――監督・李相日を映画化に動かすのは「疑問」だった。ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞した監督デビュー作「青~Chong~」(99)では自身も含めだれしもが日常生活の中で陥る「無関心」に対して、映画「悪人」(10)では「思い込み」や「決めつけ」、そして前作「流浪の月」(22)では主人公ふたりの名もなきと謳われる「純粋な結びつき」に。だかその「疑い」や「憤り」の先にあるのは「肯定」、そして「慈しみ」と「希望」だ。歌舞伎を題材にした最新作「国宝」の始まりも、女形の、その異質にして稀有な魅力と存在への懐疑だった。歌舞伎を極めようと、芸と血筋にもがき苦しむ壮絶な人間の姿を、圧倒的な重厚感と深度で描く映画「国宝」。その先に見えたものはやはり、ひたむきに生きる人間への賛歌、そして日本映画の未来だった。――

映画化に吉沢亮の存在は絶対だった

実は、映画「悪人」(10)のあとに歌舞伎を題材に映画をつくりたいと思い、名女形の六代目中村歌右衛門さんをモデルに、戦前・戦中・戦後といった流れで描こうと考え、自分なりにいろいろ調べていたんです。ただあまりに壮大すぎて、ストーリー的にも、製作費の面でも、あとどう歌舞伎界の協力を得るかとか、難題があり過ぎていったん眠らせることになりました。そんな顛末を、本作の原作者である吉田修一さんと飲みながら話したことがありました。数年経って、吉田さんが歌舞伎を題材に連載小説を新聞で始められると聞いて、自分では具現化できなかったものをどのように書かれるのかと期待しながら仕上がりをお待ちしていました。だから僕はあえて新聞連載を読まず、物語として完成されるのを待って、書籍化されるゲラの段階で初めてを『国宝』を読ませていただいたんです。

映像化の話は、『国宝』が単行本として出版(上・下巻2018年9月発売)されてからすぐに、映画にドラマも含め幅広く出ていました。吉田さんも、「李さんがやるんだよね、よろしくね」みたいな感じで、僕も「やってみます」って応えたんですけど、かつて僕が挑戦したときと難しさやハードルの髙さに変わりはなく、どうにも動けず行き詰まってしまい、そのうちに僕もほかの作品に入ったりして、何度も暗礁に乗り上げそうになり、具体的に動き出すのにかなり時間がかかりました。本格的に映画「国宝」の企画が動き始めたのは2020年の中頃です。正式に映画化が決まるまでに本当に紆余曲折ありましたが、ただ最初から、主役の喜久雄役は吉沢亮くんで行きたいと考えていました。吉沢くんがやってくれるなら映画にできるかもしれないと思ったほど、彼の存在は絶対でした。

横浜流星の資質、存在感、そしてストイックさに俊介役を託す

喜久雄はもう吉沢くんありきと言っていいぐらいの成り立ちでしたが、喜久雄と対する、歌舞伎の名門に生まれた御曹司の俊介役は、プロデューサー陣とも相談し、横浜流星くんにお願いしました。横浜くんとは、映画「流浪の月」(22)で一度組んだからすんなりと言うわけではもちろんありませんでした。ただ僕は彼と一緒に作品をやったことで、その人となりを知っていたので、喜久雄と相対する資質、そして吉沢くんに匹敵する存在感を持っていて、あとやはり、子供の頃から歌舞伎の中で育ってきた人物の役ですから、当然歌舞伎をマスターしているがごとく修練してくれなきゃいけないし、それをどこまでも追求するストイックさを横浜くんは備えていた。最終的に横浜くんに俊介を託そうと思ったゆえんです。

吉沢くんはクランクインの1年3カ月前から、横浜くんは数カ月遅れて、舞踊家の谷口裕和先生のもとで最初はすり足からはじめて手取り足取りマンツーマンでびっちり稽古をつけていただきました。僕は谷口先生と、映画の中で見せる演目のどの部分を抽出するべきか、そしてそのためにはどこを徹底的に鍛えるか、といったことを相談しながら、合間合間にふたりの稽古の様子を注視していました。とりわけ演目が多い吉沢くんはものすごく大変だったろうし、へこたれてもいたと思いますが、でもそんなふうには見えませんでした。見せてなかったのかな。僕の期待に応えるも何もそんなこと以前に、吉沢くん本人が一番わかっていたんだと思うんですよね、自分がダメだったら身も蓋もない映画になるって。だから、相当の覚悟で臨んでくれたんだと思います。

