『NieR:Automata(ニーア オートマタ)』『SINoALICE ーシノアリスー』を世に送り出し、2017年は今までにも増して注目を浴びることとなったヨコオタロウさん。それ以前から『ドラッグ オン ドラグーン』シリーズなど独特の世界観を持つ作品でファンを獲得してきた人物ですが、その支持を確固たるものにした1年でした。
今回、そんなヨコオさんが常にどのような思考でゲーム制作に向き合っているのかを伺いました。
ヨコオさんの独特な世界観が垣間見えた、興味深いインタビューです。

ヨコオタロウ
株式会社ブッコロ代表取締役
代表作:『ニーア』シリーズ、『ドラッグ オン ドラグーン』シリーズ。

デザイナーで失敗したから、ディレクターに流れ着いた

僕がゲーム業界を目指したのは、中学生のときに『グラディウス』が登場した時期まで遡ります。それ以前からアーケードで『ディグダグ』『ゼビウス』といったゲームを遊んでいましたが、『グラディウス』ではステージごとで上下に地面が現れたり、火山地帯になったりと展開があることに感動したんです。それはテレビや映画の時代は終わって、すべてゲームになると思わせるほどの衝撃で、「自分もゲームに関わりたい」と思うようになりました。

芸術大学で映像やCGを学んだ後、当時CGでは最先端を走っていたナムコに入社しました。あの頃はシリコングラフィックスというワークステーションでCGを作っていたのですが、ナムコはこれに触れる環境を持っていた数少ない企業だったのです。その後ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)を経て、キャビアへ移り『ドラッグ オン ドラグーン』のディレクターを務めました。

『ドラッグ オン ドラグーン』では最初はアートディレクターを担当していました。当時の開発プロデューサーはディレクターも兼任していたのですが、多忙になってきたこともあり、自分がディレクターに就くことになりました。僕は魅力的な絵を描けるわけでもなく、ある意味ではデザイナーで失敗した結果、ディレクターに流れ着いた感もあります。ちゃんとデザイナーとして成功していたら、ここにはいなかったかもしれません。

一方で、自分はディレクターにはあまり向いてないとも思います。
ディレクターとして重要な才覚の一つに「何よりも作っているモノを優先させる」という部分があると思っています。例えばゲームにイラストを採用する際、長年の親友が描いた普通のイラストと、知らないデザイナーが描いた上手いイラストの二つがあるのなら、後者を選ぶほうがディレクターとしては正解です。
つまり、仕事をするうえでは友情なんかの人間性が邪魔になってしまう場合もある。優秀な人はそこを無意識に突破してしまうのですが、自分はそこまで到達出来てはいません。そういう意味ではデザイナーとディレクター、どちらにもなれなかった人間だと思います。

これまで影響を受けてきた作品は様々な物があります。大学時代に読んだ大原まり子さんの『ハイブリッド・チャイルド』は詩的な作品で、面白さにも多様性があることを知りました。最近だと『インターステラー(クリストファー・ノーラン監督/2014年)』はとても好きな作品で、ドラマ制作手法の変遷を感じましたね。海外ドラマの『24 -TWENTY FOUR-』以降、別々の物語がクリフハンガーに引っかかりながら進んでいく構造が確立され、映画の作り方も劇的に変わりました。『インターステラー』はその完成形であると同時に、新しいアプローチも加えた作品だと思います。

とはいえ、実は最新のクリエイティブに対してアンテナを張っているわけでもないんです。おすすめされた作品を見るくらいで、自分からはゲームでも遊ばないし、本も読みません。たくさんの作品を毎日摂取していると感覚が麻痺してしまい、なにが良いのか分からなくなってしまうからです。だから普段はグルメ番組とか、気軽に楽しめるものを見ています。映画やドラマを見ると学びの場になってしまい、気が休まらないんです。

ゲームはユーザーが体験することに価値がある

2017年には『ニーア オートマタ』を発売して、国内外を問わず多くの方にプレイしていただきました。世界的に高い評価を得られた理由は、開発を担当したプラチナゲームズさんが優秀だったこと、スクウェア・エニックスさんとプラチナゲームズさんの相性が良かったことが大きかったと思っています。プラチナゲームズさんと共にゲームを作ることになった当時、まだ『ニーア オートマタ』の企画は存在していませんでした。プラチナゲームズさんがSFのアクションゲームを作ることが得意なのは知っていたので、それに僕の方から寄せていった結果、生まれた作品です。ゲームディレクションというのは基礎的な部分の穴埋めやバグの修正など、細かな作業が全体の8割を占めます。ですが、プラチナゲームズさんはその作業がとても少なく、実力の高さを感じました。

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ゲームの企画が生まれるとき、根本にあるのは今も昔も変わらず予算です。予算が決まることで作れるゲームの規模も決まり、そこからようやく具体的な世界観作りに移っていきます。『ニーア オートマタ』も最初に考えたのは、ステージの数とボスの体数、ムービーの時間で、物語は「決まった予算でなにが描けるか」という具合に考えていきます。その後、まずはエンディングから考えるのが個人的なセオリーになっていますが、『ニーア オートマタ』に限ってはエンディングを最後に回しました。思いついたシーンの配置を変えて、そこから次に必要なシーンを考える作り方に挑戦しました。気分次第で、いきなりセリフから考えるときもありましたね。

