東京・高円寺にある老舗銭湯「小杉湯」。ここで番頭として、イラストレーターとして活躍するのは、塩谷歩波さん。銭湯との出会いをきっかけに、その魅力を建築図法を用いて表現した『銭湯図解』の著者で、TBS系『情熱大陸』などにも取り上げられています。

そんな塩谷さんに、銭湯との出会いや『銭湯図解』が生まれた経緯、小杉湯の番頭/イラストレーターとしてのお仕事、などについて伺いました。

塩谷歩波(えんや・ほなみ)
1990年東京生まれ。2015年に早稲田大学大学院(建築学専攻)修了後、都内の設計事務所に勤める。16年末より銭湯の建物内部を建築図法を用いて描く『銭湯図解』シリーズをSNS上で発表。
現在は東京・高円寺にある銭湯「小杉湯」で番頭として働きながら、「アトリエエンヤ」としても活動中。

銭湯での会話に救われた、休職中の経験

──塩谷さんは著書『銭湯図解』にて、個性あふれる24軒の銭湯を図解されています。まずは、塩谷さんが銭湯の魅力にハマったきっかけを教えていただけますか。

私は大学院を卒業後、設計事務所に就職しました。しかし仕事にのめり込みすぎて体調を崩し、休職。その休職中に銭湯を訪れたことが、大きなきっかけになりました。

当時私は鬱のような症状が出て、家でふさぎこみがちな日々が続いていたのですが、大学時代のサークルの先輩・同期も休職中だということがわかって。3人でごはんに行くことになったんです。先輩が銭湯にハマっている話で盛り上がり、後日一緒にいくことになりました。

真っ昼間の銭湯に行ってみると、窓から光が差し込んで、本当に気持ちが良くて。お湯に浸かっていたら、とても身体が楽になってきたんです。

小杉湯内の様子

見知らぬおばあちゃんと目が合って「今日は寒いね」「天気がいいね」なんて、たわいもない話をしたことも印象的に覚えています。
当時私は、休職していることに罪悪感を感じていたので「全く知らないおばあちゃんとのやりとり」によって、心が和らいだというか。それがきっかけで「銭湯っていいな」と思い、銭湯を巡り始め、魅了されていきましたね。

──休職中の身体や心に沁みるものがあったんですね。銭湯を巡るだけではなく「描きたい」と考えたのはなぜだったのでしょう?

私はもともとオタク気質なところがあるので、何か好きになると、なんらかの形でその気持ちを表現したくなるんです。

もともとは幼い頃から絵画を見るのが好きで、よく美術館に連れて行ってもらっていました。子どもの頃は絵描きになりたいと考えていたくらいなんです。

──描くことへの興味は、幼い頃からあったんですね。

そうですね。ただ、自分自身の絵はそれほど上手くないし、うまい人なら他にたくさんいるから、絵描きになるのは無理だと思っていました。
それで結局、大学では設計の道に進んだのですが、「描く」ことへの憧れはずっと持ち続けていましたね。

塩谷さんが描いた小杉湯の施設内がよくわかるイラスト図解。施設内部の構造だけでなく、日によって入浴剤が変わるお風呂や待合室にある漫画等、「面白そう、行ってみたい!」と思わせる要素がふんだんに盛り込まれている。

だから銭湯にハマった時「絵が下手だから…」という気持ちより、「描いて表現してみたい」という気持ちの方が勝ったんです。
そこで、まだ銭湯に行ったことがない友達に銭湯の魅力を伝えるために、訪れた銭湯を図解で表現。Twitter上で公開しました。それが「銭湯図解」を始めるきっかけになったんです。

描く=「愛でてる」。イベント企画やコンセプト設計も

──一つ一つの図解からも想いの熱さが伝わってきます。「建築図法を用いて描く」という表現は、塩谷さんならではだと思いますが、どのような背景があるのでしょう。

私自身、建築が好きで、大学・大学院では建築を学んでいました。建築学生ってよく、建築物のスケッチをするんですね。
私は、建築を見てスケッチする時間が、一番好きな時間だったんです。そこで、銭湯の魅力を伝える時に、建物がより建物らしくあるために「描く」ことで表現しようと考えたんです。

建物が本当に好きで、描くことで「建物を愛でている」気持ちになって、描いていること自体が非常に楽しいんです。

──塩谷さんにとって描くことは「愛でていること」なんですね…!現在は、小杉湯番頭/イラストレーターとして活躍されていますが、小杉湯ではどのようなお仕事を担当されているのでしょうか。

