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映画『GONIN サーガ』監督・脚本 石井隆さん

1995年に公開され、バイオレンス・エンタテインメントの傑作として、国内のみならず海外からの評価も高い、映画『GONIN』。この日本のフィルム・ノワール最高峰として今なおファンを獲得し続ける名作が、19年の時を経た続編『GONIN サーガ』として、9月26日(土)、TOHOシネマズ 新宿ほか全国ロードショーに。今作では主演の東出昌大をはじめ、桐谷健太、土屋アンナ、柄本 佑、安藤政信という豪華キャストの共演や、俳優を引退していた根津甚八の大復活劇など、早い段階で話題を集めており、オールドファンも待望の一作だ。

そこで今回、映画の公開を記念して、同シリーズの生みの親である石井隆監督にインタビュー。映画少年がどうやって映画監督を目指して、数々の傑作を残していったか。また、監督最新作の『GONIN サーガ』に込めた想いとは? そして「僕は、生き方は、下手」と謙遜する石井監督が贈る、映像クリエイターを目指す若者たちへのアドバイスとは――!?

 

■ スタートは劇画家。やがて自分の漫画の実写版でシナリオライターに

僕は小学校の頃から絵が好きで、親父の部屋に西洋の画集のヌードとか宗教画集とか、見てはいけないものを見るように盗み見しては自分も真似て油絵を描いてたり。喘息だったんで、発作が毎日朝に出て、病院に担ぎ込まれて、それを口実に学校を休んでは午後にはすっきり治るものだから、仙台ですが、家の近くに映画館がいっぱいあって、毎日のように映画館の暗闇に潜んでいた優等生だったんです(笑)。

客席がガラガラで、どうしてみんなこんなに面白いのを見ないんだろうと思ってたら、テレビが始まった時代なんですね。僕の家にも父の仕事の関係で早くからテレビはあったのですが。そのうち邦画が斜陽になり、映画監督になりたいと思って映画雑誌を見ても斜陽で助監督試験がないと書いてある。もっとショックだったのは、監督たちは皆高学歴、東大なんてゴロゴロいると。しかも助監督を10年やってようやく監督になれるシステムだと知って、でも、映画ばかり見ていましたからね、東大無理だよなって。浪人中、『映画芸術』に載った早稲田の映画研究会の学生と当時の俊英監督達との討論を読んで、負けてないわけですよ、学生が。よし、ここならと早稲田の“映研”に入るために、早稲田に入った。

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しかし、映研は理論の場。そこから先が望めず、どうにか現場に潜らなければと焦っているときに、映研の先輩の口利きで、ロマンポルノ路線になる寸前の日活と大映が共同して配給していたダイニチ映配の作品で助監督のバイトで現場を初体験しました。3か月ほどでしたが実作に携わることが出来ましたが、日活撮影所のセットの床が土だった頃で、乾燥していて埃がもの凄く、持病の喘息の発作が酷く、しかも助監督10年で監督昇進という時代でしたから、悩みました。学生運動の時代でもあり、僕なりに悩み抜いて、学生結婚、妻との生活のためにと、これも先輩のツテでSF作家の草川隆さんを紹介され、草川さん、実話雑誌系の下請けの雑誌社に繋いでくれたんです。倉庫の中にあるような事務所で、僕、そういうの大好きなもんで、入り浸って雑文書きやらヌード写真の撮影やら、なんでもしながら授業にも通っているうちに、ひょんなことから当時は劇画、今でいうコミックですが、連載の先生が病気で落ちたから、穴埋めしないか、絵が描けるんだよなと、劇画を描くことになって。劇画は第一志望じゃないからペンネームでとお願いして、その時の編集長が草川さんから隆をもらって石井隆と名前を付けてくれました。見よう見真似で8ページのドロドロ劇画を書いたら、呆然としましたが似たような雑誌から注文が続いて、いつの間にか劇画家になっていました(笑)。

