――世界は多くの作品で満ちている。それを生み出すあまたのつくり手たち。そのなかで、独自のエレルギーを放つ人たちがいる。ある人は世界的な評価を得、ある人は新たな挑戦に向かい、またある人は心血注いだ作品を、いままさに世に放とうとしている。なぜつくることをあきらめなかったのか、現場に立ち続けるには何か必要なのか、どうすれば一歩でも次のステージに進むことができるのか。CREATIVE VILLAGEでは、最前線を走るトップクリエイターたちに、作品、つくり手としての原点、そしてこれからを問う。――

才能とはかくも残酷なものなのか。つくることを生きる糧とした表現者たちを、映画「零落」はすさまじい勢いでえぐる。だがそこにさほど共感はない。原作者・浅野いにおが描いた世界を映像にしたかった、浅野いにおただひとりに向かった映画なのだと、監督・竹中直人は語る。

竹中直人(たけなか・なおと)
1956年神奈川県生まれ。幼少期より両親に連れられ映画館に通い、映画に興味を持つ。高校時代に8ミリカメラに出会う。多摩美術大学グラフィックデザイン学科に入学し、短編映画を撮りはじめる。また在学中より素人勝ち抜き番組に出演し注目される。1983年デビュー以来、俳優、ミュージシャンなど幅広く活躍。1991年初監督作品「無能の人」を発表。主演も務めた同作で第48回ヴェネツィア国際映画祭国際批評家連盟賞、第34回ブルーリボン賞主演男優賞、映画「Shall we ダンス?」(監督:周防正行/96)で第20回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞するなど受賞多数。主な出演作に、映画「シコふんじゃった。」(監督:周防正行/92)、「GONIN」(監督:石井 隆/95)、「EAST MEETS WEST」(監督:岡本喜八/95)、「三文役者」(監督:新藤兼人/00)、NHK大河ドラマ「秀吉」(96)、監督作に、「119」(94)、「東京日和」(97)、「連弾」(01)、「サヨナラCOLOR」(05)、「山形スクリーム」(09)、「R-18文学賞vol.1 自縄自縛の私」(13)、「ゾッキ」(共同監督:山田孝之・齊藤 工/21)、「∞ゾッキ 平田さん」(22)。

『零落』というタイトルに惹かれた

4年ほど前、赤坂の本屋さんで浅野いにおさんの『零落』に出会いました。タイトル、そして本の帯に描かれた猫顔の少女の眼差しに惹かれ、手に取りました。ページを閉じたその瞬間、“零落”というタイトルが夜の歩道橋に現れる画が浮かびました。それも縦書きの筆文字で……。この物語を必ず映画にしたい。落ちぶれてゆく主人公、深澤薫をなんとしても映画の世界に引きずり込みたい! その思いで一気に動き出しました。ぼくは漫画を映画にするときは原作に引っ張られないように、原作からは離れます。そして、ぼくの心の中に残っている『零落』の残像を捉えます。そうしないと、いにおさんに対するぼくの思いが消えてしまう。いにおさんに、僕の監督した《零落》を観て何かを感じてもらうためには、ぼくの中の《零落》を観せなければ、いにおさんは絶対納得してくれないだろう……という思いがありました。《零落》を映画にするためには、まず製作費を集めなければなりません。早くプロデューサーを見つけて動き出さなければと焦っていました。そんな中で、この企画に乗ってくださったプロデューサーがいたんです。

ところが……残念ながら、手を引いてしまった。さあ、どうすればいいんだろうと途方に暮れながらも、そのプロデューサーがおっしゃった「鉄は熱いうちに打て」という言葉を信じて、企画を出したその年に映画《零落》を必ず撮らねば!!という勢いでした。絶対止まってはダメだ、しがみついてでも誰かを探さないと! とにかく必死でした。お金が集まる目処も立たないうちに、自分が撮りたいと思っている場所をひとりロケハンしたり、一緒にやりたいと思うスタッフに直接連絡して、スケジュールをあけておいてくださいとお願いしたり……。スタッフにわかりやすいように、自分で撮影台本を書いたりもしました。