喜久雄の人生を通して見せたかったもの

目指していたのは、小説『国宝』の映像化ではなく、映画化でした。原作を忠実に映像にするとなると、映画の枠におさまりきらない、おそらく配信ドラマといったものになる。でも僕は1本の映画として創出したかった。となると、ある程度時間的な制約がある中で、多彩なエピソードの中から何を一番太い軸として選択するかというと、必然的に喜久雄の人生をどう描くかということになります。演目に関しても、原作とは多少異なった選択をしています。体系立てると、舞踊と芝居という2本線で、そのふたつを軸に、クライマックスに向かって突き進んでいく。舞踊はどちらかというと喜久雄と俊介の青春が主なイメージで、「藤娘」や「二人娘道成寺」など、喜久雄と俊介が切磋琢磨しながらも息の合ったコンビネーションで、ふたりでひとつのようなつながりを見せる。対してお芝居のほうの「曽根崎心中」では、喜久雄と俊介ひとりひとりの波乱に満ちた人生が舞台の上でぶつかり合うイメージです。そしてそれらを経て、最後に喜久雄は、もはやだれにも見えてない場所に到達するための大舞台に立つことになります。

原作は喜久雄の死を感じさせる最後ですが、舞台という空間にはどこか死の匂いがつきまとっています。役を演じ切るということは、舞台という空間において、本当に亡くなるわけではないけれど、ある種の死を迎えるわけですよね。当然ですけど、喜久雄もほかの役者のみなさんも、死にたくて舞台に立っているわけではない。逆に、役者として生きるために、おそらくつかんでもつかみきれない、その先にあるものをどこまでもどこまでも追い続けている。一般的に人間国宝と呼ばれる「重要無形文化遺産保持者」自体は国の機関によって認定されるものですが、映画が捉える国宝の定義はより観念的なんです。喜久雄という人間の人生を通して見せたかったのは、国宝という権威的、物理的な大切さではなく、そこにたどり着いた人間にしか見えない、ほかのだれにも見えない風景をずっと追い、求め続けることこそがこの上なく大切で、孤高と言われる生き方や思いを貫いた人が、結果〝国宝″たらしめるのではないかということです。ただそれは口で言うほど易しいものではなくて、その過程で失うものや背負うものはとてつもなく大きい。そのすさまじさはたぶんだれにも理解されないし、理解してくれる人はみんな逝ってしまっているという、そういう孤独感もつきまとう。でも、はたから見たら壮絶で不幸だと思われる部分も、本人にとっては、それが生きていく一番の糧であり、生きるためにそこに向かうみたいな感覚なんだと思います。

絶対的にほしかったのは、歌舞伎の美と歌舞伎を演じる役者の人生の壮絶さ

脚本は当初から奥寺佐渡子さんにお願いしたいと思っていました。奥寺さんとはお仕事をしたことはなかったのですが、奥寺さんが脚本家デビューされた、相米慎二監督の映画「お引越し」(93)のプロデューサーに伊地智啓さんという方がいらっしゃって、その伊地智プロデューサーに声をかけていただき、僕は映画「69 sixty nine」(04)を監督したといったご縁もあって、昔からつながりはあったんです。漠然とですが「国宝」は女性の脚本家にお願いしたいと思っていたのと、なかでも奥寺さんの筆致は、キラキラしたものではなくて(笑)、非常に力強い、骨太のヒューマンドラマでありがながら、言葉の重要性を熟知されてる方なので、今回ぜひご一緒したいと思いました。

本作で絶対的にほしかったのは、やはり歌舞伎の美。そして、実は歌舞伎を見せる映画のようで厳密には、歌舞伎を演じる役者を見せる映画で、その人生の壮絶さでした。撮影は、その両面を捉えられる人にお願いしたいと考えていました。本作で撮影を手がけたソフィアン・エル・ファニは、フランス映画「アデル、ブルーは熱い色」(14)でカンヌ国際映画祭のパルム・ドール賞を受賞していて、僕はApple TV+のドラマ「Pachinko パチンコ」シーズン2(24)で彼と出会ったんですね。ソフィアンには彼独自の美学があるし、常に俳優をよく観察しているので、言葉の問題で直接的にセリフがわからなくてもちゃんと理解していて、どう肉白すべきか、あるいは客観的に見守るべきかといった判断が的確なんです。そういったとても鋭い感性観点を持ったソフィアンと再び組めば素晴らしい映像になるだろうと思いました。