親との結婚の条件が卒業だったので妻が授業に出てノートを取ってもらいながら卒業、そのうち「天使のはらわた」という長編がヒットして、思いも寄らず東映から映画化の話が来た。設定とキャラだけでストーリーはシナリオライターが書くという条件でした。で、その三日遅れで僕のイラストや劇画のファンだというにっかつ企画部の成田(尚哉)さんから、そっくりそのまま映画化したいと大変熱心なオファーがあった。原作料は比べものにならなかったし、掲載誌側では当然、東映での映画化を望んだのですが、僕は成田さん個人を選び、今があります。でも、あのとき東映を選んでいたら、その後に続く、脚本、監督の道はなかった。『女高生・天使のはらわた』(78)で原作を提供し、『天使のはらわた 赤い教室』(79)では脚本を書かないかと言われて見よう見真似で初シナリオを書きました。以降も何本か原作、脚本で関わることになり、8年後、少し回り道したけど日活撮影所に舞い戻れた。にっかつロマンポルノは1988年に幕を閉じますが、シリーズで貢献したんだからと成田さん、僕より5歳くらい若い慶應の美学を出た人で、彼が日活を2年間口説いてくれたんです。学生運動の時代の影響で、『ラブホテル』以来飲み友達だった相米(慎二)さんと僕は、日活では撮れないブラックリストに載っていたらしく、ギリギリのタイミングでしたが、成田さんのおかげで『天使のはらわた 赤い眩暈』(88)を撮り、相米さんが打ち上げの席の挨拶で言った「正直、ここまでやるとは思わなかった」の一言が勇気になって、ついついその気になって、今があります。同時に、映画における生涯の友、竹中直人さんと佐々木原カメラマン、そして2作目の、にっかつ初のオリジナルビデオで口説き落とした根津甚八さんと出会います。

 

■ これが最後の『GONIN』になるかも――だから、『GONIN』(95)の、その後を描いてみたかった

(C)2015『GONIN サーガ』製作委員会

(C)2015『GONIN サーガ』製作委員会

やがて、日活を辞めたプロデューサーたちが立ち上げたアルゴプロジェクトで『死んでもいい』(92)、『夜がまた来る』(94)、『天使のはらわた 赤い閃光』(94)を脚本、監督しました。アルゴプロジェクトが潰れかけた時、竹中さんが、「男だけのアクション映画を撮りませんか?」と言ってくれて。自分が出てる現場で石井隆に興味を持ってる役者が結構多いんだよね、と。世間知らずの僕は、言われるままに脚本に集中しました。面子はメジャーでしたが皆殺しのシナリオでしたから、メジャー配給は無理と思い、独立系の配給会社を自分で当たったのですが、キャスティングが大き過ぎる、つまりバジェットが大きくなるとリクープが大変だということで断られました。

その途端、資金繰りをしていた竹中さんの事務所の社長から、「監督、松竹は厭ですか?」と言われて、厭もなにも、次の日には松竹配給が決まっていたのです。それが『GONIN』(95)です。『GONIN』は、その時々の旬な役者を五人集めてバイオレンスアクションをという企画でした。『GONIN少女』とか『GONIN香港』とか、何本もシナリオを書いたんですが、女性だけの『2』を撮ったあと、状況が激変したんです。あとは或る種、その状況に巻き込まれた形でシリーズは封印状態、どこに企画を持って行っても実現出来ずに5年10年と経ち、諦めていました。それから15年です。『花と蛇』(03)のヒット以来、“脱ぎの石井隆”などと言われていますが、角川映画で3本撮った後に、「監督、次は、アクションはどう?『GONIN』」。まさかと耳を疑いました。僕も歳なので、これが最後の『GONIN』だろうと、書き溜めてあった、前作のその後を描いた、ヒットマンの京谷(ビートたけし)に射殺されたはずの根津甚八さん演じる氷頭(ひず)が、愛する妻子を殺された恨みを晴らす一念で植物状態で生き残り、前作で殺された暴力団組長や若頭、そして、襲撃事件で駆け付けて出会い頭に京谷に射殺されるパトカーの警察官の家族、遺児たちを描くシナリオを提出しました。それが今回の『GONINサーガ』です。根津さんは健康を害され引退宣言までされて、病状を心配していました。眼帯でも車椅子でも、どうであってもいいので、とにかく氷頭は生きている、でやりますからと伝えて。スクリーンの中の根津さんを、どうしても僕は見たかったんです。

 

