マンガ家・イラストレーターとして活躍中のほっぺげ。
「キャラクターは、まさに自分の好みで描いています。“カワイイ”って個人の感性によるところが大きいと思うんですが、どういうキャラクターがみなさんに受け入れられるのかっていうのは、僕も同じ趣味を持つ人間だからわかるんですよね」
幼い頃からマンガやアニメにはまっていた。高校生で同人誌制作を始め、期せずしてそれがプロの道につながった。
「だれかの目に留まればいいなと思ってはいましたが、それを狙っていたわけではないんです。だからたとえプロになれなくても、いまも仕事をしながら同人誌を描き続けていたと思います。マンガやイラストを描くことは趣味のひとつだし、頑張って続けていたというより、描くことはやめられないといった感じです」

■ アニメを見ているのが一番楽しかった

実は僕、スポーツ少年だったんです。親父が社会人野球をやっていて、その影響で野球を始め、小学生のときはずっと少年野球を、中学・高校では剣道をやっていました。マンガやアニメも子供の頃から大好きでした。特別に絵を描いたりはしていませんでしたが、授業中の落書きだとか、マンガやテレビの好きなキャラクターの似顔絵なんかは得意でした。親父もお袋も絵を描いたらうまいほうでしたし、なにより両親ともマンガ好きで、親父は野球をやっていたので「巨人の星」といったスポーツマンガ、お袋は少女マンガをよく読んでいました。とにかくたくさんマンガがある家庭で、僕はそれらのマンガを幅広く読んで大きくなったという感じです。
完全にオタクの道に流れたのは中学生のときです。きっかけは、夕方放送されていた「スレイヤーズ」のアニメでした。それからあかほりさとる先生の作品を見るようになって、アニメの声優さんのファンになり、声優さんの出ているラジオを聞きはじめイベントにも参加し、夜中に好きな声優さんがやっているアニメを録画して見るようになり・・・・・・と、だんだんディープな世界にはまっていきました(笑)。
中学校時代は表向き普通の剣道少年でしたが、友だちとの付き合いは学校と部活だけで、あとは家でずっとひとりでアニメを見ていました。塾の帰りに100円で借りられる古いアニメばかり借りて、モノクロの「ゲゲゲの鬼太郎」だとか、「あしたのジョー」「うる星やつら」「じゃりん子チエ」「機動戦士ガンダム」といった自分が生まれる前の作品をよく見ていました。楽しかったですね。当時はアニメのビデオを見るのが一番の楽しみでした。

イメージ『ゆかひめ!』第2巻
(作:ほっぺげ、刊:芳文社)
© ほっぺげ/芳文社

 

■ 描いたら楽しかったんです

中学生のときは恥ずかしさもあって隠れオタクでしたが、高校ではひとりふたりとオタク仲間が増えていきました。そのうちにほかの高校の友だちともつながりができて、高校3年生のちょうど受験シーズンの頃に、僕の友だちづてに「絵が描けるヤツがいるらしい」という噂を聞いた他校の知り合いに誘われ、ふたりで同人誌をつくることになったんです。そこで初めてきちんとした作品を描きました。学園もののギャグマンガでしたが、いま思うとずいぶんひどい絵でしたけどね。それでつくった同人誌をコミックマーケット(コミケ)に出展するようになったんです。まったく知名度もないし、20部か30部売れた程度でしたけど、でも描いたら楽しかったんです。
高校卒業後はパソコンゲームの原画家さんになりたくて、日本工学院専門学校の総合アニメーション科(現クリエイターズカレッジ マンガ・アニメーション科)キャラクターデザインコースに進みました。体験入学に参加し施設や雰囲気がよかったのと、コースがたくさんあるのでいろいろなことが学べて、将来的に向けての可能性が広がりそうな気がしたんです。
日本工学院の2年間は楽しかったですね。同じような趣味を持った人たちばかりですから話も弾むし。僕はいまPhotoshopで作品を描いているんですが、ソフトの使い方を学んだのも日本工学院でしたし、デッサンもやりましたし、好きな分野の勉強ができるわけですからそれは楽しいですよ。一番よかったのは、実際に制作現場の経験がある先生から学べたことですね。
卒業後はコンシューマーゲームの会社に就職し、主に彩色の仕事をやっていました。僕のいた部署は自社の作品だけでなく業務委託でいろいろな作品を手がけていたので、背景だったり、アニメのようなものにもかかわれましたし、さまざまな作品に参加できたことはすごくいい経験になりました。

イメージHJ文庫刊『すてっち!』
(著:相内円、イラスト:ほっぺげ、刊:ホビージャパン)

 

■ どれだけ描いているか

ゲーム会社で勤務しながらもこつこつと同人誌は描いていました。描くのは楽しいですし、仕事では本当に好きなものは描けなかったので、家で発散していたんです。就職して2年目の後半に、同人誌を見た芳文社さんからお声がけいただき、四コママンガの連載を開始しました。会社から早く帰れて夜の9時か10時。それから夜中の3時ぐらいまで四コママンガを描いて、朝8時半に起きて会社に行くという生活を続けていたらからだを壊してしまい、コミックアンソロジーのイラストの仕事もいただくようになっていたので、3年目という節目の年だし、もともとイラストの仕事をやりたかったというのもあり、2009年に会社を辞め描くことに専念することにしました。
同人誌と商業誌はやっぱり違いますね。同人誌だけ描いていたときは半分以上自己満足でよかったんですけど、商業誌となると読者のみなさんはもちろん編集者の方をはじめいろいろな人の要求にいかに応えられるかということが重要になってきますよね。アイデアの数はあるんですけど、賑やかでギャルがたくさん出てくるような作品を求めるクライアントさんと僕の描きたいものがなかなかマッチしなくて、いまそこで苦労しています。作風や得意分野を極めたほうがいいという考え方もあるでしょうけど、やっぱり挑戦したいという気持ちが出てくるんです。求められているものを描いているほうが経済的には楽なんですけど、かといって自分の好きなものばかり描くというでは通用しないし、どうそこを折り合いつけていくかがいまの課題です。
感性を養うには他人(ひと)の作品を見るのが一番だと思います。僕はいまでもマンガもアニメもイラストもたくさん見ています。プロとして描いているとはいえ基本的にはオタクなので、見るのも読むのも大好きなんですよ。どれだけアニメを見ても、どれだけマンガを読んでもやっぱり楽しい。その点はずっと変わらない、子供です(笑)。ただいまは単に楽しむだけでなく、吸収することを心がけています。「うまいな、チクショー」って思いながら。
プロになれるかどうか・・・・・・答えはひとつだと思います。どれだけ作品を描いているか、どれだけそれに時間を費やしているかです。僕はいまでもひとりでコミケに参加していますし、ずっと同人誌は続けていきたいと思っています。同人誌への取り組み方も変わってきました。ギャグものだけじゃなく、しっとりとしたものやシリアスなもの、スタイルも変えていろいろな作品を描いていきたいので、そのために同人誌は自分の技術を高める場であり、いろいろなことを実験的に試せる場でもあるんです。描くことは本当に楽しいし、自分の作品をつくりつづけ、もし仕事が途絶えたときはいつでも持ち込みができぐらいの覚悟は持っています。作品は見てもらってこそですから、作品を見てもらえる場所がなければ、自分でつくっていくべきなんです。

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