石切山義貴は、日本が誇るコンテンツである、仮面ライダーとスーパー戦隊シリーズの現場を支える制作部のなかでも最重要人物だ。ロケハン、ロケ場所の交渉、各種許可申請、食事・宿泊・車輌・駐車場の手配、安全管理、ロケ予算管理、現場での役者やスタッフのケア等々、仕事は多岐にわたる。密接な人間関係、連日続くハードな撮影。それでもなお、現場に何かを見出し強く惹きつけられ、邁進を続ける人間もいる。石切山もそのひとりだ。
「制作の仕事を始めた時に先輩から、“現場のお母さんになりなさい”と言われました。みんな眠いの我慢して朝早くから現場に来ているんだから、あったかいコーヒーを出してあげようね、頑張って仕事しているんだから、みんなに美味しいお弁当を食べさせてあげなくちゃね、もし撮影でケガをしてしまった人がいたらしっかり面倒をみてあげるんだよ、だって現場のお母さんなんだからって。僕はその言葉を胸にずっとやってきました」

わずか50人のひとり

東映テレビ・プロダクションに所属し、制作部として仮面ライダーとスーパー戦隊シリーズを担当して約10年になります。正直とても厳しい現場だと思います。制作チームは、役者、監督、スタッフ、ドライバーさんも含めると55人。なぜすぐ人数が出たかというと、さっきまでお弁当の数を確認していたからで(笑)。僕の現場は制作部3人体制で、「進行」、その上に「主任」「担当」となっていて、僕は現場責任者の「担当」なので、本来の業務は新規のロケ場所を探し監督と相談して決めることなんですが――、なんでもやります。
通常50人前後のチームで、朝早くから日暮れまで、海、山、採石場へとロケに飛び回り、さらにスタジオ撮影という日々が約1年間続きます。多くの連続ドラマと異なり、ワンクール1年ですから。この10年、冠婚葬祭にはほとんど出ていませんし、家族や友人の誘いもほぼ断っています。理由は「撮影があるから」。自分でも「一体なにやってんだ!?」って思うこともありますけど、イベントで本当に喜んでいる子どもの姿を見たり、ロケ先で「ウチの息子が大ファンなんですよ」と声をかけられたり、全国に仮面ライダーやスーパー戦隊のファンが何万人といて、それをつくっているのはわずか50人のスタッフで、そのひとりになれているわけだから、これはすごいことなんじゃないかと(笑)。ただ、その喜びを味わう時間がないほど毎日追われています。こんなに大変なのに「僕たち丈夫だねー」ってスタッフ仲間とよく話すんですけど、食べ物の好き嫌いもないし、車でもどこでも眠れるし。365日24時間常にアンテナを張っているようなところがあって、素敵な家を見つけたら、今度ロケに使わせてもらえないかなって思うし、友だちと飲んだコーヒーが美味しいと今度現場で出してみようってなりますし、いまはそういうことを面白がってやっています。向上心というより、工夫し続けることが好きなんだと思います。

仮面ライダービルド

仮面ライダービルド
Ⓒ2017 石森プロ・テレビ朝日・ADK・東映
毎週日曜午前9時から、テレビ朝日系列にて絶賛放送中!

 

特殊なジャンルということもあり、監督やスタッフには仮面ライダーやスーパー戦隊シリーズ専門でやっている人も多く、同じメンバーで、何年、何十年やるという。もはや家族以上の関係です。だから、監督やスタッフの好き嫌いやコンディションまで、手にとるようにわかるんです。若い制作スタッフが「何だよ、この弁当!」って監督から怒られていたら、「ねぇ、ねぇ、彼はキノコが嫌いだから次から気をつけようね」とか、「マヨネーズが食べられないから、ツナマヨのおにぎりは頼んじゃダメだよ」とか(笑)。

