ムーミンシリーズは1945年にはじめて発表されて以来、今も世界中にファンがいます。かわいらしく親しみやすいキャラクターの日常には、哲学的な示唆に富んだ言葉やエピソードがあふれています。

なかでも人気キャラクターのひとりであるスナフキンの言葉には、クリエイターの直面する迷い、悩み、自由と孤独、選択の後押しとなるものがたくさんあります。音楽家でもあるスナフキンもまた、クリエイターでありアーティストだからでしょう。

ときにクリエイターの道しるべとなりうるスナフキンの名言とは?スナフキンやムーミンシリーズの魅力とは?ムーミンのテーマパークである「ムーミンバレーパーク」にて、株式会社ムーミン物語の東風(こち)康行さんにお話を伺いました。

自分が自分であること

――“自由”と“孤独”は、クリエイターなどものをつくる人にとって向き合わなければならないことの多いテーマです。スナフキンも同じく、ひとりで旅に出て、孤独のなかで作曲をします。

東風 「スナフキンは、ムーミンの憧れ。ムーミンは一緒にいたいけれど、秋がきて、ムーミン谷の住人たちが冬眠に入る頃、スナフキンは南へと旅立ちます。そのブレなさがスナフキンの魅力なんでしょう。ムーミンが迷ったときには「自我をしっかり持つにはこういうことをした方がいいよ」という、道しるべになるような言葉をよくかけています」

株式会社ムーミン物語:東風(こち)康行氏

「あんまり誰かを崇拝したら、ホントの自由は、得られないんだぜ」
(ムーミン谷の仲間たち)

東風 「人は、ある程度の自由と孤独に対して、羨望があるじゃないですか。組織に属していたとしても、自己が確立されていることに憧れたりしますよね。スタンドアローンでもいられる強さは、スナフキンの魅力です。彼は旅の最中も、人里離れた誰もいないところにテントを張るんですよ」

――ムーミンバレーパークのなかでも、スナフキンのテントは一番奥の寂しい場所に設置されています。それはスナフキンが独りになり、自己を見つめられる場所にあえて身をおいているのです。

ムーミンバレーパーク:スナフキンのテント

――自由であること。ほかから縛られず自分らしくあること。それは、クリエイターやアーティストに限らず、多くの人の願いや憧れでもあります。スナフキンはそれを実行しており、風に吹かれるように自由に行動します。

「ぼくは、ぼくの気が向いたときに、帰るのさ!」
スナフキンが、噛みつくように、いいました。
「帰らないで、まるっきり別な方へ行ってしまうことだって、あるんだ」
(ムーミン谷の仲間たち)
「今日は、たまたま、ここに居て、明日はまた、別な所に居る。
気の向くままに、さすらって、楽しめそうな場所が見つかったら、
テントを張って、張りおえたら、ハーモニカを吹くんだ」
(ムーミントロールと彗星)
「さあ、みんな、家(うち)へお帰り。
どこへでも、好きに行って、いいんだよ!」
(ムーミン谷の夏まつり)

柔軟な心の余裕を持つこと

――しかしスナフキンにとっての“自由”とは、自分の思い通りにする、というわけではありません。その場の状況やタイミングによって、彼の行動は変わります。

「雷は、来るときには来るのさ」
(ムーミン谷の十一月)
「たった今より、ぼくたち、太陽と共に行動するんだ」
(ムーミントロールと彗星)

東風 「スナフキンは作曲家で、クリエイターなんですよね。曲をつくるために旅に出て、その瞬間々々を歌にする。ここを逃したらアイデアはない、というタイミングを大事にしています」

――大事なタイミングが自分にとって都合の良い時に訪れるわけではないのは、ものづくりをするクリエイターにとってもそうです。アイデアやチャンスは突然やってきます。それをつかむためには、心の余裕が必要です。「自分はこうだ」とかたくなになるのではなく、なにかが起きたらそれに合わせて反応できる柔軟さもまた必要です。

訪れるのは、良いチャンスばかりではありません。時には、自己を脅かされる場合もあります。誰でも、いつだって自由でいられるわけではないのです。

ムーミンについて語る東風氏

「やれやれ……“いつもやさしく愛想よく”なんて、やってられないよ。理由(わけ)は簡単。時間が無いんだ」(ムーミン谷の仲間たち)

――また、あるエピソードでは、スナフキンは「ここでなにかをするな!」と書かれた看板を片っ端から抜いていきます。誰かになにかを禁止されることを嫌うスナフキンらしいエピソードです。

