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~飛躍するクリエイター~ 第5回 いわいのふ 健 俳優・企画集団DOA主宰

紀伊國屋ホールのロビーは異常な熱気にあふれていた。観客、舞台関係者、マスコミ、スタッフ、出演者・・・・・・大勢の人の輪の中心にいわいのふ健はいた。「毎日すごくたくさんのお客さんに来ていただきました。しかも芝居が終わってもみなさん会場に残っていてくれて、ロビーが大変なにぎわいなんです。僕もいろんな舞台を経験しましたが、あんな光景は初めてで、本当に感動しました。僕らの熱が伝わった、芝居を体感してもらえたからだと思うんです」
公演終了後に先輩たちから言われた。「芝居がよかったとか、台本がどうだとか、もうそんなことはどうでもいい。お前は本当によくやった」その言葉がなによりうれしかった。大チャンスであるとともに、強烈なプレッシャーのかかった公演を成しえたことへの称賛とねぎらいの言葉に包まれながら、いわいのふは新たな次元に向かっていた。俳優として、企画集団DOAの主宰として自分は何をすべきなのか。それ以上に、人としていかにあるべきか。

 

■「泥と蓮」は“人との出会い”の賜物だった

 僕が主宰をつとめる企画集団DOAは、今年2010年9月に紀伊國屋ホールで「泥と蓮」を上演しました。DOA結成から約10年、初めて企画・制作・台本を手がけ出演もした、いろいろな意味で大きな公演でした。巡り巡っていまがある――お客さんはもちろん、関係者や俳優仲間や家族、僕をここまでにしてくれたすべての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
 本当に“出会いの大切さ”を実感させてくれた公演でした。公演を無事終えることができたのは僕が18歳から培ってきた人脈のおかげでしたし、終わって感じたことは、今度はこの公演が出会いの場となったことでした。僕の出会った人たちが僕を介してまた新たな出会いをする。僕の先輩や友人が新しい出会いによってどんどん素敵になっていく様子を見たときに、この公演をやったことは絶対に間違ってなかったと思えたんです。
 とにかく人と出会うことです。出会うためにはいろんな所に自分から出向いて、いろんな設定でいろんな出会いをすることが大事だと思います。そうすれば出会いが出会いを呼び、出会いが紡がれていく。だけど出会うためには謙虚でないとダメです。大体、役者として成功している人は人間ができてますよね。で、家族や両親を大切にしている。それっていま自分がここにあることに対する感謝の表れだと思うんです。今回の公演によって、DOAを出会いの場としてどう発展させていくかということを真剣に考えるようになりましたし、僕自身「いかに俳優として成功するか」よりも、「人としてどうあるべきか、どう人と出会い関わっていくか」に重きを置くようになりました。

イメージ「泥と蓮 -無一物即無尽蔵-」(2010)脚本=久保裕也、演出=岡部大吾
プロデューサー=小澤政志、製作=企画集団DOA

 

■ 人生で一番デカかった“北大路欣也さんとの出会い”

 高校卒業後は芸能界を目指し東京に出ました。日本映画学校に行くか、日本工学院専門学校に行くかで迷ったんですが、結局、舞台の勉強もできるということもあり日本工学院の舞台俳優科(現クリエイターズカレッジ声優・俳優科)に決めました。だけど最初の演技の授業で大きくつまずいてしまいました。演技の経験もないヤンキーあがりの僕は、喜怒哀楽の表現訓練といった授業にどうしてもなじめなかった。かわりにヒップホップダンスに目覚め、日本工学院の2年間は授業そっちのけでダンスばっかりやってました。
 だけどいよいよ卒業だってときに急に恐くなってきちゃって、なんとか卒業公演に出させてもらい初めてそこで芝居をやったんです。そしたら、お客さんから、それまでダンスの公演では経験したことのないすごい拍手をもらって。本当に感動しました。そこで俳優に目覚めたんです。
 その卒業公演がきっかけで声をかけられて劇団NLTの養成所に入ったんですが、入ったら入ったで、また泣き笑えの授業が始まったんですよ。さすがに我慢してやったんですけど、8カ月でダメでした。僕は人に存在を認められたくて芝居を始めたようなものなんです。自分の仲間がほしい、自分をわかってくれて必要としてくれる人がほしかった。当時はダンス仲間もいたし、自分の居場所がちゃんとあったんですよね。だから芝居に真剣に向き合えてなかったんだと思います。とにかく甘ちゃんでした。
 ダンスをやりながらテキ屋のバイトで食っていこうかなと思っていたときに、北大路欣也さんが弟子を探しているからどうかって誘われたんです。僕、欣也さんのこと知らなくて、初めて会ったとき顔を見てもピンとこなかったんですけど、オーラがすごかった。金のアタッシュケース持ってベルサーチのスーツで、オールバックで、「スゲー、これが芸能人なんだ」って思いました。それで次の日から弟子入りしたんです。
 僕は髪を伸ばしていてボサボサだったんですけど、初日に気合いを入れて丸刈りにして行ったんです。そしたら欣也さんに「気持ちはわかるけど、俳優ってそういうものじゃないぞ」って、玄関でまず怒られました。「自分が一番カッコいいと思える髪型で、自分が一番自信のある服を着て、自分が本気で向き合えることをやって生きていないとダメだ。そうじゃなきゃ、お前の一体どこにほれてもらえるんだ」って。それまで服にかけるお金があるなら芝居や映画の1本でも見ろなんて言われていたから、もう目からうろこで。「こんな素敵な大人がいるのか。この人なら信じられる」って思いました。弟子をやりながら、欣也さんが主演の作品にも出演させてもらい、ドラマ「旗本退屈男」(フジテレビ)にはレギュラーで出させてもらいました。弟子入りしてすぐにテレビ出演、しかもレギュラーでなんて、本当にうれしかった。欣也さんは俳優としての心構えを根本から教えてくれた素晴らしい師匠です。