番頭としてお店に立ちつつ、脱衣所など店内に貼るPOP制作を担当しています。
銭湯を誰もが利用しやすいように、イラストを交えて分かりやすく作るようにしていますね。

たとえば最近、店内に赤ちゃんのオムツを捨てるポットを設置しました。その使い方がわからないという声があったので使い方をPOPにして掲示したんです。

私自身が銭湯を利用する中で「ここはどうしたらいいんだろう」などと思ったところや「初めての利用だとわかりにくい部分」を、POPにして伝えるようにしていますね。

──ご自身の、1ユーザーとしての目線もPOP制作に生かしているんですね。小杉湯は、ファンコミュニティがあったり、イベント企画があったりなど、独自の取り組みをされているのも特徴的ですよね。

そうですね。私自身も、小杉湯のコンセプト設計をしたり、イベント企画を立てたりなど、小杉湯の「世界観づくり」に携わっています。
たとえば現在は、地方の農家さんから傷んでしまって市場には出せない果物などを募集して「もったいない風呂」を開催したりしていますね。

最近では、小杉湯ファンが始めたお店「小杉湯となり」の企画にも携わっています。小杉湯となりは、銭湯に入った後にくつろいだり、読書をしたり、思い思いの過ごし方ができる場所なんです。

──「小杉湯」は単に入浴の場としての機能だけでなく、「街のコミュニティ機能」も担っているのでしょうか。

そうですね、私たちとしては「街づくり」の意識を持って、さまざまな活動を行なっています。
銭湯はもともと、地域のハブのような役割を持っていた場所。昔は番台から脱衣所に向かって政治家の選挙演説が行われるたりもしていたんです。

お風呂に入りにくるだけではなく、街の機能の一つとして「銭湯の価値をいかに高められるか」ということを考え、実行していきたいと考えています。

──銭湯ブームが起こる中、「銭湯の価値を高める」フェーズにきているんですね。

そうですね。銭湯の価値の一つとして小杉湯を「生きづらさを解消できる場」にできればと考えているんです。
※塩谷さん主催の「脱衣所ワークショップ」の様子はこちら

たとえば小杉湯は女性脱衣所に少し空間が余っているため、「女性向けに発信できることはないか」と考えました。たとえばさまざまな種類の生理用品を置くとか。

今、多くの選択肢があるのに、知られていないものも多いですよね。自分にぴったりのものを見つけることで、少しでも「生きづらさの解消」になるかもしれないと思うんです。

それから、「ちょっとした体調不良」を共有できる場所にもしたいと考えていて。お医者さんにかかるまではいかないけど、少し身体の不調がある時、それを共有することで、解決方法が見つかったり、共感しあったりできると思うんです。

少しでも「生きづらさ」が解消されていくのではないかなと。私のように、銭湯に来ることで人生観変わる人もいるかもしれないですしね。

「人」の想いに寄り添い、世に届ける

──塩谷さん自身が、銭湯によって「生きづらさの解消」をされたからこそ、説得力がありますね。
現在は、「アトリエエンヤ」として副業もされているとのことですが、具体的にどのようなことをされているのでしょうか。

「想いに寄り添う、想いを形にする、想いを届ける」を基本の考え方として、小杉湯のつながりで出会った方々から、お仕事を請けています。

これは小杉湯でもずっとやってきたことなのですが、まずその建物やモノに関わる人たちの話をたくさん聞き、「この場所にはこういう魅力があって、今必要なのはこういうことですよね」と、想いを紐解き、整理していきます。

その上で、想いを実現するにはこういうことができるんじゃないか、と提案していきます。小杉湯で考えるとそれは「図解」だったんですよね。

「想いを届ける」の部分は、パンフレット制作だったり、イベントを立ち上げて発信したりなどを提案していけるのではないかと考えています。

──建物やモノを描くにあたり、そこで働き・生きる人の「想い」を汲み取られているんですね。
最後に、塩谷さんのように「好き」をキャリアにしたいと考える方が一歩踏み出すためにどのようなことが大切か、伺えればと思います。

SNSがきっかけでキャリアにつながった経験をして初めて思ったのですが、まずは下手でも未完成でも「やってみる」「公開する」ことが大切だと考えています。

たとえば「自分の絵は下手でまだ世に出せないから、上手くなってからにしよう」という方が結構いると思います。“完璧な状態”を待っていると永遠に世に出せないこともありますし、未完成を共有することで「応援してくれる人」が出てくるんですよ。

そこから何かにつながることもありますし、下手な状態で公開すると、自身としても自然と「このままじゃやばい」という意識で、どんどんブラッシュアップしていこうとする。実践の中で失敗しながら、学んでいくことが大切だと考えています。

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インタビュー・テキスト:佐藤由佳/撮影:SYN.PRODUCT/企画・編集:田中祥子(CREATIVE VILLAGE編集部)