SNSを通して個人の活動をより発信しやすくなったが、己独自の世界に向き合い、来る日も自身の精神を作品に投影し続けているアーティストたちが存在する。

前回では関東圏に存在する珍スポットをご紹介。今回のCREATIVE VILLAGE編集部は、関東圏で芸術活動を続けている戸谷誠さん、小林伸一さんにお話を伺った。
※1【ココ変】とはまだ世に広く知られていない「ここ変なスポット、人、モノ、コト」を取り上げて紹介していくコーナーです。
※2アール・ブリュットとは…美術教育を受けていない人などが、既成の表現法にとらわれず自由に制作した作品をいう(goo国語辞典より引用)。

酒の依存を絶ち、作品への忠誠を誓った現代美術家

両親が調剤薬局を営んでいたという某都内自宅にて、10代の頃から絵を描いているという戸谷誠さん。玄関に足を踏み入れるとそこには夥しい数の絵が乱立していた。

絵の上には「調剤室」という文字が。当時、店を切り盛りしていた名残がそこかしこに残る。

「小学生の時から描くのが楽しくてしょうがなかった」と話すのは戸谷誠さん、御年76歳になる。「原点はいつもあそこにあり、いつでも原点回帰して描ければいいのに」と言う彼には、絵と向き合う際決まっていつもまとまわりつく葛藤がある。

問題の決着がつかない

朝から晩まで創作に没頭しているという戸谷さんは「絵を描くことが目的」だと言う。「この絵を描き上げる」というのもないので、その日の気分で手元に置いてある絵そのものの内容を変えたり、色彩を施していく。最終的にはどんな絵が完成するか、彼にとっても分からないそう。

戸谷さんの書斎。ここでいつも絵を描いている。

「余計なことをだんだん覚えてきたりすると、自分の価値判断をそういう風に引き寄せたり、ある種こうしたら見栄えが良くなるんじゃないかと、描いてしまい、今風の絵に傾倒してしまうんです」-。そういう誘惑があるが故に、自分のやりたい絵とは違って、ちぐはぐになり、後で見た時に嫌悪感さえ抱くそう。「これは俺の絵じゃない」と―。

絵は女性が多く描かれている。永遠に未知の存在であるため、そこに魅力を感じ、希望を見出しているそう。

戸谷さんの創作は大きく分けて二つある。一つは、わら半紙に描かれるもの。二つ目は、巨大な絵巻物である。

戸谷さんが生まれた当時は日本は戦争真っ只中だったということもあり、当時は田舎の方へ疎開していたという。激動の時代を生き抜いてきた人に対してどうしても「戦争時の色濃い体験が絵に昇華されていたりするものなのだろうか」とつい考えがちになるが、当時の記憶は全くないそうだ。

今まで描いてきた絵は数知れず。気に入らなければもう一度真っ白に塗りつぶして、最初から線おこしするのも厭わない。

言ってよいのか分からかったが、女性の目が怖い、と話した。何か自分の心の中を見透かされて、嘲笑われているような、そんな気はする、と。「うん、(他の人からも同じことを)言われます(笑)」「結局ね、絵がダメってことなんです。自分がちゃんと(絵と)向き合っていないと絵が人ごとになってしまう。それはあくまでも自分のイメージを見ていることになる。先へ進もうとするとき、ちゃんと絵を見て、話しあいながら下記進めていかないとなんですよね」

 

 

絵が「ちゃんと俺を仕上げろ」っつーんで「はい」って(笑)

20代の時は隣駅の二子玉川の方でぶらぶら散歩することがあった。「前は酒を飲んでたんですが、今は飲んでません。飲みだしたら絵が描けなくなるので、これは(絵を描くには)ちょうど良いタイミングだと」

