豊かな生活をするためにがむしゃらに働いていた時代とは異なり、物質的には豊かになった現代の日本。ところが、先日発表された2019年度版の世界幸福度ランキングでは58位と、過去5年で最も順位を落とす結果になりました。

物質的には満たされている今、幸福な人生を送るためには何が必要なのか。人生100年時代とも言われるなかで、最終的に求められるのは、心の豊かさにつながる生きがいを持つことなのかもしれません。

世の中では働き方改革が謳われ、多様な働き方が認められるようになってきています。もしも仕事以外にやりたいことがあるのなら、あくまでも人生の一部である仕事のためにやりたいことを諦めず、ライフワークとしてどちらも選択することを考えればいいのではないでしょうか。

そこで、株式会社ビースタイルの正社員として広報の仕事を週3日勤務でこなしながらプロのコンテンポラリーダンサーとしての活動も精力的に行っている“踊る広報”こと柴田菜々子さんに、仕事とやりたいことの両立をどのように実現したのか、そこにかかった苦労について、また、パラレルワーカーとして働くことを選んだ柴田さんの人生観について迫ります。

踊る広報 柴田菜々子(しばた・ななこ)
株式会社ビースタイルの広報、ダンサー。“踊る広報”として活躍し、パラレルワークをテーマにしたイベントなどにも登壇する。
幼少期から器械体操、フラメンコ、新体操などを経験。桜美林大学のダンス専攻に進学し、コンテンポラリーダンスを始める。2013年、新卒でビースタイルへ入社。フルタイムで勤務していたが、2015年7月に週3日勤務に変更して以降、ダンスチーム「TABATHA」を中心とするダンサー活動との両立を続けている。
最近では、社会とコンテンポラリーダンス界の架け橋になれるように「踊る銭湯プロジェクト」を仲間と企画運営。

仕事とダンス、両立できるだろうと楽観的に考え社会人を選択

――柴田さんは、幼少期からダンスを始め、大学では専攻されるほどダンス漬けの日々を送られてきたと伺いました。周りにはプロダンサーを目指される方も多かったのではと思いますが、そもそもなぜ就職の道を選ばれたのですか。

最初は就職を真剣には考えてはいませんでした。自分の中で、サラリーマンはいつもくたくたに疲れていて、夢がないというイメージを持っていたんです。

しかし、学生時代のアルバイト先のバーに来るサラリーマンの方々がいつも仕事に対して熱い話をされていた姿を目にして、サラリーマンのイメージが覆りました。それと同時に社会にも興味を持ち始め、好奇心のままに就活を始めることにしたんです。

私は今までダンスという狭い世界でしか生きてこなかったため、就活を通して世の中にいろいろな職業があることを知りました。初めて触れるものばかりで興奮していたのか、もはや趣味のように毎日いろいろな業界の説明会に行き、気づいたら今の会社に就職していました(笑)。

――思いがけず就職されたのですね。入社されたとき、ダンスについてはどう考えられていたのですか。

平日は社会人、休日はダンスというように、両立できるだろうと楽観的に考えていました。ただ、一生働くつもりもなく、少なくとも社会人として一通りのことが経験できる3年間は続けてみよう、そのあとはまたダンスに戻るのだろうなという気持ちでした。私が所属するダンスチーム「TABATHA」のほかのメンバーも私の就職を応援し、「何かの形を探してやっていこう」と言ってくれていました。

しかし、当社は今でこそ残業も少なくホワイト企業化しましたが、入社した当時はまだまだベンチャーとして踏ん張り時で、終電まで働くのは当然の環境。仕事は好きだったので苦痛ではなかったのですが、週末にはどっと疲れが出て、とてもダンスをするようなモチベーションは湧きませんでした。

稽古に参加できないと、体力がなくなり、体も硬くなる。稽古に参加しても振りを教わるだけで、クリエイションが一緒にできないことがとても歯がゆかったんです。

仕事を取るかダンスを取るかー追い詰められた時に会社からもらった第3の選択肢

――思っていたような両立ができなかったのですね。普通なら、どちらかを選択することを考えると思うのですが、柴田さんはどうされたのですか。

まさに私もダンスを取ろうと思い、仕事を辞める決断をしました。そして入社2年目の冬に辞めることを代表に相談しに行ったところ、「10年後のビジョンを語ってみて」と言われたんです。

私は5年先までしか語れず、正直に言って、その先は怖くて考えたくもない部分でした。しかし代表には「ビジョンがないやつは失敗する」と言われ、会社の価値観の一つでもある“AND実現”を考えることを勧められました。AND実現とは、仕事とダンスのどちらか一方を取るのではなく、どちらも実現する方法を考えるということです。

――すごい提案ですね。

まさかそんなことを言ってもらえるとは思っていなかったので面食らいましたが、その提案を受けて、自分が本当にどうしたいかを1カ月にわたり熟考しました。すると、自分は一生涯かけてダンサーとして生計を立てたいというよりも、ダンス業界を変えるために一石を投じたいという思いが強いことに気づいたんです。

それならば両立する方向で、どのくらいの稽古時間があれば出たいコンテストや公演に参加できるのかを、上司と綿密に相談しながら計算しました。その結果出た答えが、“週3日勤務であれば続けられる”ということでした。
コンテンポラリーダンスはアート要素が強すぎるため、一般に広く浸透しているとは言い難いジャンルです。そこで一般の方にも広めたいと思ったとき、広報の経験はとても役立ちます。両立できるチャンスを頂けるならば、諦めずに続けていって、広く社会に貢献していきたいという希望が湧きました。

