紙媒体の編集を続けてきたけれど、Web編集の求人を見るたびに気持ちが揺れる。今の仕事に不満があるわけではないのに、なぜこんなに決められないのか自分でもわからない。派遣で編集の仕事をしていると、こうした二つの選択肢のあいだで足踏みする瞬間が訪れることがあります。決められない自分を責める前に、まずその揺れそのものを見ていきます。

この記事の見方

心理学者のヒューバート・ハーマンスが提唱した「ダイアロジカル・セルフ」という考え方があります。人の内側には一つに定まった「本当の自分」があるのではなく、状況に応じて前に出てくる複数の「私」が存在し、それぞれが声を持って対話しながら全体を形づくっていくという捉え方です。紙の仕事に愛着を持つ声と、新しい領域に踏み出したい声は、どちらかが偽物というわけではなく、両方とも自分自身の一部です。この記事では、その複数の声をどう扱っていくかという視点から、進路の迷いを整理していきます。

「決められない」の中身を分けてみる

案件の合間に求人サイトを開いては、結局何も応募せずに閉じる。紙媒体の校正作業をしながら、頭の片隅でWeb編集の案件がどんな働き方になるのかを想像している。こうした状態を「優柔不断」の一言で片づけてしまうと、自分を責める材料が増えるだけで、迷いの中身は見えてきません。実際にはそこに、性格の違う二つの気持ちが同居しています。一つは、今まで積み上げてきた紙の仕事の手応えを手放したくないという気持ち。もう一つは、変化の速い領域に身を置いて新しい景色を見てみたいという気持ちです。どちらも本気であることが、決められなさの正体です。派遣という立場だと契約更新のたびにこの迷いが再燃しやすく、そのたびに一から悩み直しているように感じてしまいますが、実際は同じ二つの気持ちが繰り返し顔を出しているだけだと捉えると、いくらか見通しがよくなります。同僚に相談しても「紙は減っていく一方だからWebにしたほうがいい」「今の経験を無駄にするのはもったいない」と、外からの意見もまた二つに割れがちです。周囲の声に引っ張られて余計に混乱する前に、まずは自分の内側で起きていることを整理する時間を持つ価値があります。誰かに背中を押してもらおうとする前に、自分の中の二つの気持ちにそれぞれ名前をつけてみるくらいの丁寧さがあってもよいはずです。

気持ちを黙らせずに、それぞれの言い分を聞いてみる

二つの気持ちのどちらかを正解として選ぼうとすると、もう一方は否定された感覚を残したまま消えません。むしろ結論を急がず、それぞれの言い分を紙に書き出してみることが役に立ちます。紙の仕事を続けたい気持ちは、何を大事にしているのか。読者との距離の近さなのか、印刷物という形に残る手応えなのか、それとも慣れた進行の安心感なのか。一方でWebに踏み出したい気持ちは、更新の速さに惹かれているのか、反応がすぐに見える手応えを求めているのか、あるいは単に今の環境から離れたいだけなのか。書き出してみると、実は二つの気持ちが求めているものの一部は重なっていることに気づく場合もあります。たとえば「読者の反応を実感したい」という願いは、紙でもWebでも形を変えて満たせるかもしれません。対立している気持ちの奥にある本当の望みを見つけることが、決めるための材料になります。書き出す作業は一度きりで終わらせず、気持ちが動くたびに更新していくくらいの気持ちで続けてみます。同じ項目を書いていても、時期によって強調される部分が変わることに気づくはずです。それ自体が、今の自分がどちらの声を優先したがっているかを教えてくれるサインになります。

対立ではなく、順番として捉え直す

紙かWebかという問いを、一生に一度きりの分岐点として捉えると、どうしても身動きが取れなくなります。けれどこの二つは、両立できない敵同士ではなく、時期によって前に出る順番が入れ替わるだけの関係だと考えることもできます。今は紙の仕事を主軸にしながら、Web編集の案件を一部だけ請け負って様子を見る。あるいは逆に、Webへ軸足を移しながら、紙の仕事で培った校正や進行管理の力を持ち込む。どちらを選んでも、もう一方の声が完全に消えるわけではなく、また別の時期に前に出てくる可能性は残ります。派遣という働き方は正社員に比べて契約単位で区切りが訪れやすく、一つの選択に永遠を求めなくてよい分、試しながら軌道を修正しやすいという側面もあります。今回の決断を「最終決定」ではなく「今の時点での優先順位」として置き直すと、気持ちの重さが変わってきます。数年後にまた同じ問いが浮かんできたとしても、それは振り出しに戻ったのではなく、状況が変わったからこそ別の声が前に出てきただけだと考えれば、繰り返し悩むこと自体を否定的に捉えずに済みます。一つの案件をきっかけに、紙とWebの両方に片足ずつ置くような働き方が生まれることも珍しくありません。

実際にどんな案件があるのか、求人を眺めてみるだけでも気持ちの整理につながることがあります。

まとめ

自分の中にある複数の気持ちは、どちらかが正しくてどちらかが間違っているという関係ではありません。両方とも自分の一部として扱い、順番に耳を傾けていくことが、迷いを整理する道筋になります。

  • 契約更新のタイミングで思い切って転向する場合は、紙で培った力の何が持ち込めるかを一度棚卸ししてみます。
  • 両方を並行して試せる場合は、小さな案件からWeb編集に触れてみて、実際の手応えを確かめます。
  • 当面は紙を続けながら情報だけ集めておきたい場合は、焦って結論を出さず、気持ちの変化を記録しておくだけでも十分です。

どのパターンを選ぶにしても、決めた瞬間にもう一方の気持ちを消し去る必要はありません。むしろ、消えない声があることを前提にしておいたほうが、後から気持ちが揺れたときに動揺せずに済みます。決めることと、もう一方の気持ちを否定することは、同じではありません。今、自分の中でどちらの声が少し大きくなっているか、一度立ち止まって聞いてみることから始めてみます。

紙とWebのどちらを優先すべきか一人で判断に迷うときは、専門家に相談しながら整理していく方法もあります。