書斎には絵具が所狭しと並べられている。「アクアブルー」「グリーン」などしっかり色分けがされている。

絵と対話しながら筆を進めていくのが戸谷さんスタイル。「ちゃんと描いてるな、よしよしって絵が褒めてくれるんです」絵を描いていないときは常に不安がつきまとう。

いい絵を描いている人は皆下手

自分で見た通りのものを絵に滑り込ませる。また過去に見た景色であれば、絵に引き込みやすかったりするし、使いやすさもある。「自分が本当に面白いと思ったら、他の人も面白いと思ってもらえるはずなんです。面白いと思う部分は人それぞれだけど、だからそこに共感してもらえる部分があると思う」

戸谷誠さん

「絵を見てニコって笑ってもらいたい。もし僕が絵であれば、描き甲斐がある。」そう話す、戸谷さんはどこか誇らしげだった。

ハートだらけメルヘンな世界へいざなう、下駄職人

もともとは家の外にあるトタンを業者に塗装してもらった際、窓枠のサビが目立ってしまい、以降はその上から現在のような絵を描きだしたという、小林伸一さん。

最初は家の外壁に描いていたが、通りすがりの方から色んなリクエストを受け、装飾の範囲を拡げていった。
家の中は余すことなくピンクとモチーフで埋め尽くされている。

「ハート描かしたらもう、なんでもハート描いちゃう」と言う小林さん。「案外ね、(ハートを)描くの得意なんだよね」一見、様々なモチーフが描かれていると思いきや、そうでもなく、ピンクとハート柄で統一された空間だ。

トイレの壁面、見渡す限りの細密画がどこまでも広がっている。

奥さんと二人暮らしの小林さんだが、奥さんから絵のことについて何か言われたりしないのだろうか…。「あいつ(奥様のこと)は何も言わねぇよ、だってここは僕の家だからさ」。築60年以上も経つ小林さん邸は8年前を機にすっかりアートハウスと化した。

一期一会の痕跡を記録する

人間用サイズには作られていない、小林画伯のミニ下駄。「持って帰りなさい」と複数個、プレゼントしてくれた。

『出没!アド街ック天国』でも取り上げられたことのある小林さんのお家。民家アートを一目見ようと、見学者が後を絶たない。家の内壁には何か書き施す余白は既にないものの、来た人の記憶を留めておこうと、この日は冷蔵庫に筆者の名前、所属先を記してくれた。

「前は鼻緒をつけてたんだけどねぇ~、一か月一万円もするの!仕入れていた店も潰れちゃったから、今はつけてないの」

ハート柄だけではなく、動物の絵も描く。
現在は下駄もだんだんと作らなくなり、下駄を入れる外箱に絵を描き続ける。

木工所で下駄を制作していた過去

木工所で勤めていた時に、会社の木を使って、自分が履く下駄を作っていた小林さん。その後プラスチック会社に転職したため、下駄を作る材料がなく、代わりに現在のような小ぶりの下駄を制作するようになった。何故、履けない下駄を大量生産していたのか、ルーツはここにあった。

二階へ上ると積み重ねられた大量の下駄箱に遭遇した。

絵を見たけりゃ直に見に来ればいい

目立つ外壁、連日のメディア露出で地元ではすっかり有名人の小林さん。作品を見てくれた人との関わり方はあるのだろうか。「歩いてると声かけられるんだよね。それがさ40人くらいいるわけ。でも誰一人家に来たことないの、電話番号渡してんのにさ」

小林さん宅に伺ったこの日、こちら側の作品への問いかけに対して、嬉々として応じてくれた。より多くの人に小林さんの世界観を見て、触れ、体感して、何かを感じ取ってほしい、そう切に願った。

小林伸一さん

メガネのテンプル部はガムテープでがっちり補強してある。

クシノテラス


アウトサイダー・キュレーター櫛野展正氏が広島県福山市につくったアウトサイダー・アート専門のギャラリー。
まだ世に出ていないアーティストや作品をここで展示、発信している。
http://kushiterra.com/

撮影・インタビュー・テキスト・企画・編集・ショーコ・ヲノ(CREATIVE VILLAGE編集部)