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~飛躍するクリエイター~ 第4回 加藤 久典 3DCGクリエイター

合格率10パーセントといわれるCGクリエイター検定1級(主催:CG-ARTS協会)に合格した加藤久典。派遣としてCG制作の現場をわたり歩いてきたことで、精神的にも鍛えられ、少しは処世術も身につけた。何より、必然的に技術が磨かれていた。
「本当にいろんな場所で、いろいろな人と仕事してきたなって思います」CGクリエイター検定1級に受かったことで、転々と現場をこなしてきた意味を初めて実感できた。そしていま、自分の可能性を見据え、さらなる将来を模索している。クリエイターにはなれる。ある年齢までは、続けることもできるだろう。だけど、自分の満足のいくクリエイティブに関わることは難しい。
そのためには、才能も、意志も、運も必要だ。作品的、対価的にどれほど世間から評価されても、自身を誇れないクリエイターは哀しい。クリエイティブとは、みずからに向かい、問い続ける作業でもある。巨匠・黒澤明最後の映画「まあだだよ」(93)のセリフにこうある。「みんな、自分が本当に好きなものを見つけてください。自分にとって本当に大切なものを見つけるといい。見つかったら、その大切なもののために努力しなさい。」黒澤の本心だったという。(黒澤和子著『黒澤明「生きる」』より)

 

■ 上京のきっかけは中学校の修学旅行だった

2010年3月からCG制作会社タクトで、パチンコ向けの3DCGを制作しています。タクトに入社するまでの4年間は派遣としていろいろな現場を体験しました。長くて1年半、短いときは1カ月と次々と現場を回ってきましたが、その度に面接を受け、新しい場所で初めての人たちと人間関係をつくっていくということの繰り返しにちょっと疲れていたから、今回初めて腰を落ち着けて仕事に取り組める機会を得ることができ、少しホッとしています。
 子供の頃から絵を描くのは得意でした。テレビゲームも好きで、小学生のときからよく遊んでいました。こういうゲームをつくる仕事もあるんだなと思ってはいましたが、当時からクリエイターを目指していたわけではありません。中学生になってからもゲームはよくやっていましたね。あと一生懸命やったのは部活。バレー部だったんですが、おじさんが中学校の教師をやっていてバレー部の顧問だったこともあり、子供の頃からバレーに親しんでいたんです。その頃の夢は、学校の先生とか、冒険家とか(笑)。
 高校は商業高校に進みました。僕の家はすごい山の中にあって、ずっと田舎で育ったから、あまり将来について考えることもなく、いくつかあった選択肢の中から軽い気持ちで選んで進学してしまったような気がします。それでも、中学校の終わりの頃にWindows 95を買ってもらい、もっとパソコンの勉強をしたいと、商業高校の中でも情報処理科を選んだんです。プログラムを習ったり、ホームページをつくったり、高校の授業は楽しかったですね。
 高校卒業後は日本工学院専門学校八王子校マルチメディア科3年制(現クリエイターズカレッジ CGクリエイター科)に進みました。実は中学校の修学旅行で東京に行ったときに学校見学の企画があって、僕は日本工学院(蒲田校)に行ったんです。ゲーム関係の学科があったので、興味を持ったんだと思います。商業高校は卒業してすぐ働く人も多いのですが、僕には中学時代の学校見学の印象が残っていて、絵を描く勉強ができるかもしれないと日本工学院への進学を決めました。入学したのは、見学した蒲田校ではなく八王子校なんですけど。そっちのほうが、広くてきれいな気がしたので(笑)。

 