■ 自分の手で編集 苦心し続けた7ヶ月

(C)2015『GONIN サーガ』製作委員会

(C)2015『GONIN サーガ』製作委員会

今回の『GONIN サーガ』は、編集作業に7ヶ月かけました。撮影は30日間でしたが、公開が一年以上先と言われ、さらに4時間以上もあったOK尺をお客さんの生理を考えて2時間10分以内にという厳命もあり、じっくりやろうと。これまでは編集が何よりも大切だということが分かっていたので、プロの編集者にお願いしていました。でも皆、忙しいから、ひと月かふた月もすれば次の仕事に行ってしまう。しかも僕の注文はいちいち絵を描いて説明するなど、細かく細かく修正を頼むので頼まれたほうも面倒臭いとは思う(笑)。そもそもOKカットしか見ないプロが多い。でも僕はNGのカットにある“いい一瞬”を取り出して使おうと言ったりしましたので、編集者には嫌われ者だったのかも。そこで今回は4時間分もあるし、うちのプロデューサーと二人で粘ってやろうかと。まさか、7ヶ月も掛かるとは、プロなら半分以下の時間で済んだだろうし、きつかったけど、精神的には良かった(笑)。

 

■ 大切なことは、出会いを待ち、場を待つこと!

s_eyecatch2僕は、生き方は、下手ですね(笑)。先日も大阪芸大の教授の佐々木原カメラマンに呼ばれて竹中さんと対談みたいなことをして来ましたが、僕みたいなことをしなければ、優雅な生活を送れる映画監督になれますよと学生たちに話しました(笑)。しかし、一番大切なことは、人との出会い。僕の場合は、声をかけてくれる方が多かった。プロデューサーなり、企画者なり、出会いを大切にして来ました。最低限、技術も必要だし、センスも必要だけど、人との出会いがないと、活かせません。来た仕事を精魂込めてやり、それを媒介にした更なる出会いを待つ、場を待つ、そんな生き方でしたね。若い人たちには、こんなことを言っている僕みたいな生き方をしなければ大丈夫だということを言いたいですね(笑)。こんな体験談でもお役に立てれば。


■作品情報

『GONIN サーガ』
9月26日(土)TOHOシネマズ 新宿他、全国ロードショー

(C)2015『GONIN サーガ』製作委員会

(C)2015『GONIN サーガ』製作委員会

東出昌大 桐谷健太 土屋アンナ 柄本 佑 安藤政信
テリー伊藤 井上晴美 りりィ 福島リラ 松本若菜
菅田 俊 井坂俊哉 / 根津甚八
鶴見辰吾 / 佐藤浩市(友情出演) / 竹中直人

監督・脚本:石井 隆
劇中歌:「紅い花」 歌:ちあきなおみ
「ラスト・ワルツ」 歌:森田童子

エグゼクティブ・プロデューサー:井上伸一郎
企画:菊池 剛 加茂克也
プロデューサー:二宮直彦 阿知波 孝
撮影:佐々木原保志(JSC)山本圭昭
照明:祷 宮信 美術:鈴木隆之 録音:郡 弘道 音楽:安川午朗
ラインプロデューサー:小橋孝裕 キャスティング:東 快彦

助監督:日暮英典 制作担当:高見明夫
製作:KADOKAWA ポニーキャニオン
電通 ファムファタル ソニーPCL
制作プロダクション:ファムファタル

配給:KADOKAWA/ポニーキャニオン

■オフィシャルサイト

http://gonin-saga.jp

profile

石井隆(いしい・たかし)

1946711日生まれ、宮城県出身。映画監督を目指して早稲田大学映画研究会に入るために早大商学部に入学、在学中に監督助手のバイトでダイニチの現場で映画を体験するも、諸般の事情で断念、卒業後、劇画家デビュー。『天使のはらわた』(77)が大ヒットし、78年から日活ロマンポルノにてシリーズ映画化され、原作者・脚本家として映画の現場に舞い戻り、88年、『天使のはらわた 赤い眩暈』で監督デビュー。大竹しのぶ、永瀬正敏、室田日出男出演『死んでもいい』(92)では、第33回テッサロニキ国際映画祭最優秀監督賞受賞、第10回トリノ国際映画祭審査員特別賞など国内外映画賞多数受賞、『ヌードの夜』(93)ではサンダンス・フィルム・フェスティバル・イン・トーキョー'94グランプリなどを受賞、国内は勿論、海外での評価も非常に高い。主な映画監督作品に『夜がまた来る』(94)、『GONIN』(95)、『黒の天使 シリーズ』(9899)、『フリーズ・ミー』(00)、『花と蛇』(04)、『人が人を愛することのどうしようもなさ』(07)、『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』(10)など。13年には『フィギュアなあなた』、『甘い鞭』2本を監督し、『GONINサーガ』が最新作となる。

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