ウンナナクールなど企業の広告クリエイティブやブランディングだけにとどまらず、アーティストとしての活動や「れもんらいふデザイン塾」の開催など幅広い活動が注目を集める千原徹也さん。

今回はこれまでのキャリアやウンナナクールのお仕事についてお話を伺いました。

千原徹也(ちはら・てつや)


アートディレクター/株式会社れもんらいふ代表
広告、ブランディング、CDジャケット、装丁、雑誌エディトリアル、映像など、アートディレクションするジャンルは様々。
その他に、アートマガジン「HYPER CHEESE」企画、「勝手にサザンDAY」企画主催、J-WAVEパーソナリティ、れもんらいふデザイン塾の主催、東京応援ロゴ「KISS,TOKYO」プロジェクトなど、活動は多岐に渡る。https://lemonlife.jp/

デザインの原点。トレースした漫画は父親とのコミュニケーションツールだった

――クリエイターとしての原点を教えてください。

絵を描くことは幼い頃から好きでしたね。

僕の場合、映画を見た後ストーリーを思い出しながら漫画にする、ということをやっていたんです。絵は父に買ってもらったパンフレットをトレースしたりして。

当時、僕は母と暮らしていて父とは別々に住んでいました。会うのは月に1回。そのときはいつも映画館で一緒に映画を観ていました。それで僕は次に会う時までに見た映画を1冊の漫画に仕上げて父に見せる。そうすると父が褒めてくれて、それがうれしかったんです。

――漫画を描くことでお父様とコミュニケーションを取っていたのでしょうか?

市川崑が大好きだという千原氏。この日も映画を取材陣に見せながらOPやグラフィックデザインについて熱く語った。

そうかもしれません。漫画を描くことが趣味になっていくにつれて、映画を観るときもただ観るのではなく「どう描くか」という視点で観るようになっていきました。ここは大きなコマで描こうとか見開き1ページにしようとか。コマ割りをして、吹き出しもつけて。

そうやって、観た映画のストーリーをどのように絵で表現していくか…。それを考えることは小さい頃から好きでしたね。

白紙からデザイナーの仕事をスタート

――では、小さい頃から絵を描くことを仕事にしたいと考えていらっしゃったのでしょうか?

それはあまり考えていなかったです。僕はデザインの専門学校や美大を出たわけではありません。

何かしたいことがあったわけではなくて、大学を卒業する時はどういう仕事に就きたいのか全くの白紙でした。ただ、映画やデザイン、カルチャー雑誌などに興味があるというだけ。

紹介で板倉忠則さんの板倉デザイン研究所というデザイン会社に入ることになったのですが、その時はデザインのデの字も知らない状態。Macにも触ったことがなければ、イラストレーターやフォトショップの使い方も知りませんでした。

――全くの未経験からデザインの職場でお仕事をスタートされたのですね。 最初の頃はどのようなお仕事をされていたのでしょうか?

当時できたのは、まだ性能の低かったプリンターが止まらずに資料を印刷できるように夜中に付き添うことくらいですね(笑) なかなかデザインを任せてもらえないまま、最初の会社は1年くらいでクビになってしまったんです。でも、自分から辞めると言わずに、逃げずに仕事に食らいつけたことは大きな自信になりました。

次に紹介してもらったデザイン事務所ではひたすらマクドナルドの紙のクーポンを作り続けていました。当時は京都に一軒家を借りて住んでいて、仕事が終わった後に仲間で集まって、古着屋やライブハウスのフライヤーを作っていました。

デザインの賞を取って有名になろうとは全く思っていませんでした。京都で楽しく暮らせればいいと思いながら、6年間ほど楽しくやっていましたね。

佐藤可士和氏に憧れ上京

―――住み慣れた京都を離れ、上京しようと思われたきっかけは何だったのでしょう?

佐藤可士和さんのSMAPの作品ですね。発想を磨けば、技術のない自分にもデザインを作れるのかもしれないと思いました。28歳で上京したのですが、東京で最初に入ったデザイン事務所で年下にコテンパンにやられました。

「マジでできないおっさんが入ってきた。何も知らないじゃん」みたいな空気を感じていました。ただ上京した時にスタートが遅れていることは自覚していたので、周りにどう思われてもいいから盗めるものは盗んでいくしかないと腹を括っていました。

――謙虚に向き合っていらっしゃったのですね。「独立」はその時から考えていたのですか?

