無料マンガ雑誌アプリ「マンガボックス」で連載中の「アクノヒガン BEYOND EVIL」。
作画を手がけるオギノは、悔しさと焦燥感にかられる日々の果てにチャンスを掴んだ。
豊かな才能、確実な技術、高い志、それらをもってしてもマンガ家への道は遠かった。
「できないのがダメなんじゃない、できないからやるんです」――気が遠くなるほど試行錯誤を繰り返し、ときに途方に暮れながら、それでも勝算はあった。

■ 好きと得意だけで生きてきた

絵は物心つく前から描いていたようです。父の話では、飼っていたカブトムシが死んでバラバラになったのを、ベランダにパーツごとに並べて詳細な絵を描いていたらしく(笑)、子どもながらにすごい観察力だなと父は思ったそうです。その観察力はいまもとても役に立っています。小学生のときは好奇心旺盛でやんちゃ、要領がよく大して勉強しなくても成績もトップでしたし、手先も器用で工作も得意、絵は常に大会で賞をもらって展示されてました。これまでの人生でもっとも完成度が高かったと思います。マンガはあれば読む程度、アニメもあまり見てなくて、圧倒的に友だちと外で遊んでいるほうが多かったです。
中学時代は人生の分岐点でした。1年生のときにパソコンを買ってもらったんです。テニス部で1年からレギュラーになれるぐらいだったんですが、それも辞めてしまい、成績も徐々に落ちていき、完全にネットの世界にはまってました。一方で、中学2年生の頃から、ネットでいろんな人の作品見て触発され、他人に見せることを意識した創作活動も始め、HPを立ち上げてイラストにマンガ、小説なども公開していました。『ONE PIECE』などの模写もやってましたし、絵を描くことが楽しくて、人生で一番描いていた時期だと思います。
それが高校に入ってから見事に描かなくなるんです。対戦型シューティングオンラインゲームにのめり込んでしまって。自分の実力がはっかりわかる、結果が残せるという点に魅了されたんです。一応、オフライン大会では日本2位までいきました(笑)。学校もさぼりがちでしたし、このまま引きこもりになるんじゃないかと親は本当に心配してました。
これだってものを見つけてひたすら上を目指す、好きと得意だけを伸ばして生きてきたんですけど、高校卒業という段階になって、創作も勉強もしてない、俺はどうしたらいい、一体何がしたいんだ?と考えました。それで、絵が描けることを思い出したんです。

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© ミウラ・オギノ/講談社

「アクノヒガン BEYOND EVIL」

無料で読めるマンガ雑誌アプリ「マンガボックス」で好評連載中。
7歳の高校生・寺島豪太は謎の男・ヴィクトールに命を助けられ、寿命をカネでやり取りするヴィクトールの助手として、この世を越えた”向こう側”、魂の業がうごめく深い闇の世界に足を踏み入れる。
「アシスタント時代から、絶対にプロでやれるという自信があったので、連載の話をいただいたときは、遂に来たか!という感じでした。ですが、やっと夢の第一歩が踏み出せたにもかかわらず、実際に配信が開始され、コミックが発売されてもなかなか実感が持てず。いけない、俺はプロなんだ!と、日々自分を叱咤激励しながら活動しています」

 