吉沢くんの演じた「曽根崎心中」のお初に手応えを感じました

撮影は2024年3月から6月5日まで、京都をベースに行いました。映画の冒頭の長崎での新年会のシーン、喜久雄と俊介の子供時代から入り、きれいに順撮りはできませんでしたけど、急にラストシーンに飛んで撮るといったようなことは極力避けたつもりです。歌舞伎の舞台は、メイン劇場はセットで、ほかはいくつかの劇場をお借りして撮影したので、劇場の空きに合わせてある程度まとめて撮りました。撮影中にもうダメかなと思ったことはなかったですが、「だれか代わりにやってくんないかな」と思うことはありましたね、珍しく(笑)。ままならないことが本当に多くて。

喜久雄に対しては共感できる部分もあります。喜久雄が悪魔と取り引きしてでも歌舞伎を極めたいと願ったように、やはり僕も、悪魔と取り引きしてでも才能がほしいですよ。映画監督として、もっと見たことのない何か、もっと先、もっと上と究極の瞬間みたいなことを追い求めているところは常にあって、それが見られればもうあとのことはどうでもいいかって思っちゃう瞬間もあります。喜久雄の場合、それがさらに濃密なものだろうなと思いますが。今回の撮影でも近しく感じられた瞬間があって、例えば映画の前半、吉沢くんの「曽根崎心中」のお初の芝居が撮れたときは、「そうそう。求めていたのはこういうことだったんだ」という納得感と、ここまでのものが出てきた、すごいものが生まれたっていう手応えを感じました。あと、ちょっと不思議な魔力を感じたこともありました。当代一の女形・万菊役の田中泯さんがテストで歌舞伎のメイクを施して舞台衣装で現れた瞬間、僕らも、当のご本人もびっくりされて。実在した稀代の女形役者の方とうりふたつで、着付けは現役で歌舞伎の着付けをやっている方たちにお願いしたんですが、みなさんそのあまりのリアルさに驚いちゃって。そこから泯さんもご自身の中で何かが立ち上がってきて、ちょっと人間離れした存在感を放ちはじめました。

「この一瞬があるから生きている」と思える瞬間をだれもが願っているはず

映画監督を目指している人たちに、何をどう学び経験を積んでいけばいいのか、人それぞれなのでなかなかアドバイスは難しいのですが、自分は若くしてポンポン来ちゃって、ポンポン行くとそのあとが大変なんですよ(笑)。さまざまな現場を経験したり、いろんな監督の術を見てると、自分の中でもストックができると思うんですよね。こういうときこうすればいいんだなとか、これやっちゃいけないなとか。でもそういうお手本が僕にはないので、毎回、自分の中で模索しなきゃいけないですし、結局やりながら学んでいくしかないんですけど、でも求められているのは学ぶことじゃないわけですから。求められるのは結果ですし、数字も質的なものも含めて。そういった意味で、もうちょっと下積みをして学んだほうがよかったのかもなと思いつつ、もう戻ることはできないので。ひと口に映画監督と言っても、さまざまな出自がありますよね。CMやテレビドラマ、ミュージックビデオとか、ほかにも多岐に渡ります。それに、いまは配信ドラマ全盛で、映像のジャンルも多様化して垣根がありません。ただ、「映画を監督する」ことにおいて差異があるとすれば、「何を撮りたいのか、なぜつくりたいのか」を監督はダイレクトに問われます。なので、どんな道をたどろうが、自分の中に芽生えたものを指標にして、映画を目指せばいいと思います。