「『零落』読んでます。大好きです」と、斎藤工が言ってくれた

ちょうどその頃、山田孝之、斎藤工、ぼくとで監督した映画「ゾッキ」(21)の宣伝活動をやっていたときでもありました。毎回3人で宣伝をやっていたんですが、たまたま孝之が仕事で来れない日があって、工と僕のふたりで宣伝して、帰りにふたりでご飯を食べに行ったんです。すると工が、「竹中さん、何かいま構想練っている映画とかあるんですか?」「うん。あるんだ。浅野いにおさんの『零落』を映画にしたいんだよ……」。すると工が「僕、読んでます。大好きな作品です」「え⁉ じゃあ工、深澤やる⁉」。そのとき、突然!斎藤工をその場で掴んだんです! そこから一気に《零落》映画化へ向けて進みはじめました。プロデューサーとしても参加してくれたMEGUMIは、最近のドラマで一緒だったときに、「浅野いにおさんの《零落》を映画にしたいんだよね」と話したら、「私、映画のプロデュースやってみたいと思ってんだ」って言ってくれた。「だったらMEGUMI!《零落》のプロデュースやってくれないか⁉」となりました。スタッフだけじゃなく、俳優やミュージシャンをはじめ僕の大好な方々に声をかけ、映画《零落》の共犯者を集めていきました。


映画化へ向けて進み始めるきっかけとなった斎藤工とのクランクアップ2ショット


主題歌「ドレミ」を手がけた志磨遼平(ドレスコーズ)はライター役としても出演。本作には、永積崇(ハナレグミ)、漫画家のしりあがり寿、大橋裕之ら多数の著名人が参加している。(写真右から安井順平、志磨遼平)

お金が集まるかわからない……けれど早いうちに決めておこうと必死でした

そして……お金が集まりそうな気配になってきた。でもこれまでにもそう言われていたのに結局ダメになった経験は何度もあるので、最終的にどうなるかはわからない。それに、もし撮影できたとしても、低予算になることは間違いありません。もし撮れるとなったとき、無駄な時間は絶対にかけたくなかった。だから早め早めのロケハン、美術プラン、映像設計についてどんどん決めていきました。原作者のいにおさんには《零落》を映画にしたい!と思った時点で、僕のラジオのゲストにお呼びして、『零落』を映画にしたいんです!と、ご本人を目の前に直接お伝えしたんです(笑)。それから……先程も言いましたが、まずは自分で撮影台本を書いて、こんな感じで進めて行きたいと、いにおさんに送って、ロケハンの写真も逐一送って……。完成披露の舞台挨拶で、「竹中さんのツメっぷりがとにかくすごかった」といにおさんに言われてしまいました(笑)。お金が集まるかまだわからないけれど、制作部への声がけ、スタッフ集め、俳優のスケジュール確認、なるべく早いうちに決められるものは決めていきました。

そして、映画《零落》は無事クランクイン。撮影は天候に恵まれ順調でした。ぼくは基本、晴れ男なんです(笑)。主人公が飼っている猫のチーは、そう簡単には見つからないと思っていたのに、なんとスタッフの友人の猫がチーによく似ていて出演を快諾! すべてロケセットです。下準備をしっかりやっていれば大変なことは起きないと思います。もし大変なことが起こっても、それはそれで楽しいことでもある。映画の現場はそれを逆手に取れる楽しさがあるときもあります。キャストもロケ場所も自分の理想通りだった。僕は現場で台本は持たないです。モニターでチェックもしません。直接俳優のお芝居を見るのが一番です。テストは重ねず、いきなり本番ということもあります。臨場感を大切にしたい。映画もライブですからね。

しがみついて生きている

役者と映画監督と、どちらをやりたいのかと聞かれたら、やはりどちらも魅力的ですから、どちらもやりたいです! でも時代は大きく変わってしまいました。世代交代は強く感じます。年を取るとやはり高齢者枠にはめられていく感じはせつないですね。老たるは去れ! 厳しい世界です。ぼくには前向きな精神はないかも知れない。好きだった人もどんどんこの世を去ってゆくし。ただただ寂しい限りです。ぼくは目の前にあるものにしがみつきながらなんとか生きています。辛いこともありますが、自分だけが辛いと思うような人間にはなりたくない。ぼくの仕事は常に人と関わらなければ成り立たないお仕事です。人と関わっていく以上、価値観がまったく違う人ともやらなきゃいけないときもある。でもそれがうまくいくこともある。価値観が合う人とやることがすべてじゃない、とそのときは思ったりするけれど。やっぱり価値観を共有できる人とのものづくりをしたいな……でもいつもそんなことができる訳がないし……ずっとずっとそんな繰り返しです。