そうですね。ただ焦る気持ちはなかったです。佐藤可士和さんが「サムライ」を立ち上げたのが35歳だと聞いていたので、僕もそれくらいで独立しようと思っていました 。 「7年あればやれるだろう」とマイペースに構えていましたね。

独自の世界観を追求することでリブランディングを遂げた「ウンナナクール」

――「株式会社れもんらいふ」 を立ち上げて以来、数多くの案件を手掛けていらっしゃいますが、中でもウンナナクールのお仕事は代表的かと思います。言葉へのこだわりを感じたのですが、どのように生み出していかれたのでしょうか。

小説家の川上未映子さんにプレゼンの段階から声をかけて、一緒にコンセプトを考えました。川上さんとは本の装丁を手がけたこともあって、元々面識があったんです。

ウンナナクールには、「女の子の人生を応援する」というテーマが15年前からありますが、女性をテーマにした小説を書いている川上さんからすると、まだまだ女の気持ちを分かっていないと。もっと女の子の気持ちに寄り添うブランドにしなきゃいけないと仰っていました。そこで、それを言語化して伝えていくために何度も話をしました。

――そして生まれたコンセプトが「女の子、登場」。

「女子力」という言葉は、実は男性のためにある言葉です。お茶をサッと出せるとか、一歩下がって歩くみたいな。僕たちが定義するのは“新”女子力。女の子は自分のアイデンティティのまま生きていいんだよと。

――ウンナナクールの仕事ではビジュアルと言葉、どちらが先に出てくるのでしょうか?

言葉ですね。コンセプトを考える時期になると毎年、川上さんと僕でミーティングをするんです。最新のコピーは「わたしだけの素敵」。

「わたしだけの素敵」のコピーとビジュアル。ウンナナクールの店舗に入るとまず先に商品よりもその個性的なビジュアルが目に飛び込んでくる。

前に進めない女の子もよしとしています。今回は初めて女性が2人登場します。片方の女の子がもう片方の女の子のことを好きという設定です。好きなんだけど、恋愛としてなのか、憧れなのか。なんで気になっているのかが分からない。気持ちが晴れていない状態です。

でも言葉にできないということは、誰にも共有されていないということで、その素敵さはわたしだけのものだから、それでいいということ。
言葉とともにコンセプトが固まり、そこから僕がグラフィックを考えていきます。川上さんからは、僕には全く思いつかない言葉の使い方が出てきます。

ビジュアルには女優・岸井ゆきのさん、モデル・女優のモトーラ世理奈さんが起用された。

――ウンナナクールの仕事で、千原さんは具体的にどういったお仕事をされているんでしょうか?

ブランドコンセプトを刷新することからプロジェクトに参画し、キービジュアルやロゴ、店舗、販促など全面的なリブランディングを手がけています。

クライアントからは、時代に適したブランドの価値の再構築をするというお題があったのですが、「ブランドそのものの価値を再考すること」からアプローチを始めました。

ウンナナクールには15年の歴史があります。そうすると、ブランドや商品の魅力が何か、何が消費者に刺さるのか、など自分たちのことが段々分からなくなってくるんです。

そうして、社員の方々がブランドを誇りに思えるような仕組み作りを提案しました。売上や利益を求めるより先に、ウンナナクールの社員の方々が自分たちのブランドのファンになることが必要だと感じていました。

――例えば、どのような提案があったのでしょうか?

例を挙げるとすれば、サイトを女の子のためのマガジンにする、というものです。ウンナナクールというブランドが女の子の人生を応援していることを理解してもらえるようにしましょうと提案しました。

デジタル施策は時代の流れのなかで「インスタをやらないと」「PV数を上げないと」となっていきがちですが、それよりも自分たち独自の世界観を保つためにやることがあるんじゃないかなと。

――「社員の方々の意識が変わること」が今回のリブランディングの要になるかと思いますが、 クリエイティブ面以外ではどのようなアプローチをされていますか?

川上さんと僕は毎年、京都の本社で社員向けのトークショーをしています。

ウンナナクールの店舗外観

どういうコンセプトで広告を作ったか、なぜこのモデルにしたのか、カメラマンの人選、言葉の生まれた経緯など、川上さんと考えて実行してきたことを全部話すんです。

そうすると、集まっている店長たちが、その話をお客様にできるようになるんです。自分たちがすばらしいブランドの一員だという自信を持てるようになります。そういう土台の仕組み作りも続けていきたいですね。

「失うものは何もない」失敗もあったけど、とにかく場数を踏んだ

――千原さんのようにチャンスを掴むためにはどうすればいいのでしょうか?

チャンスは毎日、そこら中に転がっています。僕は時間をかけて“低い山”“自分だけの山”に登ったと思っています。僕は美大を出たわけでもないですし、何をやりたいかも不明確で、若いときにはコンプレックスがありました。

ただ、失うものもなかったので、やるだけやろうと思って、数多くの打席に立ってきた自負はあります。打率が低くても、100打席立ってヒットを1本打てればいいと思っています。

――若い人たちへのメッセージをお願いします。

「れもんらいふデザイン塾」というデザインを学ぶ場を作っているので、キャリアについて若い人に相談される機会も多いです。が、その中で感じるのはやるかやらないかですね。

若いうちは成果を早く出したいと焦ることもあると思いますが、自分が本当にやりたいことは20代で叶わなくても全然大丈夫です。好きなことを突き詰めて、行動あるのみ。応援しています。

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インタビュー・テキスト:谷村光二/撮影:SYN.PRODUCT/企画・編集:田中祥子(CREATIVE VILLAGE編集部)

※クリーク・アンド・リバー社ファッション事業部が主催する、ファッション業界の著名人による対談形式のセミナー「FASHION CREATIVE 東京会談 」の第一回(2015年3月開催)にもゲストとしてご登壇いただきました。その時の様子はこちらから。