石塚千尋は、早くから才能を認められた希有なマンガ家だ。
日本工学院専門学校在学中にデビューと連載が決まり、デビュー作は2016年春にアニメ化もされた。
「でも最近やっとです。自分の思い通りの絵や線が描けるようになって、肩の力が抜けて、楽しんでやれるようになったのは」
絵に自信がない、正解が見えない、もう描けない……、苦しみの真っただ中にいた石塚を救ったのは、故郷の青森県だった。

 

■ 現実と非現実の重なり

『別冊少年マガジン』で連載中の「ふらいんぐうぃっち」は、自分が生まれ育ち、そしていまも住んでいる青森県弘前市が舞台です。登場する場所は本当にあるところで、「ここでこんなことが起きると面白いな」とか、実際の風景を見ながらアイデアがわいてくることもあります。本当に地元密着のマンガです。
連載が決まってからネームが通るまでに約2年半かかりました。「ふらいんぐうぃっち」は魔女が主人公のファンタジーな話だから、嘘っぽくならないように、現実世界をしっかり描きたいと考えていました。そのため舞台設定でずっと悩んでいて行き詰まってしまい、いったんリフレッシュのために弘前に帰ったんです。弘前で日常を過ごす中で、「ここでいいじゃないか!?」と思い立ち、それで実家の近所を舞台にネームを1枚書きました。そこから連載が進み始めました。現在は、ネームは東京、描くのは弘前といった形で行き来しながらやっています。
僕が描きたいのは「日常の中にヘンなヤツがいる」、しかも現実世界の中に異世界が「普通に存在する」、そんな違和感のないシュールな世界観です。映画が好きで特にマーベル作品をよく見ているのは、CGの進化もあって映画の設定自体がしっかりしていれば、どんな非現実なスーパーヒーローも違和感なく見られる、そこが参考になるからです。
もうひとつ最初から、自分が純粋に楽しんでいた小・中学生の頃までに見たようなアニメを再現したい、ノスタルジックな作品にしたいと考えていました。いわゆるマンガらしいマンガは描きたくなくて、だったらいっそもっと遡って、ジブリ作品のような郷愁感を漂うマンガにしたい。そういう作品が自分も一番好きだし、バイオレンス作品が多い『別冊少年マガジン』では、むしろ新鮮に見てもらえると思っていました。

 

『ふらいんぐうぃっち』(講談社コミックス)既刊4巻まで大好評発売中

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高校生になった魔女の真琴は黒猫のチトと豊かな自然が残る青森県の親戚の家に引っ越してきた。のんびり、ゆっくり、まったり、真琴の魔女修行が始まる。「単行本になったときは、連載が開始されたときよりも、世の中に作品が出るんだという実感がありました。だから即、重版がかかったときは、すごく嬉しかった。ちゃんと読んでくれる人がいるんだってことを数字で見ることができましたから」

 

■ マンガを描く空気

子供の頃からイラストを描くのが好きでした。マンガよりアニメをよく見ていて、アニメのキャラクターをノートに描きまくり、1冊全部ポケモンで埋めたり。学校ではちょっと絵がうまい子で通っていましたが、そのぶん勉強はどんどんできなくなっていきました(笑)。ゲームも好きでした。印象深いのは「サモンナイト」。イラストがカッコよくて可愛くて、キャラクターを手がけた飯塚武史さんの絵は大好きでした。
高校は入れるところにとりあえず行きました。その学校にコンピュータ部があって、資格を取り就職を有利にするというのが本来の目的でした。でもそっちの勉強はまったくやらず、友だちが持ってきたペンタブレットにハマり、やっぱりイラストばかり描いていました。5、6人の仲間とサイトをつくり、描いたイラストを公開したり。その頃から「将来、絵の仕事につきたい」と思うようになりました。
日本工学院専門学校を知ったのは、高校にあったパンフレットを見たからですが、勧めてくれたのは教頭先生でした。僕が絵を描いているところを部の顧問が見ていて、教頭先生の耳にも入っていたんだと思います。それで友だちと3人で日本工学院専門学校 クリエイターズカレッジ マンガ・アニメーション科の体験入学に参加し、「とにかくやってみよう」と入学を決めました。最初はホームシックに苦しみ、半年ぐらいたってようやく授業が楽しくなってきました。初めはイラスト志望でしたが、マンガの基礎を学んでいくうちにどんどん面白くなり、もし絵で食べていくとしたらマンガがもっとも有望だと考えるようになりました。それに、自分の作品だという手応えを一番感じられたのがマンガでした。
それでマンガコースを専攻し、1年生の中頃から夢中になって描き始めました。授業は手描きが基本なんですけど、僕はペンタブレットでずっと描いていたのでメチャクチャ下手で、初めて描いた8ページの作品はひどい出来でした。絵が上手い人にはホント嫉妬し、もっといい絵を描いてやるとすごく燃えました。一見余裕そうに見せていましたが、内心はライバル心メラメラでした。みんなマンガが好きで、やる気あって、真剣に作品づくりをしていて、僕自身もやる気がわいてきたし、粘り強くマンガに取り組むことができました。このまま頑張れば、自分もプロになれるかもって勇気ももらえました。そんな“マンガを描く雰囲気”に身を置けたことが、僕にとって一番大きかったと思います。