下準備はできていた

子供の頃からテレビっ子でした。家が山間のかなり田舎にあり、僕は身体も小さく運動もダメだったので、テレビは大事な娯楽でした。仮面ライダーやスーパー戦隊も好きでした。仮面ライダーBLACK、光戦隊マスクマン、超獣戦隊ライブマン、世界忍者戦ジライヤ……覚えているものですね(笑)。学校では勉強はダメでしたが、部活は頑張っていました。中学ではテニス部、高校では剣道部、どちらもラクそうだったので入部したら、なんと学校で一二を争うハードな部活で。それでも3年間辞めずに続けました。日曜も朝早くから部活の練習があって、部活に行く前に必ず仮面ライダーやスーパー戦隊を見ていたんです。中学時代からのその蓄積がいまとても役に立っています。監督の「空に舞ってさ、バーンとなって怪獣がドーンとなるんだよ」とか、「昔やっていた〇〇マンの変身だよ。あのオープニングのシーンだよ」とかいう意味不明の発言も、「あー、あれか」ってピンとくる(笑)。厳しい部活動のお陰で、図らずも完璧な下地が出来上がっていたようです。
高校卒業後は、小道具や造形美術に興味があり、日本工学院専門学校放送芸術科(現クリエイターズカレッジ 放送芸術科)に進みました。特殊メイクの専門学校も見学に行ったりもしたんですが、まず業界のことを知ることが大事だと考えての選択でした。授業も真面目に受けていましたし、文化祭の実行委員をやったり、週末は装飾や美術のバイトに励んだりと、充実した生活を送っていました。映画「CASSHERN」の美術の現場にバイトで就けたのもいい経験でした。劇場でスタッフロールに自分の名前を見つけたときの感動は忘れられません。正直あれがなかったら、この業界に進んでなかったかもしれません。
卒業制作はヒーローのお面がつくりたくて、ヒーローモノの映像作品をつくりました。「CASSHERN」で知り合ったスーパー戦隊のお面を実際につくっていた人の工房に通い、就職活動そっちのけで制作に没頭していました。まだ本当にやりたいことを見つけられずにいたのだと思います。卒業後は5年ぐらい制作会社や時には電気工事のバイトなどをしながら食いつないでいました。あるとき日本工学院でお世話になった講師の先生が東映の戦隊モノに関わっていたらしく、制作部で人が足りないからと日本工学院時代の友人を通して声をかけられました。軽い気持ちで参加することにしたのが、いまに繋がる第一歩でした。
僕はなんと、高校3年生のときに、剣道部の恐い顧問の先生に卒業後の進路を聞かれ、「いまテレビで仮面ライダーやっているんです。カッコいいんですよ。僕は東京に行って仮面ライダーをつくります!」って言ったんだそうです。先日親友の結婚式でその顧問の先生と再会して褒められました。「お前、あのときの夢を立派に叶えてすごいなぁ」って。正直、当時なんでそんなことを言ったのかすっかり忘れていたのでビックリしちゃいました(笑)。

恩返しです

最初は本当になにもわからず、「お茶つくれ」「バスに乗れ」「着いたぞ、山に登るから荷物持て」、で、気づいたら撮影が始まっていてという感じでした。でもとにかく面白かったです。こんなふうにつくっていたのか!と。ロケで採石場に行けば、散々テレビで見ていた景色が広がっていて、ここだったのか!とか、煙ってこんなふうに出しているんだ!、いま怪獣が爆発したとき本当に火柱が立ったけど大丈夫か!とか、感動しっぱなしでした。
仮面ライダーやスーパー戦隊は、ファンタジーあり、アクションあり、爆発もCGも合成も特撮もあって、これだけの要素が詰め込まれたドラマはほかにないと思います。しかも毎週放送、それも1年間にわたって限られた予算でやっていくわけですから、制作としての腕が試される現場だと感じています。実は数年前に一度、会社の方針でデスクの仕事に移ったことがありました。僕なりに新たなチャレンジだと考えての異動でした。現場に挨拶に行くと、「頑張って」とみんな快く送り出してくれました。でもあとで担当プロデューサーさんは、「なんであいつを現場から外すんだ!」と大勢から文句を言われ、ある監督には猛烈に抗議されたそうです。嬉しかったです。制作部冥利に尽きるなと思いました。ま、そういうありがたいことを言ってくれる監督ほど、無理難題しか言わないんですけど(笑)。
最初はみんなに「美味しいね」って言ってもらうために50人分のカレーをつくったり、見やすいロケ地までの地図を描くといったことに喜びを見出していました。それが次は、撮影が無事に効率よく進むための準備を整え、率先して現場を引っ張っていくことを考えるようになりました。現場での立場が上がっていくことで、自分の力で現場を調整できる部分がどんどん増えていき、それがとても楽しかったし、やりがいも感じていました。
いまはスタッフの性格や趣向だけじゃなく、自分に与えられている責任も承知しているつもりです。だから本当にダメなときや危険だと判断したら、現場で声を荒げることもあります。以前は監督やスタッフに気を遣っていましたが、いまは撮影現場全体に気を配るようになってきました。みんなができるだけ気持ちよく、安全にかつスムーズに撮影が進むよう準備するのが仕事ですが、万が一何かあったときにどうにかするのも僕の仕事ですから。
照明、カメラマン、「コーヒーぬるくなっちゃてるよ」って耳打ちしてくれたベテランのドライバーさん、みなさんに僕は育ててもらいました。大変だけど、頑張ったことはちゃんと認めてくれる場所です。だから僕はいま現場で、育てもらった恩返しを一生懸命しているんです。