恋に奔走される高校生たちを描いた若林稔弥のマンガ「徒然チルドレン」。アニメ化もされ、絶賛放映中の人気作品である。始まりはPRを兼ねてWebで描き始めた4コママンガだった。
「まさかアニメ化までするとは……。始めた当時は、省エネでつくれるマンガを目指し、背景も描かなければ、なんだったら絵もコピペだ!ってぐらいでやってました。とはいえ、自分の作家性がシンプルに伝わって、あわよくば次の仕事に繋がるようなものにしたいとは思っていました」
専門学校卒業間近の冬、自転車で帰りながら思ったこと――僕はこれまでマンガ家になるという夢を社会からの逃げに使っていた。果たしてこんなんで人生逃げ切れるのか。
常に自己否定、消えない劣等感、襲い来る強迫観念。だが家族を持ち、マンガしかなかった人生にフッと違う光が射したとき、そんな自分の負の部分とも向き合うようになった。

 

■ マンガ家を言い訳にしてきた

子どもの頃から絵は描いていました。キャラクターや落書きのようなものでしたが、絵を描くのは好きでした。ほめられるのが嬉しくて描いていたんだと思います。マンガは小学校低学年のときからおばあちゃんにおこづかいをもらって買っていました。「ドラえもん」や「ワンピース」とかを買って読んでいました。ゲームも大好きでよくやっていましたし、アニメも見てました。基本遊び方がインドアだったので、自分ではネクラだと思っていましたが、友だちともよく遊んでいましたし、中学では生徒会長をやったり、学校行事も楽しんでいたので、客観的に見るとネアカですね。
昔からラクして生きたくて、駄菓子屋になりたいとか思っていたんですが(笑)、生活していく大変さが見えてきて、小学6年生の頃からは、マンガ家しかないと思うようになりました。それ以来、「僕はマンガ家になるので、勉強はしなくていいです」という、なめた姿勢でずっとやってきました。唯一勉強を頑張ったのは中学3年生のときです。「高校には行かないでアシスタントの口を探します」と宣言し先生に大反対され、一応高校には進みました。で、高校卒業時にも同じことを言い、先生に専門学校を紹介され、日本工学院専門学校クリエイターズカレッジ マンガ・アニメーション科に入学を決めました。
学校では友だちもつくらず、もくもくと描いていました。ここへは遊びにきたんじゃない!ってぐらいに思っていましたし、それなりに自分を追い込んでやっていたんだと思います。高校時代から始めた同人活動も続けていましたし、持ち込みも投稿もやってはいました。かといって特に結果を出せるでもなく、怠けてた部分もあったので、総じて見るとただのボンクラでしたね。
友だちが受験でピリピリしているときも、就職活動でヒーヒー言っているときも、マンガ家になりますからと世間一般の努力をしてこなかったんです。なので、いよいよ専門学校卒業というとき、ここでマンガ家か、せめてアシスタントになっていないと、いままで言ってきたことが全部嘘になると思い、焦りました。それで必死に探し、なんとかアシスタントの仕事に就くことができました。学校でデジタル技術を学んでいたことが本当に役立ちました。けれど問題はそこからでした。

 

作品1「徒然チルドレン」keyvisual

アニメ「徒然チルドレン

単行本9巻 DVD付き特装版 10月17日(火)、
単行本10巻 DVD付き特装版 11月17日(金)、
単行本11巻 DVD付き特装版 2018年3月16日(金)発売!
Ⓒ若林稔弥・講談社/徒然チルドレン製作委員会

 

アニメもいい反響をいただいているようです。最初から「自由にやってください」とお願いしていましたし、完成したものを拝見したときは「こんな動かし方するのか」と新鮮に感じました。ただアニメ化の話をいただいたときはガクーンと落ち込んでしまって。作品の伸びしろが、僕の予想より早く見えてしまった気がしたんです。ですがアニメが形になっていくにつれテンションが復活し、いまはフラット、静観しながら楽しませてもらっています。

 