その一方で、ゲームに軸となるテーマを作ることはないです。テレビゲームは、クリエイターが作って終わりではなく、ユーザーが体験できるところに価値があると考えているからです。『スーパーマリオブラザーズ』には天井の上、つまり画面の外を歩く裏技がありますが、これはデザイナーが描いた世界の外にも広がりがあることを体感させてくれました。このようにゲームをプレイする人には、極力自由な発想を持っていてほしいのです。だからシナリオや世界観を作る際にも、僕からテーマを提示することはありませんし、ユーザーがどう思うかを誘導することもしたくはありません。

ゲームは“音の奴隷”…『シノアリス』に於けるサウンドへのこだわり

2017年は『ニーア オートマタ』に加えて、スマートフォンアプリの『SINoALICE ーシノアリスー』にも参加しました。この作品ではクリエイティブディレクターという形で、全体的な世界観の骨格を作っています。スマートフォンのゲーム開発に携わるのは今回が初めてで、コンシューマーと比べると分からないことばかりでした。コンシューマーはどうすればユーザーが喜ぶのか、大体のセオリーは分かります。しかしスマートフォンだと、なぜ人気が出るのか、なぜ多くの人が課金しているのか、本格的に分からないんですよ。時代が変わり、ついていけなくなった感覚がありますね。

またスマートフォンに限った話ではありませんが、ユーザーの声を拾い上げるのも難しく感じました。SNS上では褒めるにしてもけなすにしても届く声はオーバーになりがちで、しかも九割以上の人はなにも言いません。声を上げないユーザーの方が圧倒的に多いことを肝に銘じて、真摯に作ることが大切だと考えています。

『シノアリス』以前にもスマートフォンアプリには触れてきましたが、個人的には多くのソーシャルゲームの画面デザインに馴染む事が出来ませんでした。派手な原色をベースにした主張のキツイUIデザインが多く、「これを作った人は、本当にこの画面デザインを好きで作ったのかな」と、以前から疑問に思っていました。想像するに、恐らくデザイナーは、たくさんのスタッフの意見を聞くうちに、キメラのように複数のこだわりを混ぜてデザインせざるを得なかったんじゃないでしょうか。それはそれで独特の良さがあるのかもしれませんが、僕にはどうしても受け入れられなくて、『シノアリス』ではデザイン面、特にUIには修正をかけてもらいました。もしかしたらゲームシステムよりデザイン面のリクエストのほうが多かったかもしれません。

もう一つこだわった点としてサウンドがあります。僕はゲームを含めた映像作品はすべて“音の奴隷”で、ビジュアルや遊びは音の次に相手へ伝わるものと考えています。それは『シノアリス』も同様で、音を使って意味づけ、言い方を変えれば音でごまかしている部分が多々あります。僕が特に気にしているのは音を使う時間やタイミング、ボイスとボイスの間隔であったり、BGMによって生まれる緩急などですね。音楽や声優さんの演技に関しては他のスタッフに任せてあります。しかし、時間軸に対するサウンドデザインだけは要望を出させていただきました。

いろいろな作品を分析すると、ストーリーが面白くても音が面白くないから損している作品が多い印象を受けます。逆に音だけで押し切っている作品も少なからずあって、自分の作るゲームはその典型的な例の気がします。

将来は“ゲームクリエイター”という肩書がなくなるかも

現在のゲーム業界には「ゲームはこうでなくてはならない」という固定観念、“見えない壁”があります。これはゲーム業界に限った話ではなく、社会全体が賢くなった以上、当然の現象だと思います。

遥か大昔、人はどこへ行ってもいいし、どこで寝てもいいものでした。しかし社会が進むに連れて、決められた土地でしか寝ることができなくなりました。ゲーム業界もそれと同じで、時代によって制限が増え、そして制限があることを普通のことだと考えているのです。

例えば『ニーア オートマタ』で特別な操作をすると、他のゲームのセーブデータを消す仕組みだって、理屈の上では制作可能です。でも本当にやったら、クライアントさんやお客様が許さないですよね。その是非はさておき、このような無意識のうちにできた壁は本当に多いと思います。

自分は、そうした見えない壁があることに自覚的でありたいと思います。というのも、僕はゲームがもっと自由であってほしいと思っているからです。パッケージがきれいだから買って、封を開けずに飾るだけでも一つの体験です。ユーザーの体験を縛ることも、ゲーム体験から得るものを縛ることもしたくはありません。ゲームは自由度の高いメディアであり続けてほしいです。

また、僕はこれまで、ゲーム初心者のお客様にも楽しんでもらいたいという気持ちでゲームを作ってきました。初心者でも熱心なプレイヤーでも、ゲームに支払う金額は同じです。同じであれば全員が等しい体験ができなければいけないという考えからです。ゲーム業界全体も同じ流れになっているんじゃないでしょうか。単純に初心者の方が圧倒的に多く、作り手の意図とは関係なく、マーケットを広げる動きは要求されていますから。

ここまで言っておいて何ですが、自分の感覚はもう時代についていけてないと最近感じています。そして今後は若いクリエイターが、若い感性でゲームを作ってくる時代へ移っていくと思います。ひょっとしたら、“ゲームクリエイター”という肩書がなくなり、より幅広い活躍をするかもしれません。僕自身、年をとっても彼らが作るゲームを楽しいと思える人間でいたいです。

インタビュー・テキスト:岸 由真/撮影:古林 洋平/企画:大沢愛(CREATIVE VILLAGE編集部)/編集:CREATIVE VILLAGE編集部