会員数120万人を誇る大人気コミュニティサイト「プーペガール」。
大川真望子はデザインリーダーとしてその全世界を担っていた。
「自分の中で100%の確信が持てないと進めない」――その信念に徹するがあまり、デザイナーとしての出発は遅いほうだった。
だが「プーペガール」でその才能は一気に花開く。
「手づくりでお人形をつくって売る。それがいま一番やりたいことです。まだ手探りですが、自分が可愛いと思えるものをつくりまくっています」
ネット世界からリアルへ。大川の才能は止まらない。

 

■ ヘビーユーザーからザ・プーペガールへ

プーペガールでは、お洋服やアクセサリーなど全デザインを手がけていました。プーペガールは2007年2月にサービスが開始されたんですが、私は2007年10月末から、最初はアルバイトでアシスタントデザイナーとして採用されました。私はプーペガールの超ヘビーユーザーだったんです。可愛いアバターで異次元の世界で遊びたくて見つけたのがプーペガールでした。まだサービスが開始されて3カ月ぐらいでしたが、すごくはまって。当時イラストを描く仕事をやっていたんですが、プーペガールをやりながら、その合間に仕事をするって感じで(笑)。あるとき求人サイトのメールを偶然見たら、プーペガールがアシスタントデザイナーを募集していたんです。正社員希望だったんですが、本当にプーペガールが好きだったので迷わず応募しました。
それこそ奇跡的に、私が描きためていたものがプーベガールにぴったりだったようで、見事採用されました。私が入った直後にサービスの立ち上げを手がけたデザイナーさんが辞めてしまい、いきなり責任のある仕事をひとりで任され、気がついたら私がナチュラルに描いたものがそのままプーペガールの世界として評価されるようになっていました。
ずっと考えていたのは、「女の子がときめくポイントってなんだろう?」ってことでした。ちょっとくすんだ感じの色を使ってレトロ感を出したり、細かなところまでレースを付けたり、ゴテゴテになり過ぎないよう盛り具合に気をつけながら可愛い要素を詰め込んでいました。プーペガールの魅力は重ね着が楽しめるところなんですが、アウターの可愛い部分が見えるようにインからアウトにかけて少しずつ大きくしているし、ワンピースはそのまま着ても可愛いけれど、下にブラウスも着られるようブラウスの肩の部分をワンピースに合わせでつくったり、すべてチェックし細部まで計算してデザインしています。

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poupeegirl(プーペガール)

オシャレな女の子に大人気のファッションブランドコミュニティサイト。「プーペ」と呼ばれるキャラクターで、着せ替えや重ね着を楽しんだり、自分のお気に入りのファッションアイテムの写真を投稿することもできる。

 

■ 本当にやりたいことしかやりたくない

子供の頃から絵を描くのが好きで、家族でピクニックに行ってもノートとペンを持っているような子でした。女の子を描くのが好きで、というか女の子しか描けない。ひたすらオリジナルを貫いていました。
私は昔から本当にやりたいことしかやりたくないという考えなんです。それで高校卒業後の進路については、描くことだけをやるために専門学校を希望しました。ただ当時からお洋服をつくることにも興味があって、母が服飾系の学校を出ていたので相談したりもしたんですが、一番自分を活かせるのはやっぱり絵を描く方向だろうなって思いました。
それで日本工学院専門学校のグラフィックデザイン科(現デザインカレッジグラフィックデザイン科)の体験入学に参加したんですが、実際に入学したのはマルチメディア科(現クリエイターズカレッジCGコース)でした。私はリアルな絵を描くのが好きでデッザンが得意だったし、リアルといえば3DCGだって勝手な思い込みで入ってしまったんです。ずっと手で描いてきたのでパソコンも持ってなかったし使い方もわからない。もう泣きながら授業を受けていました。就職活動もうまくいかず、卒業後も自分が何をやりたいのか、何だったらやれるのかずっと探していました。
1年たった頃に担任だった先生に誘っていただき、日本工学院で教育アシスタントとしてデッサンとIllustratorとPhotoshopの授業を担当することになりました。授業のかたわら、学生や教育アシスタントの仲間とポストカードをつくって廊下の作品棚に並べて発表したりもしました。その頃からだんだん自分の絵に自信が持てるようになってきました。
2年間教育アシスタントをやったあとは好きな絵をひたすら描きながら、オリジナルグッズ制作の会社を受け続けたんですが、ことごとく落ちました。好きってだけで描きためたポートフォリオを見せられても、採用するメリットを感じてもらえなかったんだと思います。それで日本工学院の講師の方の紹介で、少しずつテレビの挿絵に使われるイラストを描く仕事をやったりしていました。そんな中で出会ったのがプーペガールでした。

 

■ ひとりの力でやってみたかった

プーペガールではチーフデザイナーでしたが、プーペガールの世界観を保っていくためにデザイン以外のこともすべて見ていました。アイテムのデザインチェックをし、だれよりもデザインを描き、メンバーのケアーもし。プーペガールは大好きでしたし、私イコールプーペガールだと高く評価してもらっていましたが、2012年4月でプーペガールを辞めました。プーペガールのため、ユーザーのために頑張ってきた力を、本当に自分がやりたいことのために使いたいと思いました。
現在はmaminoir(マミノワール)というブランドを立ち上げ、お人形や小物をハンドメイドでつくっています。プーペガールでやっていたお洋服のデザインの経験を活かし、リアルな世界で実際に手に取れるものを生み出していきたいと思っています。
プーペガールではユーザーにがっかりされるのがなにより恐いことでした。何百点ものデザインを手がけなければならないので、すごいスピード感が要求されるため、多くのデザイナーが「もうここまでしかできない」って時間に負けちゃうんです。でもそれを乗り越えて、限られた時間でもクオリティ高く妥協せずにやらないといけない。そこまでやらないとユーザーに満足してもらえないんです。それにそこまでやり尽くせば、自分で自分に納得できる。精神的にも体力的にもギリギリでしたけど、すごいプレッシャーと、だれよりもちゃんといいものをつくらなきゃダメだっていう危機感に育てられました。
プーペガールでは、高いクオリティをいかにキープしていくかを第一にやってきました。会社に所属しある意味守られながら、だからこそ組織の中でデザイン以外の役割も担わなければならなかった。いまは自分の好きなことだけに打ち込める反面、すべてが自分にかかっています。これまで以上にやり切らないと結果はついてこないだろうし、厳しい世界だと思います。でもいいことも悪いことも全責任を自分で背負い、自分の一番好きなもの、得意なことだけに集中し挑戦したかったんです。ようやくいま、その願いがかないました。

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© maminoir

maminoir(マミノワール)より

素材感ってすごく大事だから、お店やネットで生地や素材を探してきて、研究しながらつくっています。USAのビンテージ生地を使ったり、そういった素材との出会いもあるし、同じものはつくりませんし、つくれない(笑)。それがハンドメイドのいいところだと思います。私のつくったものを実際に手に取って「可愛い!」って言ってもらったり、ずっと手元に置いて大切にしてもらったり・・・・・・そんな場面を想像するだけで幸せです。

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