栃木県の「EDO WONDERLAND 日光江戸村」でプロの役者として2年目を迎えた望月有也。先輩は大ベテランぞろい、新人には楽屋仕事もある。「長かったです(笑)。お芝居での悩みもありましたし、単純に先輩への接し方がわからず難しかった」
だが、慣れない土地と環境の中で、芝居への思いと闘志はふくれあがっていった。
「日本工学院八王子専門学校でよかったことは、一番になりたいと思える気持ちを持てたことです」
いかに自分のやりたいという思いをアピールできるかが大事だと語る望月。
一歩でも上に行きたいと願い、日々演じている。

 

■ 挫折なんかしたくない

現在、「EDO WONDERLAND 日光江戸村」にある芝居小屋の「両国座」で「決闘! 高田馬場」というお芝居に出演しています。吉良邸に討ち入った赤穂浪士四十七士のひとり堀部安兵衛が中山安兵衛と名乗っていた若い頃の物語です。安兵衛が叔父の果たし合いに参戦した「高田馬場の決闘」という、まさにお芝居のタイトルになっている事件があるんですが、僕は安兵衛と対決した村上兄弟の弟・村上三郎右衛門の役を演じています。ほかにも幕前の前説と武士のあわせて3役で出演中です。激しい立ち回りもあります。殺陣も、着物の着方や鬘(かつら)の付け方などもすべて、江戸村に入ってから学びました。
日光江戸村には2015年4月に入社し、芸能部に所属しています。入社してすぐに研修を受け、ゴールデンウィークが終わった頃に、両国座への配属が決まりました。最近は「遠山の金さん」のお芝居をやっている北町奉行所で音響もやらせてもらっています。給料をもらいながら稽古も受けられる。両国座に入ってすぐ役をもらえましたし、恵まれていると思います。ただ最初は、慣れない土地にひとりで来て、当たり前ですが周りは完全に江戸時代(笑)。正直どこまでやれるかという不安はありました。でも2年間はやろう、学べるものは全部学んで、次のステップを考えようと思いました。
芸能部にいる役者さんは30人ぐらいでしょうか。年齢は20歳前後から70代までと幅広いです。一番キツかったのは人間関係でした。江戸村という世界の中で、同じ座組でずっとやるわけですから、寝食を共にする一座のような濃い人間関係の中で、すごくお芝居も上手くて経験もあるベテランの役者さんに囲まれて……、どう関係性をつくればいいのかわかりませんでした。自分でもよくここまで続いたなと思います(笑)。でも、途中で挫折して辞めるのだけは絶対にイヤだったんです。

© EDO WONDERLAND

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両国座の公演「高田馬場の決闘」で前説を務める。
「お芝居の中では、まだセリフは少ないですが、前説は僕の独壇場です(笑)」

 

■ 大事なのは“負けん気”

僕は山梨県で生まれました。小さい時から運動も得意で、いつも外で遊びまわっているような活発な子供でした。中学生の頃から海外の映画やドラマをよく見るようになり、いつも吹き替えで見ていたからか、自然と声優という仕事に興味を持つようになりました。特に好きだったドラマはクライムものやアクションもので、当時あこがれていた声優は「プリズン・ブレイク」の主人公をやっていた東地宏樹さん。高校に入ってますます海外ドラマにはまり、将来は声優を目指し頑張ってみたいと真剣に思うようになりました。
日本工学院の存在を通っていた高校で知り、それで八王子校の体験入学に参加し、本当に基礎の基礎から学びたいと考えていたので、ここでならやれそうだと思い声優・俳優科(現 声優・演劇科)に進学を決めました。声優になれるかどうか、どうしたらなれるのか、どんな勉強すればいいのかもまったくわからなかったけど、不安に思ったことはありませんでした。とにかくできるだけ声優という世界の近くに行きたい、行こうという気持ちだけでした。
入学したら、当然ですけど周りは声優になりたい人だらけで。でも僕は、ライバルがいたほうが燃えるタイプのようで、もっとやる気が出ました。僕にとって“負けん気”を持てるようになったことはとても大きなことでした。それまで舞台を見たことがなかったのですが、授業でお芝居やミュージカルの舞台を見る機会を得て、声優よりも俳優に興味を持つようになりました。1 年生の修了公演では、舞台「裸の王様」で運動大臣のアロハをやらせてもらいました。とにかく元気に演じることを考えてやりました。実際に舞台に立ててすごく嬉しかったし、本当に楽しくて、もっともっと舞台でいろんな役を演じてみたいと思いました。

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■ 一番を目指す!

卒業公演の「レ・ミゼラブル」では、ジャン・バルジャンを追いつめる刑事のジャベールをやりました。どうしてもジャベール役がやりたくて、ひたすら努力し、やりたい!とアピールし、全力で役を取りにいきました。その経験は江戸村でも生きています。あの役がやりたいと思ったら、とにかく役のセリフや動きを覚えて、座長にお願いし見てもらう。それでOKが出たら役をもらえるんです。気持ちがあっても動けない人もいるけれど、その点、自分は積極的にやれていると思います。
卒業後は劇団か養成所のどちらに進もうかと迷っていたところ、先生から日光江戸村の受験を勧められました。それまで江戸村に行ったことがなかったですし、時代劇もまったく見ていなかったので、緊張と戸惑いながらの試験でした。面接でバク転をしてミスってしまったんですが、感触はよく、結果合格することができました。
同期は大体20代前半で、女子のほうが多く、男子は3人でした。同期の男子で残っているのは僕だけです。自分でもこんな根性があるとは思ってなかったので、ちょっとびっくりしています。実は、全日制の高校に通っていたんですけど、朝が起きられなくて途中から通信制に変わったんです。いまでも寝坊してしまうこともあるんですけど、やっぱりお芝居をやりたいという気持ちが強いので頑張れているんだと思います。家族も江戸村まで来て芝居を見てくれて、母は「すごい!」と喜んでくれました。
やっぱり自分が一番大切に思うのは、「誰にも負けない」という思いです。自分はその気持ちが強くて、学生時代もお芝居が上手い人をライバルにして奮起していましたし、江戸村にはアクションを専門とするJAC(ジャパンアクションクラブ)の人もたくさんいるので、その人に稽古をつけてもらい、立ち回りを真似たり、動きを盗んだりしています。
続いているのは、 本当にお芝居が好きな人だと思います。ほかにやりたいことがないからといって、続くような甘い世界ではないです。僕はまだ 2 年目ですが、学生時代にはなかったプロ意識が、江戸村に入ってどんどん芽生えているような気がします。一度ベテランの役者さんと思いっきりケンカをしてしまったことがあって、演技のことで考え込みすぎて暗い感じがお芝居に出てしまっていたのを指摘され、いろいろ溜まっていたこともあって爆発してしまいました。その時に堂々と、「絶対に辞めない。自分は一番を目指す!」と言い放ってしまいました。だから挫折している場合ではない。まだまだ先は長いです(笑)。

© EDO WONDERLAND

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「両国座」では、涙あり、笑あり、大立ち回りありの人情アクション時代劇が連日上演されている。

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