イメージ
「少し若いですが(笑)」
ドラマ初出演作品「隠密奉行 朝比奈」(フジテレビ)より

 

■ その存在で人の心を動かす俳優になりたい

 俳優には表現派と存在派があると思うんですけど、表現派は演じているとき自分のセリフや動きだったり自分自身に意識があるんだと思う。だけど存在派は意識が“相手”にある。ここでこいつこんなこと言うのかとか、こんな動きをするんだとか。表現派の俳優は演じる役柄で見られるけど、存在派の俳優は、例えば「また、いわいのふだ」って感じで何を演じていても“いわいのふ本人”なんですよね。でも存在派の俳優の意識は相手の俳優にあるので、相手が変化すればこっちも変わっていくから、お客さんは素に近い俳優本人を見ているようでいて、ちゃんと物語を見ているんです。だから知らず知らずのあいだに作品を体感できている。僕はそういう俳優になりたいんです。そのためには、いかに相手をよく見て、相手の声を聞けるか。結局いかに人として豊かになれるかなんですよね。俳優をやることによって、いい俳優になりたいと思えば思うほど、人として成長したいと本気で思うんです。
 やっぱり好きなんですよ、芝居が。だから続けていける状況を自分でつくっているんだと思います。昔、欣也さんに「俺は欣也さんみたいになりたい」って言うと、そのたびに「お前は俺じゃないんだから、俺にはなれないだろ」ってたしなめられた。その通りなんです。人生すべて自分次第。だれを主役級に置きだれを降板させるか、どの道を進むのか、自分の人生さえも自分で演出しなければならないんです。いま僕は僕のことがすごく好きだし、自分を信じているし、僕に生まれてくることができてよかったと思っている。僕は僕の一番のファンとして、自分で自分のことをすごく応援しているんです。

 
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いわいのふ 健(いわいのふ・けん)

俳優・企画集団DOA主宰
1977年広島県生まれ。歌番組の好きな祖父母、絵の好きな父と映画の好きな母のもとで男三人兄弟の長男として育つ。幼稚園の頃から芸能界にあこがれ、高校卒業後、1996年日本工学院専門学校舞台俳優科俳優コース(現クリエイターズカレッジ声優・俳優科)に入学。1998年卒業と同時に企画集団DOAを結成。同年北大路欣也に弟子入りし本格的に俳優として活動を始める。3年後に独立。その直後に顔面麻痺を患うが半年後に見事完治させ俳優活動を開始。DOAとしての活動も再開し、2010年9月には紀伊國屋ホールで「泥と蓮 -無一物即無尽蔵-」を上演、成功をおさめた。近年はナレーションでも活躍中。日本工学院専門学校で非常勤講師としてヒップホップの授業を担当している。主な出演舞台に、巣林舎旗揚げ公演「用明天王職人鑑」、荏原流れ太鼓ひびき曾25周年記念公演「降臨瑟瑟」、岡部企画プロデュース「蜂の巣城」「花祭」、演劇企画集団THE・ガジラ「新・雨月物語」ほか多数、テレビドラマ「旗本退屈男」(新助役、フジテレビ)など。
いわいのふ健公式ブログ→http://ameblo.jp/nanamikai/

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