霜田孝雄の旺盛な知識欲は、めまぐるしく発展するゲームアプリ業界にうってつけだった。好きなことを突き詰めてきた結果、天性のプログラマーと言われるまでに至る。
「僕は才能という言葉はあまり好きではありません。向き不向きはあると思いますが、普通にプログラマーとしてやっていくのに必要なのは愚直に努力することだけです。それができる人は長続きしているように思います」

遊んだ人を楽しませたい

現在スタジオキングに所属し、ゲームアプリのプログラマー(クライアントエンジニア)として活動しています。基本的にソーシャルゲームというのは、出して終わりではなく、アップデートを重ねてどんどん面白くしていくものですので、そのためには、予定されている拡張にプログラム的に耐えられるかどうか、さらに、提示されている以外の可能性も見据えプログラムを設計することが当然必要になってきます。僕の仕事は技術的な見地から、ディレクターやプランナーが考えている企画が現実的に可能なのか、仕様を見て抜けがないかなどディスカッションを重ね、完成形を明確にし、実現していくことです。
同時に、エンジニア向けに講義を開いたり、同じプロジェクトのプログラマーの設計をレビューするなど、社内教育にも力を入れています。僕のチームは自分を含め6人ほどで、いま僕はプロジェクトのリードエンジニアという立場でやらせていただいています。みなさんメインプログラマーやリードエンジニアの経験者ですので、非常に優秀な人材が集まっていると思います。ゲームはチーム制作なので、だれかひとりが突出していてもしようがない。僕の役割は、自分のノウハウを伝えみんなで共有しチーム全体のレベルを上げていくことです。やはりその会社の実力がわかるのは、社内でしっかり技術研修をやっているか、R&D(研究開発)の部署がどれだけ強いかというところですので。
僕はそれほどゲームをやってきたわけではありませんが、遊び自体を考えることは子供の頃から好きでした。根底にあるのは「遊んだ人を楽しませたい」ということで、時勢柄ゲームをつくっているという感じです。今も好きですが、レゴブロックが小さい頃から大好きで、子供の頃はいつもレゴでロボットをつくったりして遊んでいました。ですから最初はゲーム業界ではなく、おもちゃ業界に入りたいと考えていました。実は僕の両親もプログラマーなのですが、ゲームをつくるにしても、昔はプログラマーではなく、プランナーやデザイナーになりたいと思っていました。いつの間にかプログラムの権化みたいに言われていますが(笑)。

やるしかなかった

ゲーム業界に興味をもったのは高校生のときでした。ライフル射撃部に入っていて、部活の仲間とPSPで「モンスターハンター」で遊んだりしているうちに、ゲームの面白さに目覚めました。それで、遊びをつくるんだったらゲームかなと思うようになりました。学校の成績はずっとよくて基本的にオール5。体育は除く、ですが。大学もいろいろなところから推薦ももらっていたのですが、大学ではやりたいことができないと専門学校に進みました。ネットで調べて、日本工学院八王子専門学校に絞り体験入学に参加し、プランニングとプログラミングの両方が学べる4年制のゲームラボに決めました。
実際にプログラミングを始めたのは専門学校に入ってからでした。ゼロからでしたが、こういうものをつくるにはどうすればいいんだろうと自分で調べてやっていくことでどんどんステップアップできたことがとても楽しかった。ですが、本当に面白いなと思い始めたのは入学して半年ぐらいたってからで、初めは「やるしかない」というのが本音でした。大学の推薦を全部蹴って専門学校に進んだことがプレッシャーになって、あとがないというか、ちゃんとゲーム業界に就職して結果を出さなくてはと、一切遊ぶこともなくずっと勉強。かなりストイックに生きていました。半年後に、初めてつくったシューティングゲームが周りに評価され、初めて達成感を得た気がしました。そこからもっと面白いものを見せてやろうと突き進んでいった結果、正真正銘のプログラマーになっていました。
プログラムを始めた当初勝手に思っていたのは、結果や理解はあとからついてくるということでした。写経と言っているんですけど(笑)、真似して1回参考のコードを写す。次また別のゲームをつくるときに、そのまま使えるところは使う、変えるところは自分で考えてやってみる、ということを繰り返しているうちに、こういうことだったのか!とわかるようになる。最初は中身に何が入っているかわからなくても、できるだけたくさん引き出しを増やしていくことから始めればいいと思います。
日本工学院は好きなだけ勉強できる環境を提供してくれましたし、先生は技術的な雑談ができる唯一の友だちのような存在でした。1年生の前半は猛烈に勉強、後半からは人に教えることに目覚め、いつの間にか先生のような立場で課題やプロジェクトを見るようになっていました。2年の後半には、プログラムでお金を稼ぐとはどういうことなのかを知りたくて、インターンとしてプロの現場で働き始めました。3年生になってからは学業に専念し、シンプルで、変更や拡張に強いコードをかくためにはどうすればいいのかということを突き詰め、とにかく自分の技術を磨き上げることに注力していました。

才能より真面目さ

3年の後半からサイバーコネクトツーでバイトを始めました。そもそも僕はコードがかけたり、考えられたりするだけで幸せな人間ですから。スペックが決まっていたらそこに合わせればいいだけですし、縛りや削る作業もそれはそれで楽しんでやっていました。卒業後はそのままサイバーコネクトツーに就職し3年弱勤め、2016年春からスタジオキングに転職しました。僕はいかにコードをうまくかくかということや、新しいバージョンのツールをどう活用するかとか、プログラムのトレンドをキャッチしてみんなに広めたり、何かを調べる、研究する、人に教える、といったことが好きだし、自分を最大限に活かせる分野だと思っていたので、その可能性を感じての入社でした。実際に僕のやり方や考えを尊重してもらい自由にやらせてもらっているので、とても楽しく働けています。
僕は何かに触発されたり、影響を受けない人間で、ただただ自分の知識欲に従ってやってきましたが、最近は勉強のために映画も見るようになりました。それから自転車に乗り始めました。季節によっては通勤も自転車ですし、散歩がてら10キロ、20キロ走ったり。自転車に乗っている時は余計なことを考えないのでいい気分転換になりますし、足腰も強くなったような気がします。やっぱり外に出で日光を浴びるのはいいですね。なんか前向きになれます。もちろんレゴも大好きですけど(笑)。
いまの僕の夢は代表作をつくること、目標は教える立場で頑張っていきたいということでしょうか。自分が関わってきた人たちが結果を出しているのを見るとすごくやりがいを感じます。まだ25歳なのに何様目線だって言われそうですけど(笑)。教え子たちが羽ばたいていく姿を見るのは本当に楽しいんです。初めてインターンとして現場で働いたときに感じたのは、技術的に光っている人もありがたいけれど、締め切りや目標に向かってきちんと仕上げてくれる人のほうが重宝されるということでした。プログラマーとしてやっていくのに特別な才能など必要ありません。ゲームづくりやプログラミングが好きという気持ちと、与えられた仕事を責任もって果たす真面目さがあれば大丈夫だと僕は思います。