そもそも生きたいように生きるって簡単ではないですよね。いわゆる社会と定義される中で、洗濯機の中の雑巾みたいにもみくちゃにされながら生きていくしかないわけです。でもそんな中であっても、「なんのためにもがきながらも生きているのか?」と考えたとき、「この一瞬があるから生きている」という瞬間をだれもが見つけたいと願っているはずだろうなと思うんです。「国宝」に限らずどの作品も毎回そうですが、なぜこの時代にこのような映画をつくったのかと問われれば、自分の映画が、そんな瞬間を垣間見たり、何か気づきのようなものに触れるきっかけになればという思いからでしょうか。映画「国宝」は歌舞伎が題材ではありますが、歌舞伎のことや演目に関する知識がなくても、のめり込んで観ていただけるようつくったつもりです。これもずっと変わらないのですが、僕は完成した映画を日本の観客に観てもらいたい、日本の観客がどう感じるかということを一番に考えています。もちろん広く海外の人たちにも観てもらいたいですが、優先順位としてはまず日本の観客のみなさんなんです。

李相日(リ・サンイル):1974年生まれ。大学業後、日本映画学校(現・日本映画大学)に入学。卒業制作として監督した「青~Chong~」(99)が2000年のぴあフィルムフェステバル(PFF)でグランプリを含む4冠を受賞する。2003年に第12回PFFスカラシップ作品「BORDER LINE」で劇場長編デビュー。映画「フラガール」(06)で第30回日本アカデミー賞最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀脚本賞ほか、初めて作家・吉田修一作品を原作に挑んだ映画「悪人」(10)で第34回日本アカデミー賞優秀作品賞・監督賞・脚本賞など13部門15賞受賞、最優秀主演男優賞など最優秀賞主要5部門に輝くほか、第34回モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門最優秀女優賞を受賞するなど国内外で高い評価を得る。吉田修一作品2度目となる映画「怒り」(16)では第40回日本アカデミー賞優秀作品賞ほか11部門を受賞。深い人間洞察、悲哀と慈しみに満ちた作品で日本映画界を牽引する監督として注目と期待を集める。主な監督作品に、映画「69 sixty nine」(04)、「スクラップ・ヘブン」(05)、「許されざる者」(13)、「流浪の月」(22)、配信ドラマ「Pachinko パチンコ」シーズン2(Apple TV+/24)ほか。作家・吉田修一×監督・李相日3作目となる最新作「国宝」は今年のカンヌ国際映画祭監督週間部門に選出され、世界の映画人に絶賛された。
映画「国宝」
後に国の宝となる男は任侠(にんきょう)一門に生まれた。この世ならざる美しい顔をもつ喜久雄(吉沢亮)は抗争により父(永瀬正敏)を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介(横浜流星)と出会う。正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なるふたり。ライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくのだが、多くの出会いと別れが、運命の歯車を大きく狂わせてゆく。

出演:吉沢亮/横浜流星/高畑充希、寺島しのぶ/森七菜、三浦貴大、見上愛、黒川想矢、越山敬達/永瀬正敏/嶋田久作、宮澤エマ、中村鴈治郎/田中泯/渡辺謙
原作:吉田修一「国宝」(朝日新聞出版刊)
監督:李相日、脚本:奥寺佐渡子、音楽:原摩利彦
主題歌:「Luminance」原摩利彦 feat. 井口 理(Sony Music Label Inc.)
製作:岩上敦宏、伊藤伸彦、荒木宏幸、市川南、渡辺章仁、松橋真三、企画・プロデュース:村田千恵子、プロデューサー:松橋真三、撮影:Sofian EL FANI、美術監督:種田陽平、照明:中村裕樹、音響:白取貢、特機:上野隆治、キャスティングディレクター:元川益暢、CSA、美術:下山奈緒、装飾:酒井拓磨、編集:今井剛、VFXスーパーバイザー:白石哲也、スクリプター:田口良子、衣装デザイン:小川久美子、衣装:松田和夫、ヘアメイク:豊川京子、特殊メイク:JIRO、床山:荒井孝治、宮本のどか、肌絵師:田中光司、音楽プロデューサー:杉田寿宏、音響効果:北田雅也、振付:谷口裕和、吾妻徳陽、助監督:岸塚祐季、制作担当:関浩紀、多賀典彬、宣伝プロデューサー:岡田直紀、アソシエイトプロデューサー:里吉優也、久保田傑、榊田茂樹、歌舞伎指導:中村鴈治郎
製作:映画「国宝」製作委員会、製作幹事:MYRIAGON STUDIO、制作プロダクション:CREDEUS、配給:東宝
Ⓒ吉田修一/朝日新聞出版 Ⓒ2025映画「国宝」製作委員会
6月6日(金)全国東宝系にて公開
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インタビュー・テキスト:永瀬由佳