2008年夏、「花より男子ファイナル」のビックヒットにわくTBS映画事業部に小野原正大は配属された。そして舞い込んできた「おくりびと」のアカデミー賞外国語映画賞受賞のニュース。夢に見た現場の最前線にいることに、身震いすら覚えた。
初めてTBS映画事業部に来たのは最終面接のときだった。会議室の壁をうめつくすポスターに圧倒された。どれも知っている、見てきた作品ばかりであった。そして目の前には、それらの仕かけ人であるTBS映画事業部長・濱名一哉がいた。一度不本意にも業界を離れた小野原が、満を持して臨んだ面接だった。
「好きだから頑張れるし、たとえつまずいても、好きならやり直せると思っていました」
映画やドラマに関わって生きていきたいという意志、すぐれた先輩たちの存在、いずれはプロデューサーとして作品に携わりたいという意欲、そして、同じ業界で頑張っている学生時代の仲間の存在が、小野原の力の源である。

 

■ 本当に幸せ者です

現在は、2011年秋公開の超大作「のぼうの城」の作品担当として、アシスタントプロデューサーをさせていただいてます。出資金の割合の確認、契約書の作成、宣伝展開など勉強の毎日ですが、一生懸命務めさせていただいております。以前はプロダクションアシスタントとして、映画の宣伝から素材の管理などの業務を担当させていただいてました。当時僕の役割の一例としては、オンエアーが決まった作品の、素材集めからオンエアーに至るまでの調整ごとをすべて完了させ、作品本編の素材納品までを確実にやるといったことです。映画公開日の前日には、電波ジャックといって、TBSの全情報番組に映画の出演者の方をゲストで出させていただくのですが、「ハナミズキ」(10)のときには、全情報番組のプロデューサーとの打ち合わせ、出演者のみなさんの楽屋取りやアテンドもふくめ、すべての調整をやらせていただきました。ほかにもTBSの幹事作品の二次使用の窓口は僕が一括して担当させてもらっていますし、テレビ番組のADと同じで、会議室取りからお茶くみといった雑用もふくめ、いろいろと関わらせていただいています。
仕事はすごく楽しいです。僕はずっとドラマや映画が大好きだったので、いまこの仕事に携わることができて、本当に幸せ者だと思っています。
小さい頃からアニメにドラマ、バラエティーもよく見ていましたし、テレビが大好きでした。あとおじさんが非常に映画の好きな人で、頻繁に映画館に連れていってもらい、当時は洋画をたくさん見ていました。
中学1年生のときに「砂の上の恋人たち」(フジテレビ、99)を見て本格的にドラマの世界に進みたいと思うようになり、それまで以上にドラマや映画を見るようになりました。でも映画事業部の人たちには、「お前、全然作品見てないな」って言われちゃうんです。みなさん相当見てますから。でもドラマに詳しい人は意外に少なく、ドラマが映画の参考になることはよくあるので、その点ではけっこう役に立っていると思うんですけどね。いまもドラマは大好きですし、新番組のドラマの1話は必ず見ています。寝る時間をさいて作品を見ろと先輩方には言われてますし、映画事業部に来てから、「寝る・酒を飲む・映画やドラマを見る」しかやってないような気がします(笑)。

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©2011『のぼうの城』フィルムパートナーズ
2011年秋 全国東宝系超拡大ロードショー!

 

■ 業界には絶対に戻りたいと思っていました

高校3年生のときに、ドラマや映画の世界に進みたいと先生に相談し、日本工学院専門学校放送芸術科(現クリエイターズカレッジ放送・映画科)への進学を決めました。勉強は大嫌いだったので、大学に行ったって自分の人生になんの意味もないし、とにかく好きな世界に少しでも近づきたいと考えていました。日本工学院蒲田キャンパスの体験入学には3、4回参加しました。ほかの専門学校の体験入学にも行ったんですけど、日本工学院の学生さんが一番楽しそうにやっていたんですよね。
実は人見知りなんですが、日本工学院ではすごくいい10人の仲間ができて、みんなで一緒に作品をつくったり、イベントに参加したり、本気で映像制作の勉強をしましたし、非常に楽しい毎日でした。あの仲間たちとの日々があったからこそ、いま自分はここにいられるんだと思っています。
卒業後はバスクというドラマや映画の技術会社に就職しました。バスクは高校生の頃から目指していた会社だったんですが、ドラマの現場は本当に過酷で、僕は日本工学院ではカメラ専攻だったのに、カメラをやることに悩んでいたこともあって、情けないことに2カ月で辞めてしまいました。
それでも業界には絶対に戻りたいと思っていました。母校の日本工学院で1年間補助員をやったのちに、就職活動を再開し、TBS映画事業部に出向の前提でTBSトライメディアを受験して、念願かなっていまに至るといったところです。とにかく面接では、この業界でやりたいんだということを前面的にアピールしました。僕は面接は得意なほうだったし、絶対にこの世界でやれるという自信もあった。一度挫折したことで、自分の得手不得手もわかったし、業界への思いもさらに強いものになっていたから、面接でもブレなかったのがよかったんだと思います。

 

■ この業界以外では生きていきたくないんです

最初に台本とエンドクレジットに名前をのせていただいたのは、「ジェネラル・ルージュの凱旋」(09)でした。すごくうれしかったです。両親にもチケットとパンフレットを送りました。けっこう心配をかけてしまったので。そこから「クローズZEROⅡ」「余命1ヶ月の花嫁」ときて、「ROOKIES ‐卒業‐」では初めてプロダクションアシスタントをひとりで任せていただき、続いて「ダーリンは外国人」「ボックス!」「昆虫物語 みつばちハッチ~勇気のメロディ~」とやり、「ハナミズキ」からは後輩ができてふたり並んでクレジットされるようになりました。こんなに多くの作品に関わらせていただけるのはいまだけだろうし、貴重な経験をさせていただいていると思っています。
映画事業部でめげそうになったことは1回もありません。上司や先輩方にも恵まれているし、もちろんバキバキにしかられまくりましたけど、一度も辞めたいと思ったことはないんです。最初から石の上にも3年という覚悟でしたし、かつて制作現場で地獄を見たときとは違って、自分に合っている、ここでなら自分を活かせると本気で思えるんです。
それと、日本工学院時代の仲間が、カメラや中継のVE(ビデオエンジニア)として、みんな現場で頑張っているので、負けたくないっていうのもあるんですよね。映画事業部に入って業界に戻ってきたときに、「現場に戻ってこなかったらお前のことは認めなかったよ」って仲間たちに言われて、なんて上から目線なんだって思いましたけど(笑)、この世界に進むという道を踏み外さなかったのは、一緒に目指した仲間がいたからなんです。だからこれからもずっと、みんなと肩を並べていきたいと強く思っています。
僕はこの業界以外では生きていきたくないと考えている人間なんです。どんな仕事でも構わない。ドラマや映画に関われているということが、僕の中で一番重要なことなんです。どんなことがあっても、ドラマや映画の世界にいたい。その気持ちは日々ますます強くなっています。

イメージ「クローズZEROⅡ」(09)©2009 髙橋ヒロシ/「クローズZEROⅡ」製作委員会
DVD&Blu-ray好評発売中 発売元:TBS 販売元:ハピネット

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