■ これまでやってきたことは無駄ではなかった

日本工学院ではいろいろな新しいことを学ぶことができました。いまもMayaを使っているんですが、初めてMayaに触ったのも日本工学院の授業でしたし、あのとき習ってなかったら、いまの自分はなかったかもしれません。ただ僕はコンピュータで絵を描く勉強ができると思って入学したので、3DCGをやると知ったときは一瞬戸惑いました。でもやってみるとすごく面白かった。
クラスにはメッチャ絵が描ける人もいて、そういった人に刺激を受けて自分も頑張ろうと思ったり、やっぱり向いてないと落ち込んだり。結局、他人(ひと)は他人、自分は自分のできることをやるしかないと考えるようなりました。授業以外は、仲間とサッカーをしていた記憶しかない(笑)。放課後はパソコン室が開放されてクラスのみんなは課題なんかをやっていたんですが、僕らはずっと広場でサッカーをやってました。なんだか日本工学院の3年間は楽しくてあっという間でした。
 卒業後はプログラマーの派遣を主にやっている会社に社員として採用され、CGクリエイターとしていろんな現場に派遣されて行きました。4年間で7カ所ぐらいゲームとパチンコのCG制作の現場を経験し、それぞれの現場で求められる作業をひたすらこなしてきました。人間関係もいろいろ、現場ごとにやり方も規模も違うし、プロジェクトの管理や進め方も違う。人間関係で参っちゃったこともありましたが、いま思えばあの4年間で鍛えられたんです。
 プロとして働き始めた3年目の2008年に、CGクリエイター検定2級に合格しました。日本工学院時代に落ちた経験があって、あるとき急にそのことを思い出し、いまなら合格するかもしれないと思ったんです。それで、どうせなら1級に挑戦してみようと、翌年2009年に受験し合格しました。受験のために特別な勉強はしていません。仕事で大事だと思っていたことが、そのまま問題として出題されていて、ちゃんとCG制作のことを考えてつくられている検定だと感じました。自分の知識や技術、CGを制作していく上で大切なことが再確認できたし、何よりよかったのは、これまでやってきたことは無駄ではなかったんだと思えたことでした。

 

■ 考えながらやっている人というのは尊敬できます

オリジナリティーを求められる現場も、そうでない現場も両方経験してきました。いずれにしても自分の作品ではないけれど、自分がやることで少しはいいものにしたいと思っています。基本が大事ということですね。何をつくるにしても何段階も工程があって、それをひとつひとつきちんとやっていかないとダメなんです。僕は手は早いほうなんですけど、ツメが甘くて、もう少し丁寧にやれとよくしかられていました。
 いろいろな現場を経験しましたが、プロジェクトの面倒も、人の面倒も見ることのできる人、考えながらやっている人というのは尊敬できますね。僕は他人の技術をうんぬん言う気はないのですが、現場を管理する立場の人がきちんとまとめられないというのは問題だと思っています。制作環境がちゃんと整ってない現場はやっぱりしんどかったです。僕の立場でどこまで踏み込んでいいのか、難しいところだったので。だからタクトでは、最初からプロジェクトに関わり、できるだけ制作環境をよくしていきたいと考えています。いままでの経験を活かし、新しい挑戦ができそうな気がしています。
 これまでやってきたパチンコのCGでは面白さや派手さが求められてきましたが、ストーリー性や芸術性を重視したアニメーションなどの映像作品にも参加してみたいですね。あと写真にも興味があるし、海外にも行きたいし、どうせなら海外でCG制作もやってみたい。人生的にもまだ迷っているところがたくさんあって、ずっと保留で何年も模索中という状態です。でもそんなことを考えられるだけでも幸せなのかもしれません。地元の友だちは働く場所も仕事も限られていて、迷うことすらできない。ただやっぱり、表現のできる場所にはいたいと思っています。せっかく生きてるんですもんね。

 
この記事に関するお問合せは、こちらまで
info@c-place.ne.jp

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加藤 久典(かとう・ひさのり)

3DCGクリエイター
1984年岩手県生まれ。山の中で自然に囲まれ育つ。2003年に日本工学院専門学校八王子校マルチメディア科3年制(現クリエイターズカレッジ CGクリエイター科)に入学。卒業後は派遣会社にCGクリエイターとして入社し、さまざまな現場で経験を積む。派遣時代に現場に入ったCG制作会社タクトに、2010年3月より入社。

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