■ どうにもならない壁

高校の先生に相談し、唯一資料があったと紹介されたのが、日本工学院専門学校でした。それで蒲田校のクリエイターズカレッジ マンガ・アニメーション科の体験入学に参加し、配られた冊子を見ていたら、むちゃくちゃ絵のうまい人がいたんです。「何だ、こいつは!?」って、失っていた闘争心がメラメラとわいてきました。あの出会いは大きかった。
入学したからにはプロになるしかない、目指すところはひとつだと、コースを越えてやる気のある人とだけ付き合い切磋琢磨し、相当ストイックにやってました。素晴らしいことに、当時の仲間はいま全員プロとして活躍しているんです。負けず嫌いの両親になんでも一番になれと言われて育った俺は、学年でナンバーワンじゃないとイヤだったし、2年生にまで食ってかかる勢いで。デキると評判の先輩に絵を見せてもらいに行って、お礼を言いながら、内心「こんなものか、ここにはライバルはいない」なんて思ってました(笑)。
1年生と2年生の中から選ばれた秀作でつくられる冊子があるんですが、最低でもそこには絶対に入ってやると意気込み、結果、1年生は4作品選ばれ、俺の作品はトップで掲載されました。初のオリジナル作品だったんですが、その作品が担当さんのつくきっかけにもなりました。出張編集部で学校に来ていた少年マガジン編集部の方に見てもらい名刺をもらったんです。そこまでは完璧でした。
2年生になってからが厳しかった。出張編集部で名刺をもらった同期が4人いたんですが、中にはすごい賞をとった人もいて、実力というより、結果で叩きのめされた、悔しさと焦り、いらだちは半端なかったし、また、理屈ではどうにもならないものがあるんだとも感じました。考えてみたら俺の人生、いつも自分がトップじゃないんです。誰かが先にいて、ひたすらそれを意識して生きる。シューティングゲームも日本2位でしたし(笑)。自分のセンスを信じ、自分なりの理詰めで技術も磨いてきたけれど、それではどうにもならない壁を感じました。

■ やれてないのに、辞められない

卒業してからはもっと過酷でした。フリーターをやりながら作品を描き新人賞に応募していたんですが、小さな賞どまりで。1年ぐらいたったときに、担当さんからアシスタントに誘われ、約3年間アシスタントとして経験を積みました。あの下積みのお陰でいまがあります。現場にはマンガを描くために必要な技術が凝縮されていましたし、何よりの幸運はめちゃくちゃ才能のある先輩たちと出会えたことです。道具の使い方から何から、常に先輩たちを観察し学び、自分のできないところを明確にしてひとつひとつクリアしていくことで、すごく成長させてもらいました。
それでもデビューできないいらだちは消えず、いろんな先輩から「自分のペースでいいんだ」と言われましたけど……、やっぱり焦りました。「マンガってなんだろう?」「マンガ家ってなるべく人がなるものなのかな」なんてところまで落ちていました。そんな中、1年2カ月ぶりぐらいに担当さんに連絡を取りマンガとイラストを持って行ったところ、「アクノヒガン」の作画の話をいただいたんです。
好きで描いてやっていける、マンガ家が天職のような人もたくさん見てきました。でもそうじゃない俺のような人間がマンガ家としてやっていくには何か必要か。本当にいろんなタイプを見てきたんですが、前進している人はみんな共通する意識を持っていて、何かを吸収しようと常に考えているし、できないことを明確にして克服しようと努力している。とはいえ、それでもダメな人もいて、理屈人間の自分が言うのもなんですが、もう”運”としか……(笑)。でも、その運やチャンスを掴んでいるのは前向きでやる気がすごい人が多い気がします。俺もそのタイプですから。
いまは作画ですが、いずれは原作も手がけたいし、マンガだけじゃなくイラストもアニメもやってみたいという考えもあります。もっと先に行くための何かが、もう少しで掴めそうなんです。そのためにはもっと経験を積まないと。理屈で理解しないと進めない俺には楽な道ではないですが、自分ができてないことがわかっていて、身近でもっとすごい人の存在を目の当たりにして、辞めるわけにはいかない。俺はそういう人間なんです。

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© ミウラ・オギノ/講談社

コミック『アクノヒガン BEYOND EVIL』第1巻第2巻 好評発売中!

「原作のミウラさんは絵がとてもうまい人だし、舞台が現代なので、作画に嘘がつけないぶん画力が必要になる。自分の足りない部分を勉強できるすごくいいチャンスだし、これはまた新たな自分の人生への挑戦状だと思いました。個人的にスタイリッシュな絵が好きなので、白と黒のバランスをすごく意識して描いています」

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