2014年10月から週刊少年マガジンで連載が開始された「阿部のいる町」。絵を手がける井上菜摘はデビュー作で人気週刊マンガ誌の連載という大役を任された。
絵を描き始めたのは高校3年生、マンガ家を志したのは19歳。その5年後にデビューを果たした。「大変な時もあるけど、楽しいことのほうが多い。マンガ家ってなるのが難しい職業だと思っていたけど、毎日絵の練習をしていたらなれた! 計画的にやっていけば、もしかしたらどんな夢でも叶うのかなって思いました」。
1作ごとに着実に力をつけている、未知数の実力と可能性を秘めた人である。

■ 高校3年で絵を描き始める

小学生のころからマンガを読むのが好きでした。なかでも「カッパの飼い方」は昔からずっと読み続けていますし、「HIGE SCORE」は連載中から大好きで、私の青春は「HIGE SCORE」とともに歩んできたと言ってもいいくらいです(笑)!学生時代は、勉強は普通、運動はけっこうやっていました。高校ではバドミントン部だったんですが、全国大会に出場するようなすごいレベルの学校で、そんな中で私だけ弱くて本当に申し訳ない感じで……、でも3年間めげずに続けました。
実は絵を描き始めたのは高校3年生からなんです。絵が得意だったわけでもないですし、マンガを描こうなんて考えたこともありませんでした。それが高校3年生の時、ある日ジブリ作品を観ていて「絵を描きたい」って思いが沸き起こってきたんです。それで絵の専門学校に行こうと思いました。絵を描き始めたのはそのときからです。ネットで検索して一番トップに出ていた日本工学院専門学校の体験入学に参加しました。雰囲気がとても気に入り、通学に便利な蒲田校のクリエイターズカレッジ マンガ・アニメーション科に進むことに決めました。だから最初はアニメーター志望だったんです。
入学したら周りにはすごく絵の上手い人や、マンガやアニメに詳しい人がたくさんいて、あこがれだけで入ってしまった私は、バドミントン部のときと同じ申し訳ない気持ちでしたし、マンガやアニメに関して何も知らないという劣等感もありました。絵も描き始めたばかりで本当に下手で課題もこなすのも大変でした。でも学校は楽しかったし、無駄に焦ってもしようがないと。クラスに2、3人熱い人がいて、隣で一生懸命描いている姿を見ると、私も負けないように頑張ろうって思えました。彼らはいま、みんなマンガ家としてやっています。励まし合ういい仲間です。あの出会いは大きかったです。

■ やる気だけは伝わった

初めてマンガを描いたのは1年生の授業ででした。アニメーターからマンガ家に志望変更したのは、マンガを描くことが楽しかったというより、アニメーターでやっていく厳しさ知り、マンガのほうが自分のペースでやれるんじゃないかと思ったからです。最初に出された課題は新体操のマンガでした。8ページ程度の短い作品でしたが、完成したときには本当に嬉しくて。いま振り返ると当時は、自分ができてないってことにさえ気づいてなかったんだと思います(笑)。マンガを描くことは楽しかったけれど、何もかもが初めてで、コマ割りとかも全然できなかったし、何よりストーリーが考えられなくて苦労しました。
1年生の後半に、出張編集部で学校に来てくださっていた少年マガジン編集部の方に作品を見ていただいたんですが、いい反応はもらえなくて。それで考え中だった新作の簡単なネームを見せたら「ネームができたら見せてください」って名刺をいただいたんです。バドミントンのマンガだったんですけど(笑)。絵やストーリーが評価されたわけではなくて、この子いろいろ考えてるんだなってやる気だけは伝わったんだと思います。そのときに初めて絶対にマンガ家になりたいって本気で思いました。
そのバドミントンのマンガで月励賞をいただいて、次は年に2回公募される新人賞に挑戦しようと思いました。それで卒業後は日本工学院専門学校で事務アシスタントをやりながら、何回か応募したんですけどずっとダメで。事務アシスタントを2年やって、それからはマンガ家さんのアシスタントをやりながら作品を描いていました。不安はありましたけど、でも、何回か挑戦していればいつかは必ずって思っていました。

■ 描けば上手くなる!

2012年に「ミスター・ビューティー」で週刊少年マガジンの第89回特別奨励賞をいただきました。だけどやっぱり私は話をつくるのが苦手で。とにかく絵が描ければいいんですって編集さんに話したら、ある方を紹介していただいて。それがいま週刊少年マガジンで連載している「阿部のいる町」の原作者の宮島雅憲先生でした。「阿部のいる町」は2014年10月から連載が始まりました。すごく幸運な出会いをいただいたと思っています。絵だけにしぼったことも、こんなに早くデビューできた大きな要因だと思います。
初めて自分の作品が掲載された雑誌ができてきたときは嬉しかったですね。次の締め切りがあったので、そんなにひたってもいられませんでしたが。最初は毎週毎週締め切りが来るなんて大丈夫かなって思っていたんですけど、ページ数も12ページですし、これまでは自分の想定した通りのスケジュールで締め切りを破ることなくやれています。絵が上手い人はこだわりすぎて時間がかかってしまうってこともあると思うんですけど、私はクオリティーへのこだわりよりも、ここが締め切りってなったら、そこに向かってできる最高のものを仕上げようというタイプなので、やれているのかもしれません。
いまの一番の願いは、絵がもっと上手くなりたい、画力をつけたいってことです。私は「エア・ギア」の大暮維人先生の描くキャラクターの顔がすごく好きで、一度だけ大暮先生にお会いしたことがあって、「どうやったら絵が上手くなりますか?」って聞いたら、「描いていけば上手くなる、量を描けば上手くなる」って言われたんです。それは本当だと思います。「阿部のいる町」の連載が始まった頃と、3か月後では絵が全然違って、それこそ毎回毎回進化している気がするんです! 私はお料理をするのも好きなんですけど、お料理もつくればつくるだけ上手くなるのがわかるんですね。“上達が実感できる”ってことが私は好きだし、やっていて楽しいし、大事なモチベーションなんです。
以前は原作も手がけたいという気持ちもありましたが、私がつくる話は面白くないので(笑)。それよりも絵を描くことに時間をかけたいです。まだまだいまの絵柄に満足できませんし、絵のテイストにこだわりもありません。むしろ作品や時代の流れによってどんどん絵を変えていきたいと思っています。いろんな原作と出会えることで、いろいろなジャンルに挑戦させていただける、また描ける! まだ駆け出しで、マンガ家としての本当の厳しさも大変さもわかってないんだと思いますが、いまは不安よりも描ける楽しさでいっぱいです。

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©宮島雅憲・井上菜摘/講談社

コミック『阿部のいる町』 2015年1月16日発売!
高校1年生の阿部は世の女を狂わす究極のモテ男子。阿部を巡って町も学園も大騒ぎ!

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