ。1日10時間練習すりゃいいじゃん」って言っている、某バンドのギターがすげえ上手い友人がいるんです。「いや、それ違うんだって。1日に10時間ギター練習したら、普通の人は頭がおかしくなっちゃうんだよ」と僕が言うと、へえ、みたいな。つまり、長時間ものすごい物量の勉強ができる人は、それ自体が才能なんです。で、それができる人しかトップランナーとして生き残らない。だけど少なくとも、そうあろうと努めることはだれにでもできるわけです。だから、そこからやるしかないと思っています。
映画「8番出口」が世界への扉を開いてくれた
かつて映画の仕事をしていた父から受けた英才教育が、いま間違いなく僕の映画づくりに活きています。小学生の頃から、フェリーニの「道」(57)やリドリー・スコットの「ブレイドランナー」(82)、溝口健二監督の「雨月物語」(53)に宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」(84)……バラバラなんですが、父が好きな映画をビデオテープで何度も観て育ってきました。相米慎二監督の「台風クラブ」(85)を毎月のように観ていたから、自分が撮る映画も長回しですし、父のある種偏った映画の英才教育が、結局自分のつくり手としてのアイデンティティになってしまっている。なかなかそんな環境で育てられた子供はいないでしょうから、父には感謝していますし、やっぱり勉強って大事だよなと思います。

「8番出口」のようなつくり方をした映画は史上初だと思います。新しい表現方法や手法をつくることが新しい映画をうむことになる。その信念のもとにつくり続けた、想像を絶する挑戦の日々でした。うれしいことに「8番出口」は本年のカンヌ国際映画祭に招待してもらい、現段階で100以上の国と地域で公開が決まっています。日本の実写映画としては異例だと思いますし、間違いなく「8番出口」は、映画監督として僕を世界に連れて行ってくれた。世界への扉を開いてくれました。実は、撮影初日にエンディングを撮ったんです。「8番出口」の大きなテーマのひとつがループですから、撮っているのがエンディングなのか、オープニングなのか、わからなくてもいいんじゃないかとちょっと思って。とてもいいシーンが撮れました。でもそこからすごい奇跡が起こり……、無限ループの末に、キャストとスタッフみんなでたどり着いた映画「8番出口」の結末は、僕自身も驚くものとなりました。その結末を、ぜひ映画館で見届けてほしいと思います。


蛍光灯に照らされた、無機質な白い地下通路をひとりの男(二宮和也)が歩いていく。何度もすれ違う中年の男(河内大和)に違和感を覚え、やがて同じ地下通路を繰り返し歩いていることに気づく。そして壁に掲示された不思議な【ご案内】を見つける。「異変を見逃さないこと」「異変を見つけたら、すぐに引き返すこと」「異変が見つからなかったら、引き返さないこと」「8番出口から外に出ること」。突如迷い込んでしまった無限回廊から、男は抜け出すことができるのか?
出演:二宮和也、河内大和、浅沼成、花瀬琴音、小松菜奈
原作:KOTAKE CREATE「8番出口」
監督:川村元気 脚本:平瀬謙太朗、川村元気 音楽:Yasutaka Nakata(CAPSULE)、網守将平
製作:市川南、上田太地、古澤佳寛 共同製作:木脇祐二、阿部祐樹、田中優策、渡辺章仁、藤原一朗、齊藤貴 エグゼクティブプロデューサー:臼井央、岡村和佳菜 企画:坂田悠人 プロデューサー:山田兼司、山元哲人、伊藤太一 ラインプロデューサー:横井義人 撮影:今村圭佑 照明:平山達弥 録音:矢野正人 美術:杉本亮 装飾:茂木豊 VFX:政本星爾 キャスティング:田端利江、山下葉子 スタイリスト:伊賀大介 ヘアメイク監修:勇見勝彦 編集:瀬谷さくら カラリスト:石山将弘 音響効果:北田雅也 スクリプター:尾和茜 監督補:平瀬謙太朗 助監督:関根淳 制作担当:堤健太 脚本協力:二宮和也
製作:東宝、STORY inc.、オフィスにの、メトロアドエージェンシー、AOI Pro.、ローソン、水鈴社、トーハン
制作プロダクション:STORY inc.、AOI Pro.
配給:東宝
Ⓒ2025 映画 「8番出口」製作委員会
8月29日(金)全国東宝系にて公開
インタビュー・テキスト:永瀬由佳