――きっとスナフキンにとっての自由とは、好き勝手にすることでもなく、風に吹かれるままに流れることでもないのでしょう。そういうふうに、「自分の好きに感じたままに過ごせる環境を、自分で勝ち取ること」なのです。

自分の軸を持ったまま、他人に寄り添うこと

――自分が自分らしく過ごせることを大事にして、ブレないスナフキンの、とっておきのエピソードが『春のしらべ』です。

東風 「スナフキンしか登場しないショートエピソードで、スナフキンが一番表現されている話。ファンにははずせないエピソードです。
あるとき、スナフキンが孤独にひたりながら歌をつくっていると、“はい虫”というちいさな生き物が出てきて「名前をつけてくれ」とお願いします。しかしスナフキンは「名前なんて人から認められるためのもので、べつに無くてもいいんだよ」と答えます」

――それは、なににも縛られることなく自由でいていいんだよ、というスナフキンらしい考え方です。けれどもこの話には続きがあります。スナフキンは最後、“はい虫”に名前をつけてあげ、“はい虫”は喜んで帰っていくのです。

――スナフキンは名前に縛られることはないと考えつつも、名前がほしいと望む相手にはつけてあげます。そこには「自由に、自分の好きにしたらいいよ」と突き放すわけでなく、相手に関わろうとする思いやりがあります。個人主義でも自己責任でもなく、自分の考えをしっかりと持ちながらも、他者や世界にちゃんと向き合うことを大事にしています。

東風 「スナフキンは、自分の軸をちゃんと持って世の中と対峙する重要さを思い出させてくれる。すごく哲学的なキャラクター。小説では、スナフキンからムーミンへの溢れる優しさもたくさん描かれています。励ましたり、背中を押したり、調子に乗っていたら出鼻くじいたり……セルフコントロールの大事さを教えてもくれます」

――それはまさに、自分の軸を持って物を生み出し、世界に見せていくクリエイターの仕事に通じることでしょう。

ムーミン・シリーズそのものがクリエイティブ

――なぜ、スナフキンを始めムーミンの世界がクリエイターと重なるのか。それは、ムーミンの物語には作者トーベ・ヤンソンの思想が色濃く反映されているからだと考えられます。

東風 「トーベ・ヤンソンは小説化ではなく画家なんです。母親も画家で、子どもの頃から西洋美術の学習をされている。ムーミンの挿絵も、構図ひとつひとつが美術品のようで、物語を挿絵で表現しているんです。下書きから何度も重ねて、綺麗にこだわって描かれている。ストーリーテラーとしても画家としてもひとつの物語を表現していて、クリエイターとして素晴らしいです。本国フィンランドでも、認識は、ムーミンはキャラクターではなくアート。

最初はイラストが可愛くて引き寄せられる方が多くいますが、物語に触れると、言葉が刺さったり、挿絵が素晴らしかったり、どんどん奥へ奥へと興味が引かれていく。それをしっかりと受けいれる作品の深さがあるのが、トーベ・ヤンソンのクリエイターとしての素晴らしさだと思います。一度読んだだけでは終わらない。読み返すたびに刺さる言葉が見つけられる。やっぱりバックグラウンドやアイデンティティがないと長く愛されませんから。文化を創れるクリエイターだということが、彼女の一番の魅力です」

――さまざまな考え方のキャラクターがたくさん登場しますが、なかでもスナフキンには、トーベ・ヤンソンの故郷フィンランドの自己実現を重要視する生き方が反映されているようです。

東風 「クリエイターの方が、悩んだり、なびきそうになっても立ち戻れる言葉がけっこうある。「本来の目的ってなんだっけ?」「何のためにやってるんだっけ?」「自分がやるんだったらこれはどういうふうに表現するべきだったっけ?」という迷いの後押しをしてもらえるんじゃないでしょうか。

ただ、作品のなかに絶対的な正解が書かれているわけではありません。スナフキンも、「あんまり誰かを崇拝したら、ホントの自由は、得られないんだぜ」と言っていますしね」

――スナフキンなら自分の決断で自分の道を進んで行くかもしれません。けれどもスナフキン自身も、きっと、答えを知らないのでしょう。

「どこへ、行くの?」
「そんなこと、わからないよ」
スナフキンが答えました。
(ムーミン谷の十一月)

スナフキン原画

――自分なりの答えを見つけ、提示していくことは、クリエイターの大きな課題のひとつでもあります。そしてその答えは、毎回同じとは限らないのです。それでも迷ったときに本を開いてみたら、ヒントがそこにあるかもしれません。

インタビュー・テキスト:河野桃子/企画・撮影:ヒロヤス・カイ/編集:CREATIVE VILLAGE編集部