■ これなら描けるかも

アシスタントは約4年間やりました。早くデビューしたい一心で、週一で持ち込みをしていたこともありました。でも毎週ネームを上げるだけで精一杯で、それで疲れて描けなくなったり。マンガ家になるという目標を達成できていないことで、罪悪感と自己嫌悪で押しつぶされそうでした。マンガ家になれさえすればこの苦しみは終わるんだろうと思っていましたが、なったらなったで、売れてないじゃん、アニメ化されてもそこ目指していたんだっけ?と、常に結果を出してないと自分を自分で許せない。こんなんじゃダメだという劣等感と、もっともっとやらなければならないという強迫観念に襲われ続けています。
しかも、アシスタント時代からラブコメを描いていたんですが、ある日フッと気づくんです。自分は好きなものを描いていると思っていたけど、そうでもないなと。周りのオタク友だちは好きなキャラクターや作品の話で盛り上がっているんですけど、その熱量が自分にはまったくない。自分には描きたいものすらない……。でも不思議なことに根拠のない自信だけはずっとありました。それはいまもあります。この根拠のない自信がなければ、ここまでこられなかった。と同時に、また例の自己否定もやめられないんですけど。
アシスタント3年目に、『月刊少年ガンガン』の巻末の投稿コーナーに、2Pの4コママンガを描いて5カ月勝ち抜けると読み切り掲載権がもらえるというのがあり、そこに掲載されているマンガを読んで「これだったら俺でも行ける」と思いました。それで本当に勝ち抜いて読み切りが載り、連載も決まりました。でもそこからがまた大変でした。
連載用のネームがまったく通らず、1年ぐらい何もできないまま過ぎて行きました。そんなとき当時アシスタントをやっていたヒロユキ先生のマンガを見ながら「こんな単純なマンガがなんで売れてんだろう?」と(笑)。「待てよ、これなら俺でも描けるかも」と試しに描いてみました。そしたらなんとなく形になった。そのときにヒロユキ先生のマンガの構造が明確に掴めたんです。実は「徒然チルドレン」も、Webで当時人気だったラブコメを読んで「全然面白くない。これなら俺でも描けるかも」と描いたのが始まりでした。

 

■ 毒も薬も受け入れた関係

キャラクター設定とか大事なものはいろいろありますが、まずは演出、見せ方だと思います。最初に、だれがどこで何をしているかを見せる。次にその人が何をしたいのか、それに対して相手はどう思うのかを描く。その瞬間に、互いの対立や感情の動きが出てくる。それがどう面白いのかまで表現できれば成立。あとはその繰り返しで作品の面白さがつくられていく。僕は偶然にも幸運に、ヒロユキ先生のマンガを真似ることで、先生の技術を消化することができた。他人の作品を見て、行けると思ったら描いてみて、できた!ってなったら、じゃあ吸収。そうやって僕は人の技術を自分のものにしてきました。問題は、理屈としてわかっていても技術としてできることは違うということです。でも「描けるかも」と思ったら、そう思えることが才能だから、まず描いてみる。で、描けないってなったらさっさと止めて、また描けそうなものを見つけ挑戦してみる。理論と技術の差を埋めるには手を動かすしかないんです。
ずっと描きたいものがないまま来たんですけど、最近はむしろ描きたいものがいっぱい出て来て、若干救われています。僕は、良いところも悪いところも、人の毒も薬も善も悪も受け入れた関係が好きだし、それを描きたいんです。よく「徒然チルドレン」を読んで死にたくなったという感想を目にするんですが、実体験と重なって死にたくなるほど恥ずかしい!とか、自分の生活とのあまりの差に絶望して死にたくなるとか、むしろ褒め言葉だと受け取っていました。でも最近どうもそうじゃないなと。読者は意外とそんな単純に楽しんでいるわけじゃなくて、ガチ過ぎ、あまりのリアルさに死にそうなほどの息苦しさを感じでいるのかもしれない。「徒然チルドレン」はラブコメ学園モノで表面上はキラキラしているけれど、この学校生活の中にずっといたいと思っているキャラはひとりもいないと思います。ここから抜け出したい子たちばかりじゃないかな。結局僕は劣等感を描いているときがもっとも生き生きしてる気がします。自分はなんてダメなヤツなんだー!って描いている時が一番ラクだし自然体でやれる。ラブコメって本来キュンキュンが売りのはずなのにダメですね。作者のネクラさがマンガににじみ出ているのかな(笑)。

コミック徒然チルドレン8

コミック『徒然チルドレン』(講談社コミック)

『週刊少年マガジン』にて連載中。
コミック8巻まで大好評発売中!

DVD付き『徒然チルドレン』9巻から11巻特装版予約受付中
Ⓒ若林稔弥/講談社

 

「徒然チルドレン」で描きたいのは“人の失敗”だと思います。いまキャラクターは54人いるんですけど、みんなにはどんどん失敗してほしいんですよ(笑)。昨今、ネット文化をはじめ失敗を許さない風潮ってありますよね。ずいぶん潔癖な世の中になったなって。ファンタジーだからこそ、ハッピーエンドやキラキラキュンキュンだけじゃなく、人のダメな部分を描きたい。それを含めてその人なんだし、僕はそこに魅力を感じるんです。