――週3日勤務にしたいという希望を、代表にはどのように話されたのですか。

フルタイム勤務と同じ目標を、週3日勤務で実現すると話しました。当社は時短で働きたい主婦向けの人材紹介事業を行っているため、柔軟に働くことには理解がありましたが、プロパー社員が週3日勤務を受け入れるのは会社にとっても初めてのこと。私が週3日勤務をするにあたって最も懸念したのは、果たして会社にとってはメリットがあるのかということです。

会社からすれば、フルタイムでいつでも仕事をお願いできる社員を雇った方が絶対にいいはず。週3日でも勤務し続けることを周囲に認めてもらうためには、圧倒的な結果を残さなければならない。
実際に週3日勤務をスタートしたのは入社3年目の夏でしたが、仕事もダンスも中途半端になってしまうリスクがあったため、最初のころはそのプレッシャーから体調を崩し気味でした。でもせっかくいただいたチャンスですから、ここで挫けるわけにはいかないと自分を鼓舞しながら乗り切りました。

仕事と両立しているのは“趣味”じゃない!周りの理解と協力を得るためにした努力

――仕事とダンスの両立によって、どんな変化がありましたか。

仕事では、必要なときにフォローしてもらえるようこれまで築いてきた社内外の人脈を強化したり、記者懇談会を開催して一度に複数の記者さんへ情報提供できるように効率化を図ったりと仕事のやり方を変えたところ、生産性が上がりました。成果を出さなければ周りに認めてもらえないので、生産性を上げざるを得ないんですよね。

ダンスの方では、両立を始めてから1年間はとにかくコンテストに出て、Facebookなどで結果を発信するように心がけました。
最初のころは「趣味の方、どう?」と言われることも多くて。でも私にとって、ダンスは趣味じゃない。それなのに、趣味だと思われているのがすごく悔しかったんです。
ただ、仕事を週3日に減らすことで、フルタイムの時に比べて圧倒的に稽古に割く時間が増えたので、国内外で月1回公演を打つなどガンガン活動できるようになりました。
そうして次第にダンスでも成果が出てくると急に趣味だと言われなくなってきました。

――周囲に認めてもらうために、さまざまに試行錯誤をして、努力されてきたんですね。週3日勤務をするうえで、大切にされてきたことは何ですか。

やはり、ダンスも仕事も中途半端にしないことです。ダンスが頭を占めすぎているとどうしても仕事の詰めが甘くなり、知らないところでサポートしてもらっていることがあるのですが、それが積み重なればサポートしてもらうことすらできなくなってしまう。そのため、できるときに全力を注いで、余裕のあるときには何か自分がサポートできることはないかと同僚に声をかけたりして、周りに助けてもらいっぱなしにならないよう心がけています。声をかけるだけでも、仕事を気にかけていることが伝わると思うんです。

また、上司の理解を得ることも重要です。私の上司は、「本業はこっちでしょ」という言い方は絶対にせず、どちらも本業だという認識で、ダンスの方も気にかけてくれています。私もダンスのスケジュールをこまめに共有し、上司が業務配分をしやすくするよう心がけています。そのスケジュールに合わせて目標を調整することもできているため、やはり身近なところに理解者がいてくれることがとても支えになっていると感じています。

心の拠り所を持ち続けることー人生を豊かに、ブレずに生きるためのパラレルワークという選択

――仕事もダンスも両方辞めずに続けていたからこそ良かったと感じることはありますか。

撮影:佐藤瑞希

ダンス業界は閉鎖的で、とても効率が悪い業界です。公演や集客が成功しても、そのナレッジを業界全体で共有する機会がないため、毎回すべて0からのスタートになってしまっているなというもどかしさがあって。そこで、今年5月にダンサーのナレッジシェアができる場を企画しています。

これには、広報で企画を立ててきた経験が活きています。ずっとダンスしかしてこなかったら業界の効率の悪さは見えていなかったし、そこにビジネス視点を取り入れることができるのも、仕事をしているからこそです。

同じように、ダンスも仕事に役立っています。ダンスが思い通りにできるようになったことで心のよりどころができ、人生が豊かになりました。私にとって、自分らしくいられるのがダンス。ダンスがあるから仕事もがんばれるし、仕事で絶対に結果を残そうと思える。ダンスがなければ、こんなにもバランス良く生きることはできなかったと思います。

――仕事とダンスで相乗効果が起きているのですね。今後パラレルワーカーとして生活することを選んだ柴田さんが考える、人生論とは何でしょうか?

もし今何かを失ってしまったとしても、自分の中にダンスは一生残るもの。なぜならダンスは自分にとって心の拠り所だから、というブレない軸が自分の中ではっきりとしてきたと実感しています。

日本は過去10年の間に、東日本大震災などいくつかの大きな災害に見舞われてきましたが、
もしこれから、そのような突然の天災で全てを失ってしまうようなことに遭遇し、それまでの価値観が180度変わってしまったとしても、生きる希望となる何かが私たちには必要ではないかなと思うんですね。

それを趣味にとどまらせず、仕事と同じくらい真剣にやりたいと思った時、諦めることはないんだと言いたいです。今は幸い、政府や一部の企業が副業やパラレルワークを推奨し始めています。うまく味方につけて、生きがいを持ちながら仕事を通じて社会にも貢献する。そんなライフスタイルがこれからは大切になってくるのではないでしょうか?

インタビュー・テキスト: 三ツ井 香菜(YOSCA)/撮影:TAKASHI KISHINAMI/編集:岩淵留美子(CREATIVE VILLAGE編集部)