 

■ “上手い”じゃなく“売れる”を

1年の終わりに描いた16ページの作品が、出張編集部で学校に来ていた少年マガジン編集部の方の目にとまり、そこから新人賞を目指し、担当さんと一緒に作品づくりにかかりました。当時真剣に考えていたのは、自分の強みはなんだろうということでした。それで、“上手い”じゃなく、“売れる”絵を描こう、それをだれにも負けない強みにしようと決めました。なかなか自分の理想の絵に辿り着けなくて苦しみましたが、自分なりに売れるラインを分析し、可愛いけれど萌え系まではいかない、そんな女の子を描けるよう、ひたすら鍛える毎日でした。2年生の中頃に応募した作品が佳作をとり、その後本誌に掲載され評判がよかったようで、卒業と同時にデビューと連載が決まりました。そこから実際に連載が開始されるまでに2年半かかったわけですが(笑)。
本当に人に恵まれていると思います。編集部の方も「マンガを嫌いになってもらっては困るから」と描けないときも辛抱強く見守ってくれて、「大丈夫、君はやれるよ」って思わせてくれる。すごくありがたいです。家族にはマンガを描いていることを言ってなかったので。少年マガジンに載った時も「うちの子じゃない。違う人が描いてんじゃない?」って(笑)。でも喜んでくれています。全然期待してなかった息子が、まさかマンガ家になって、連載をもって、本も出せて、なんとアニメ化!って。
受賞もデビューも連載も、もちろん嬉しかったですが、同時にマンガ家として次回作を描かなければという責任に押しつぶされそうで、芯から喜べませんでした。でも最近は、自分が表現できるのはやっぱりマンガしかないと、マンガ家としてやっていく覚悟が芽生えてきました。基本的に認められたいという思いが強いので、描くなら売れたい。好きで描いているだけというのでは、まったく満足できないんです。そういう“欲”みたいな部分も出していくことが、これからの自分の課題だと感じています。同期のみんなも頑張っているし、いうならばマンガ家は全員ライバルだと思っています。いい絵だなって思ったら、「わぁーライバルだ! もっといい絵、もっと人気が出る作品描いてやるー」って、「いいなー。クソー!」の繰り返しは昔から変わっていないです。

 

「ふらいんぐうぃっち」Blu-ray&DVD Vol.5

ふらいんぐうぃっち」Blu-ray&DVD Vol.5
2016年10月19日(水)発売 発売元:バップ
Ⓒ石塚千尋・講談社/「ふらいんぐうぃっち」製作委員会

 

「マンガ自体これであっているのかなって自問自答しながら描いていたので、アニメ化のときも不安でいっぱいでした。でもすごく丁寧につくられていて、とてもいい作品になっていました。アニメの放送が決まったときは、弘前の町中に「ふらいんぐぅいっち」の旗がなびいて、本屋にも特設コーナーがドーン、ドーンって。嬉しかったです、恥ずかしくもありましたが(笑)」

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