でもそんな繰り返しで、人生はあっという間に終わっていく。今、生きていることは奇跡です。だからあまり深く考えないように、どこかふわっと生きたほうが生きやすいんじゃないかな。ぼくにはそんな生き方は無理だけれど(笑)。ぼくは、映画という世界にしがみついて生きています。子供の頃から何ひとつ変わっていないんじゃないかな……? 転機になったもの……それは常に人との出会いが転機を与えてくれるような気がします。常に零に戻り、また蓄えて再び零に戻るそんな感じです。これが転機です!と振りかざすものはないです。常に弱気だし、へこむし、落ち込むし、弱虫だし。引きずるタイプだし。しょっちゅう負けそうになります。でもまだつらい病気になった事はありません。それはかなりの救いです。人生は矛盾との闘い、人生の最後には「ま、いいか……」ってね。

お酒は47歳のときから徐々に徐々に飲めるようになりました。飲むきっかけになったのは自分の企画映画が2本なくなってしまったことです。50代のときが一番飲んでいたかな……。お酒に酔うってなんて素敵なことなんだって気づきました。遅咲きってやつですが、お酒を飲む時間は本当に楽しいです。地方ロケに行って地図など持たずにただただあてもなく歩いて迷子になって、ふと見つけた路地裏にポツンとあるお店に入ってカウンターで飲む……。そんなこと、若い頃のぼくは想像もしてなかった。スタッフとお酒を飲みながら映画の話や音楽の話をするのが一番楽しいです。そんなときはイヤなこともすべて忘れられますしね。

いにおさんの後ろ姿が、声が、忘れられない

映画はぼくにとって憧れであり夢です。映画はひとりではつくれない。今回、あるプロデューサーが「鉄は熱いうちに打て」と言ってくださったこと。工が「『零落』大好きです!」と言ってくれたあの瞬間。MEGUMIが「映画のプロデュースをやりたい」と言ってくれたこと。ドレスコーズの志磨くんが「ぜひ音楽やらせてください!」と応えてくれたこと。価値観を共有できるスタッフそしてキャストが集まって映画《零落》が生まれました。それが僕にとって一番ロマンチックなことです。だからこれからも、映画にしたい!と思えるものと出会い、共犯者を探して映画をつくる。ずっとその繰り返しで、生きている限り生き抜こうと思っています。

とにかく今回は、浅野いにおさんが描いた『零落』という世界を映画にしたい、それだけの思いで駆け抜けました。映画《零落》は浅野いにおという、たったひとりの観客に捧げる思いで撮った映画です。完成した映画をいにおさんが観てくれた日、「いにおさん、どうでした?」。ぼくは試写室を出たばかりのいにおさんに思い切って尋ねました。するといにおさんは「よかったです」と答えてくれました。あまりにもその言葉がうれしくて、小さく泣いてしまいました。いにおさんは「また観ます」とひとこと言うと「ではまた」と去って行きました。そのいにおさんの後ろ姿と、あのいにおさんの落ち着いた声がいまも深く心に残っています……。


映画「零落」の完成披露プレミア上映会で、原作者の浅野いにお(写真中央)は言った。「竹中さんがいなかったらこの映画化はなかった。竹中さんの好きなように、思い描いた通りにやってもらえたらいいなと思っていましたので、映画の出来上がりには非常に満足していますし、竹中さんありきの映画だと思います」

映画『零落』は、3月17日(金)よりテアトル新宿ほか全国ロードショー。

映画『零落』
8年間の連載が終了した漫画家の深澤薫(斎藤工)は、SNSでの読者の辛辣な酷評、売れ線狙いの担当編集者とも考えが食い違い、アシスタントからは身に覚えのないパワハラを指摘され、鬱屈した空虚な毎日を過ごしていた。多忙な敏腕漫画編集者の妻(MEGUMI)ともすれ違い離婚の危機。そんな煩わしさから逃げるように漂流する深澤は、ある日“猫のような目をした”風俗嬢・ちふゆ(趣里)と出会う。

Ⓒ2023浅野いにお・小学館/「零落」製作委員会

Ⓒ2023浅野いにお・小学館/「零落」製作委員会

原作:浅野いにお「零落」(小学館ビッグスペリオールコミックス刊)
出演:斎藤 工、趣里、MEGUMI、玉城ティナ/安達祐実
脚本:倉持 裕、音楽:志磨遼平(ドレスコーズ)
エグゼクティブプロデューサー:福家康孝 栗原忠、プロデューサー:西村信次郎、横山一博、岡本順哉、MEGUMI、撮影:柳田裕男(J.S.C)、照明:宮尾康史、録音:北村峰晴、美術:布部雅人、春日日向子、編集:古川達馬、VFX:小池立秋
製作幹事・配給:日活/ハピネットファントム・スタジオ
Ⓒ2023浅野いにお・小学館/「零落」製作委員会
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インタビュー・テキスト:永瀬由佳